第8章の概要(サマリー)

当社は、多額の有利子負債や含み損資産などの問題を抱えたグループ会社の立て直しに奔走し、2000(平成12)年の「東急グループ経営方針」に基づいた「選択と集中」による構造改革に一定のめどをつけ、成長路線へと舵を切った。2005年度を初年度とする「中期3か年経営計画」では、東急線沿線に経営資源を集中させることは堅持し、二大コア事業である鉄軌道事業および渋谷をはじめとした不動産事業を発展させることで沿線価値を高め、さらに沿線を中心とした地域経済を活性化し、沿線生活にかかわるリテール事業を、第3のコア事業として成長させる戦略とした。

まず鉄軌道事業では1980年代に始まった二つの大規模改良工事「目蒲線改良工事および東横線複々線化工事」と「大井町線改良工事および田園都市線複々線化工事」が進捗し、それぞれ無事に竣工を迎えた。東横線および田園都市線でひっ迫していた混雑を緩和させるという宿年の課題解決と、輸送力増強の余地があった目蒲線(現、目黒線)および大井町線の活性化を巧妙に組み合わせ、着工から四半世紀近くを費やしてきたプロジェクトである。この工事の完了によりこれら4線の混雑は平準化に向かい、当初の目的はおおむね達成することができた。

これと同時に、「東横線渋谷~横浜間改良工事」の内、渋谷〜代官山間地下化により東京メトロ副都心線と東横線の相互直通運転を開始し、東武東上線および西武池袋線から副都心線を介して当社東横線および横浜高速鉄道みなとみらい線までが一つの路線として結ばれて、それぞれ100km超の広域鉄道ネットワークを形成するに至った。さらに新たな鉄道ネットワーク整備として、上下分離方式が盛り込まれた「都市鉄道等利便増進法」に基づく速達性向上事業「相鉄・東急直通線」が着工されたほか、羽田空港へのアクセス路線も計画、ネットワーク拡充によるさらなる利便性の向上を展望した。

また安全・安心かつ快適に利用できる鉄道をめざして、ホームドア設置を進めたほか、大規模改良工事に伴うバリアフリー化工事も進展、併せて長編成化や速達性向上、きめ細かな混雑緩和対策、共通ICカード乗車券「PASMO」の導入などを行った。

不動産事業では多摩田園都市における販売用土地の枯渇を目前に控えて、新たな事業モデルを確立することが急務であった。第三者から土地を仕入れ、マンションなどとして付加価値をつけて販売することで差益を得る試みを進めたほか、不動産賃貸事業の拡大に着手。かねてより計画していた、渋谷、二子玉川、たまプラーザ、永田町の開発(のちに四大拠点開発プロジェクトと呼ばれる)を軌道に乗せ、これらの竣工、開業によりオフィス、商業施設などの賃貸面積を大幅に増やした。これにより2011年度(2012年3月期)以降、単体の事業別営業収益で不動産賃貸事業が不動産販売事業を逆転し、多摩田園都市の不動産販売事業に大きく依存してきた事業構造の転換が進んだ。

四大拠点開発の内、とくに大規模な地域開発となったのが渋谷である。東横線の相互直通運転開始により渋谷が単なる通過駅になることを懸念し、渋谷を魅力ある都市に再構築することを主眼とした計画で、2005年12月に渋谷駅周辺139haが、「都市再生特別措置法」に基づく「都市再生緊急整備地域」に指定されたことで、「100年に一度」と言われる渋谷再開発計画が動き出した。

当社は東京都や渋谷区の街づくりにかかわる上位計画との整合を図り、地元関係者や地権者との連携を密にしながら主要街区ごとの開発計画を練り上げ、まず渋谷新文化街区に「渋谷ヒカリエ」を2012年4月に開業。さらに整備地域の中心に位置する渋谷駅街区の開発に向けてJR東日本や東京メトロとの共同事業に臨むこととし、土地区画整理事業による建物敷地の整序を経て、「渋谷スクランブルスクエア第Ⅰ期(東棟)」の建設に進んでいくこととなる。これと並行して渋谷駅南街区の「渋谷ストリーム」、東急不動産が中心となった道玄坂や桜丘口地区の再開発計画も着々と進捗し、渋谷特有の谷地地形を克服するための工夫も盛り込みながら、多くの来街者を受け入れることができる回遊性の高い街づくりを進めた。

とくに2010年代に入ってからは訪日外国人旅行客(インバウンド)が急増、渋谷にも多くの外国人旅行客が訪れ始めた。渋谷駅周辺開発にあたり、当社は2012年に「エンタテイメントシティしぶや(のちにSHIBUYA)」をビジョンに掲げ、国際化への対応も視野に入れた取り組みを進めた。2013年に、東京オリンピック・パラリンピックの2020(令和2)年開催が決定したことなども背景に、さらなる街の魅力づけをめざした。

そのほかの四大拠点では、市街地再開発事業の枠組みで多摩川沿いの豊かな自然を生かした「二子玉川ライズ」の整備を進め、たまプラーザでは駅を中心とした商業施設「たまプラーザ テラス」として大きく生まれ変わり、永田町では東急キャピトルタワーに、東急ホテルズの最上級ホテル「ザ・キャピトルホテル 東急」とオフィス用フロアも設け、キャピトル東急ホテルの伝統を受け継ぐこととなった。前述の鉄道ネットワーク拡充に関連した不動産事業としては、鉄道資産の有効活用にも着目し、高架区間の耐震補強工事に併せ個性ある高架下商業施設などを整備したことも、この時代の特徴である。

沿線生活に関連した事業展開では2005年度から東急百貨店や東急ストア、ショッピングセンターなどのリテール事業の活性化に着手。その後はリテール事業を包含する生活サービス事業を鉄道、不動産に次ぐ第3のコア事業に位置づけ、ホーム・コンビニエンス・サービス「東急ベル」などを開始、ケーブルテレビ事業は、隣接区域展開によりセキュリティ事業などと共にサービスエリアを広げ、沿線と周辺の地域住民の生活により密着したサービスの提供をめざした。

2005年以降の当社の事業展開において重要視したのは、中長期的な人口動態の変化を先取りすることである。東急線沿線住民の高齢化が進むなかでシニア住宅事業や介護サービス事業を展開すると共に、若年層の流入促進のため都区部や東横線沿線を中心に新たに直営の賃貸住宅事業を開始したほか、子育て世代支援を見据え学童保育事業に参入、さらに横浜市との連携により多世代の流入と交流を促す施策に共同で着手、これに関連した施設も整備した。沿線自治体との公民連携による街づくりの始まりであった。

また国内で人口減少が始まるなか、経済成長が著しいアジア新興国などにも目を向け、グローバル経済の成長を取り込んでいくこととなる。前述の訪日外国人需要を取り込もうとインバウンドビジネスを展開したことに加え、事業ポートフォリオの枠組みに海外市場を加え、東急グループの総合力を活かす事業展開を開始した。まずベトナムでは、多摩田園都市開発で培った街づくりのノウハウを活かすべく、ビンズン新都市における街づくり「東急ビンズンガーデンシティ」に着手。タイでも不動産事業に参入する契機を得た。西豪州のヤンチェップ地区では、道路や鉄道のインフラ整備が進展し、開発着手から半世紀近くを経て宅地造成が本格化した。一方で、海外ホテル・リゾート事業では自立、再建を進めていたが、東急グループ経営方針の沿線事業集中の方針から撤退を決するに至った。

2005年から2014年に至るこの時期は、リーマンショック(2008年)に伴う世界的な景気低迷、東日本大震災(2011年)の影響などを受け、必ずしも思い描いた通りの成長軌道をたどることはできなかったが、引き続きグループ会社の再編などを先導した結果、経営の健全性は大きく改善し、連結決算では2012年度(2013年3月期)以降、着実な増益を遂げた。

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