第8章 第4節 第2項 渋谷新文化街区の事業着手と「渋谷ヒカリエ」の開業

8-4-2-1 開発対象地域の拡大と容積率の割増

渋谷新文化街区は、2007(平成19)年の「渋谷駅中心地区まちづくりガイドライン」では「文化・三社街区」と記されていたエリアで、東急文化会館跡地(約5100㎡)を含む「文化街区」と、その東側に位置する「三社街区」が一体となった約9600㎡の開発街区である。文化街区は、東急文化会館跡地とそれに隣接する複数の個人地権者で、三社街区は東京地下鉄(東京メトロ)、東宝不動産(のちに東宝に吸収合併)、個人地権者の3者で、それぞれ構成される。

図8-4-5 渋谷新文化街区の位置図
注:社内資料をもとに作成

明治通りを挟んで渋谷新文化街区と相対する渋谷駅街区の開発は、東急百貨店東横店の解体が前提となる。しかし、東横店の建物(東館および中央館)は東京メトロ銀座線渋谷駅を内包しているため、必然的に銀座線の駅移設や線形変更などの改良が伴う。もともと銀座線渋谷駅は相対式ホームで、動線が交錯していて他社線への乗り継ぎがわかりづらく、混雑が激しいなどの課題があった。これに加えて、宮益坂の勾配を克服して渋谷駅部と青山方面の歩行者移動を円滑化することや、駅周辺の駐車場不足の解消も重要な課題であった。当初は文化街区、三社街区の地権者が別々に開発を検討していた。しかし徐々に地権者間で協議を行い、「文化・三社街区」を一体の街区として整備することが、渋谷駅中心地区全体の、そして各街区の開発に道筋をつけると共に、両街区それぞれの資産価値の向上にもつながるということが、共通認識となっていった。

当社は、三社街区の地権者との協議、銀座線渋谷駅の改良にかかわる東京メトロとの協議、東急文化会館跡地と隣接する地権者との協議、さらに三社街区との間にカギ型に通っている区道の処理に関する渋谷区との協議などに主体的にかかわり、一つ一つ合意点を見出していった。

2007年2月に区道の廃止、計画敷地南側への道路付け替えが渋谷区に承認されたことで、三社街区地権者との共同事業方式による「文化・三社街区」の一体的な再開発、すなわち「渋谷新文化街区(約9600㎡)」の整備が具体化に向けて動き出した。2007年10月、渋谷新文化街区について「都市再生特別措置法」に基づく「都市再生特別地区」の事業者提案を行い、2008年3月に都市計画決定された。

図8-4-6 文化街区・三社街区・渋谷区道の位置図
注:社内資料をもとに作成

「都市再生特別地区」における特例措置である容積率割増は、都市再生への寄与(公共貢献)の度合いに応じて設定されるもので、他地域での先行事例から容積率の割増は1.5倍程度が上限と見られていた。渋谷新文化街区の容積率は従前が814%のため、1.5倍なら1200%程度が上限になるが、当社は公共貢献に資する部分がより大きいことや、計画建物が日照や風などにおいて周辺に影響を及ぼさないことなどの理解を得て、割り増し後の容積率は1370%となった。

なお、従前の当社敷地である東急文化会館跡地約5100㎡の扱いに触れておく。当社は財団法人民間都市開発推進機構(MINTO機構)の土地取得・譲渡業務スキームを活用することとし、2003年9月に土地をMINTO機構へ譲渡した。その後同機構による10年間の保有を経て、2013年9月に当社が買い戻しを行った。

当社を筆頭として組織した「渋谷新文化街区プロジェクト推進協議会」が事業主体となり、2009年7月、渋谷新文化街区が着工、2010年4月には施設名称を「渋谷ヒカリエ」とすることを発表した。渋谷から未来を照らし、世の中を変える光となるという意思を込めて、「光へ」から命名したものである。

渋谷新文化街区の開発は、単独で進められるものではなく、とくに渋谷駅街区にかかわるJR埼京線渋谷駅ホームの移設問題、渋谷駅街区と渋谷新文化街区の歩行者通路の結び方、そしてこれらにかかわる費用負担の問題など、多方面にわたる検討や協議が必要であった。このため渋谷開発本部(2008年4月に開発事業本部渋谷開発事業部に改組)では、東京都や渋谷区の上位計画に示された渋谷開発全体との整合を保てるように、業務を進めていった。

かつての東急文化会館(地上8階、延床面積2万9000㎡)から渋谷ヒカリエ(地上34階・地下4階、延床面積14万4000㎡)への大幅な生まれ変わりは、今後着々と進んでいく渋谷駅周辺の開発のリーディングプロジェクトにふさわしい、渋谷の「新しい顔」の誕生であった。

8-4-2-2 「渋谷ヒカリエ」の開業

従前から大きくスケールアップして誕生する高層複合施設「渋谷ヒカリエ」は、地上34階・地下4階建てで高さは182.5m、17階から34階までの高層階がオフィス、8階から16階までの中層階が文化施設、6階・7階がレストランフロア、地下3階から地上5階までが商業の用途である。

他の地権者との合意により、権利割合は従前の土地権利割合から算出。用途別の権利では、当社は事務所、商業、文化施設を、当社以外の権利者は権利相当分の事務所を取得することになった。

渋谷ヒカリエの建設にあたっては、かつて、東京では戦後初の設置となったプラネタリウムや大劇場「パンテオン」などを擁し、最先端のライフスタイルを提案してきた東急文化会館のDNAを引き継ぐことを想定して、施設計画を練り上げた。その具体化として、中層階の文化施設フロアに約2000席の本格的なミュージカル劇場「東急シアターオーブ」(運営:東急文化村)、情報発信性の高いイベントに利用できる大小エキシビションホール「ヒカリエホール」、クリエイターと社会を結ぶ接点となるクリエイティブスペース「8/(はち)」を設けた。

高層部のオフィスは、ワンフロア約2200㎡の基準階面積を確保でき、オフィス用途全体の賃貸可能面積約3万8000㎡は、当時の渋谷では最大規模であった。この大空間は、レイアウトの自由度が高く、テナントが求める多様なワークスタイルに対応でき、地上約100m以上であるため眺望にも優れており、次の時代を担うような企業の集積を想定した。渋谷ヒカリエの開業後、インターネット関連企業のディー・エヌ・エーやLINEなどのIT関連企業が本社を構えることとなった。

商業フロアは、東急百貨店が新業態を開発して出店することとし、商業施設名は「ShinQs(シンクス)」に決定した。渋谷に集まる高感度な大人、とくに自分のアイデンティティを生かした目利きができる自己編集力の高い20代〜40代の働く女性を主たるターゲットとし、フード、ビューティ、ファッションなど約200の売場・ショップで構成した。フードフロアの2フロアには、日本初出店を含む多種多彩な26店舗の出店が決まった。

「東急シアターオーブ」は「東洋一のミュージカル専用劇場」として企画され、2012年7月のこけら落とし公演では、ブロードウェイから「ウエストサイドストーリー」を招聘し、その後も「シカゴ」などの演目を継続して公開した。また渋谷ヒカリエ11~16階に位置する中空の劇場は世界的にも珍しく、さらに渋谷ヒカリエが東急文化会館の跡地ということもあり、同館にあった劇場「パンテオン」の緞帳(ル・コルビュジエのデザインによる)の縮小レプリカを西陣織で作成し、同劇場で展示している。

このように、多彩な用途で構成される渋谷ヒカリエは、箱を重ねたような建物の外観が特徴である。劇場フロアを内包していることが建物外から見てとれる独創的なデザインは、渋谷の新しいランドマークとして親しまれることになった。また、中層階に設けた「スカイロビー」は、オフィスの入り口と劇場のホワイエという二つの顔があり、用途の結節点として、多数の人が行き来し、交流する場としての性格を持ち、渋谷らしさを演出している。

図8-4-7 渋谷ヒカリエの施設構成
出典:「FACT BOOK 2015」
東急シアターオーブ

渋谷ヒカリエ建物内の歩行者動線は、周辺の街とのアクセス性を高めることを意識した。施設内を貫通する大きな動線と共に、渋谷駅、明治通り、宮益坂、青山など各方面とスムーズに行き来できるよう、複数のフロアで建物と街とをつなぐ動線を確保する施設計画とした。また、縦方向の移動を容易にするため、渋谷駅と直結する地下3階から地上4階にわたる巨大な吹き抜け空間(アーバン・コア)を設けた。歩行者の水平垂直移動をスムーズにして渋谷の街全体の回遊性を高めることは、渋谷駅周辺の開発全般にかかわる考え方であり、今後開発に着手する街区でもこのコンセプトが共有された。

渋谷ヒカリエのアーバン・コアとデジタル・サイネージ

環境配慮の面では、敷地面積の約30%を緑化したほか、オフィスフロアではLED照明を採用、地下駅である渋谷駅(東京メトロ副都心線・東横線)と連動させて自然換気を促すなど、さまざまな工夫を凝らした。また高度な耐震性能を有した設計としたほか、公共貢献の一つとして、万一の災害発生に備えて、帰宅困難者の受け入れが可能なスペースを約5500㎡確保、約72時間分の予備電源を備え、1万3000人分の飲料水や食料を備蓄した。

渋谷ヒカリエは2012(平成24)年4月26日に開業。開業から1年間で2000万人以上が来館し、当初の目標であった1400万人を大きく上回った。渋谷の新しいランドマークの誕生であり、渋谷開発のリーディングプロジェクトの幕明けであった。

これに続いて2013年3月16日には東横線が東京メトロ副都心線との相互直通運転を開始、地下3階に設けた改札口から多くの来街者が渋谷ヒカリエを介して街へ繰り出すこととなった。

開業を迎えた渋谷ヒカリエ

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