第8章 第4節 第1項 東横線・営団13号線の相互直通運転と「都市再生緊急整備地域」指定

8-4-1-1 国の施策として始まった「都市再生」

国内ではバブル崩壊後の長引く不況に終止符を打つべく、1990年代末期から歴代内閣を中心に、景気対策や金融システムの安定化に向けた議論が活発に進められた。こうしたなかで、不動産の流動化や有効活用により抜本的な不良債権処理を行い、都市再開発を日本経済再生の突破口とする考え方が形成された。

中国沿海部などアジアの主要都市が、都市の魅力を更新し続けるなか、国内の主要都市においても都市の魅力を再構築することで国際的な競争力を確保することが喫緊の課題とされた。2001(平成13)年4月に就任した小泉純一郎首相は、就任の直後に首相直轄機関として都市再生本部の設置を指示。その都市再生本部の主導により、大胆な規制緩和を伴ったいわゆる「小泉構造改革」の一環として、都市再開発や民間事業者の活用を可能とする法整備について検討が進められた。こうして2002年4月に公布されたのが「都市再生特別措置法」である。

都市再生特別措置法は、急速に進む情報化、国際化、少子高齢化といった社会経済情勢の変化に、国内の主要都市が十分に対応できていないという認識の下、情勢変化に対応した都市機能の高度化や都市における居住環境の向上による都市の再生を図り、併せて都市における防災機能の確保を進めることなどを主眼とした法律である。

同法では、都市開発事業などを通じて緊急かつ重点的に市街地整備を進めるべき地域を「都市再生緊急整備地域」として指定し、都市計画にかかわる既存の規制を大幅に緩和すると共に、金融支援や税法上の特例措置を講じることとした。さらに同地域内の事業者の提案により「都市再生特別地区」が設定され、地区内の再開発にあたっては容積率の大幅な緩和など前例のない措置が講じられることとなった。これは、長らく行政が主導してきたわが国の都市計画において、地域と期間(当初は10年間の時限立法、その後延長)を限定しながらも、実質的に民間事業者が都市計画を提案することに門戸を開き、魅力的なまちづくりで経済活性化を図ろうとするものであり、民間事業者にとっては新たなビジネスチャンスであった。

図8-4-1 都市再生特別地区に係る提案の審査等フロー
出典:東京都都市づくり政策部資料

2002年7月には都市再生特別措置法に基づく「都市再生緊急整備地域」の第一次指定が始まり、全国で17地域3515haが指定された。東京都内では、東京駅・有楽町駅周辺地域、環状二号線新橋周辺・赤坂・六本木地域、東京臨海地域、秋葉原・神田地域、新宿駅周辺地域、環状四号線新宿富久沿道地域、大崎駅周辺地域の7地域(地域名は第一次指定当時)が指定された。こうした地域からやや遅れ、渋谷駅周辺139haが「都市再生緊急整備地域」に指定されたのは、2005年12月のことであった。

都市再生緊急整備地域指定を伝える記事
出典:「渋谷再開発ニュース」 2006年3月号 渋谷再開発協会発行

8-4-1-2 鉄道整備の方針決定と動き出す渋谷開発

東横線と営団13号線(現、東京メトロ副都心線)の相互直通運転が明示されたのは、2000(平成12)年1月の運輸政策審議会答申第18号である。当社の機関決定と対外的な発表は2002年1月となったが、この間には相互直通運転を契機とした渋谷開発について、経営企画部門が中心となって長期的なシナリオが練られた。それは、おおむね次のようなものであった。

相互直通運転化に伴い、これまで地上にあった東横線渋谷駅や渋谷〜代官山間の地上線路が地下に潜ることで、その上部開発が可能になる(のちの渋谷駅街区、および渋谷駅南街区に相当)。だがそれは相当先のことで、営団13号線が渋谷まで延伸するのは2008年度、東横線との相互直通運転開始は2012年度と見られており、この種地の開発は地下化工事の進捗を待たなければならない。そこで施設の老朽化が指摘されていた東急文化会館をまず閉館・解体し、明治通り地下に新設する両線渋谷駅の工事ヤードとして活用したうえで、跡地に先行的に新しいビルを建て、渋谷駅周辺開発の起爆剤とする草案を描いた。これがのちに誕生する渋谷ヒカリエである。

これらのエリアの開発を進めるには、関係先との協議が不可欠であった。JR山手線渋谷駅や埼京線渋谷駅を擁するJR東日本、営団銀座線および半蔵門線渋谷駅を擁する帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)といった鉄道事業者はもとより、当社鉄道用地に隣接する地権者との合意形成がなされない限り、面的にまとまった開発を進めることはできない。そして、渋谷駅周辺の街づくりは行政の長期的なビジョンにも沿った形で包括的に進めることが重要であり、それには何よりも渋谷区や地元関係者との協議が必要で、東京都も含め、都市基盤整備のあり方について検討を進める機運も醸成していく必要がある。渋谷駅周辺をどのような街に再構築していくのか。それは、渋谷で暮らし、働き、商いをし、この街を訪れる多くの人々、すなわち公共の利益に資するものでなくてはならない。

たびたび触れてきたように、渋谷駅周辺はいくつもの坂に囲まれた谷地に相当し、山手線と渋谷川によって東西が二分されてきたため、駅を中心とした地域が一体となって発展しにくいという宿命を帯びてきた。こうした地形的な制約を、あるときは克服し、あるときは活かしながら発展してきたのが渋谷駅周辺の歴史である。

当社関連でいえば、街を分断していた渋谷川をまたぐように東横百貨店(東急百貨店東横店東館)を建設(1934〈昭和9〉年竣工)して駅を中心としたにぎわいを創出。1954年の東急会館竣工時には国鉄山手線の頭上に3層の跨線廊(「中央館」と呼称)を設けて売場とし、西館と共に営業を開始した。さらに1956年には東急文化会館を竣工させ、これと東横百貨店東館とを2階レベルで接続する歩行者専用跨道橋を明治通り上に建設、東西の街をつないだ。1970年代には西武百貨店の渋谷進出に伴って公園通りやスペイン坂などが整備・命名され、坂道を回遊する楽しみ方が生まれた。また近年では、渋谷マークシティの建設(2000年竣工)により道玄坂と駅部の高低差を4階デッキ部でつないだ。さらにセルリアンタワーの建設(2001年竣工)と併せて国道246号上に歩行者専用跨道橋を設置し、分断されていた渋谷の南北を気軽に行き来できる経路を設けた。

図8-4-2 東急百貨店東横店の構造イメージ
出典:『渋谷駅周辺開発FactBook』2015年7月2日

これらは、渋谷特有の地形をどうすればプラスに転化できるかが模索された結果であったが、渋谷駅周辺をマクロな視野で俯瞰すると、これまでは開発される個々の街区での工夫の積み重ねにすぎなかったことも確かである。このため、東横線の地下化によって生まれる線路上部の開発は、渋谷駅周辺を広域的に再構築するうえでは、千載一遇のチャンスであると考えられた。

8-4-1-3 行政と一体となった開発機運づくり

2001(平成13)年7月、渋谷区は「渋谷駅周辺整備ガイドプラン21委員会」を設置した。当社も事業者として委員会に参加し、約2年にわたり将来に向けた整備構想案や街づくりの方針が議論された。委員会からの提案を受け、渋谷区は2003年3月に「渋谷駅周辺整備ガイドプラン21(以下、GP21)」を発表した。

当社は2004年1月に「渋谷戦略推進室」を設置、事業部レベルとしては初めて「渋谷」を部署名に冠した。2005年4月には渋谷開発本部に改組した。経営企画部門を中心に検討してきた渋谷開発を独立の専属の部門としたことは、検討段階から事業推進段階に入ることを内外に示すものであった。

2007年9月に渋谷区が発表した「渋谷駅中心地区まちづくりガイドライン」では、都市再生のリーディングコアとなる渋谷駅中心地区(渋谷駅周辺139haの内、駅中心の地区を指す)として、「文化・三社街区(のちの渋谷新文化街区)」、これと隣接する「22番街区」、「渋谷駅街区」、「東横線跡地街区(のちの渋谷駅南街区)」、「道玄坂一丁目駅前地区」、「桜丘口地区(のちの渋谷駅桜丘口地区)」が明示された。

図8-4-3 渋谷駅中心地区まちづくりガイドラインと上位計画との関係
出典:渋谷駅中心地区まちづくりガイドライン2007
図8-4-4 渋谷駅中心地区まちづくりガイドラインの策定範囲
出典:渋谷駅中心地区まちづくりガイドライン2007

各街区では、特区制度を用いた開発の進め方などについて検討が進められ、都市基盤と街区整備の連携を図ることとした。とりわけ鉄道およびバスのターミナルが集積する「渋谷駅街区」は、乗り換え利便性の向上や歩行者空間の確保など公益にかかわる懸案事項を数多く抱えており、今後の渋谷の街づくりの鍵を握ると見られた。このため2007年4月に、学識経験者や国土交通省、東京都、渋谷区の担当部局らで構成する「渋谷駅街区基盤整備検討委員会」が設置され、鉄道事業者として当社のほかJR東日本、東京地下鉄(東京メトロ)、京王電鉄も参加。同委員会での検討を踏まえ、2008年6月に「渋谷駅街区基盤整備方針」を策定するに至る。これ以降の動きについては後述する。

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