第8章 第2節 第6項 地方交通事業の縮小

8-2-6-1 地方バス会社などを事業再生会社に譲渡

当社は、数多くの地方交通事業(バス、鉄道、タクシー)会社を傘下にしていた。これらの会社の多くは、マイカーの普及に伴うバス・鉄道利用者の減少、若者世代の地方離れや人口減少、バブル経済崩壊以降の国内観光需要の低迷などにより、経営が苦境に陥っており、老朽化した車両をはじめとした設備の更新に必要な資金の捻出もままならない状況であった。

当社が1990年代後半から2000(平成12)年ごろに「選択と集中」を進め、グループの最適事業ポートフォリオを追求するなかで、収益改善の見込めない地方交通事業の経営支援を当社が続けるには限界があった。しかし、地域住民の貴重な足として利用される公共交通機関としての役割から、その対応は難しいものがあった。当社は、従業員等への事業承継も含め、事業継続の道を見出そうと検討を重ねるなか、外部企業の経営改善ノウハウや経営資源の活用が必要と判断した。事業再生を目的とする投資会社を運営し、各地の地方交通事業の再生に取り組んでいたジェイ・ウィル・パートナーズと交渉を進めた。

2009年5月、当社の連結子会社となっていた多くの地方交通事業会社を譲渡することを発表した。具体的には、宗谷バス、北海道北見バス、斜里バス、網走交通バス、上電バス、上田電鉄タクシー、草軽観光バスの7社の株式と東急鯱バスが新設する分割準備会社の株式を、ジェイ・ウィル・パートナーズが運営管理する合同会社に譲渡するというものであった。この内、草軽観光バスについては親会社の草軽交通のバス事業などを草軽観光バスに吸収分割したうえで、草軽観光バスの株式を譲渡。東急鯱バスについては同社のバス事業および同社100%子会社である旅行業の東急サービス(現在の東急プロパティマネジメントの前身会社と同名であるが別会社)の株式を、新設する分割準備会社に吸収分割したうえで、分割準備会社の株式を譲渡することとした。8社の株式譲渡は2009年10月に完了した。

表8-2-6 東急グループの地方公共交通事業における「選択と集中」(2000年代)
注1:社内資料をもとに作成
注2:上記とは別に、伊豆急ホールディングスが同社子会社の伊豆急東海タクシーを静岡県内のタクシー会社の経営者に譲渡(2022年4月1日)

8-2-6-2 上田交通の鉄道事業を分社化、上田電鉄が誕生

1969(昭和44)年に定山渓鉄道(現、じょうてつ)が鉄道事業を廃止して以降、地方で鉄道事業を営んでいるグループ会社は伊豆急行と上田交通の2社であった。

上田交通は2003(平成15)年の時点で、別所線(上田〜別所温泉間)11.6kmの鉄道のほか、不動産業、上田駅前のホテル(上田東急インなど2ホテル)、上田市郊外にある鹿教湯(かけゆ)温泉ホテル、菅平高原のスキー場を営んでいた。鹿教湯(かけゆ)温泉ホテルは、1989年に全面新築開業したが、1998年度、1999年度に当期損失を計上するなど苦しい経営が続いていた。鉄道事業については、沿線人口が微増しているにもかかわらず、マイカーの普及に伴う鉄道離れで、1997年から2002年の間に輸送人員が約27%減少しており、収益が悪化。不動産販売事業に頼った経営状況であった。

表8-2-7 上田電鉄別所線の輸送実績
注:日本民営鉄道協会「みんてつ」2017年秋号をもとに作成

こうしたなか、上田交通の経営にとくにインパクトをもたらしたのは、鉄道保安施設への設備投資の必要性である。背景には2000年と2001年に京福電気鉄道の越前本線で電車同士の衝突事故が半年の間に2回発生し、設備の更新が長らく放置されていたことが原因とされたことであった。事態を重く見た国土交通省は全国の中小鉄道事業者に対していっせいの安全点検による「安全性緊急評価」を実施し、安全対策を求めた。

上田交通では摩耗したレールの取り替えや腐食まくら木の交換、軌道の道床交換、踏切道の保安向上など、今後10年間に必要な対策への投資額は15億円に及ぶと見込まれた。これは上田交通1社で賄える投資額ではなく、当社と上田交通は上田市に対して支援を要請した。上田交通は2004年12月、別所線に対する助成について上田市との間で「別所線の運行に関する協定書」を締結し、公的助成を受けながら鉄道事業を当面維持することとした。

また上田交通は、補助金の受け入れにあたり、経営の透明性を高めるために、鉄道事業を独立会社化することを申し入れ、2005年10月、上田交通の会社分割により、鉄道事業専業の同社完全子会社となる上田電鉄株式会社を設立し、同社に鉄道事業を承継させた。

8-2-6-3 伊豆急グループの再編と利用促進

伊豆急行は、2005(平成17)年4月の会社分割により再スタートを切り、鉄道事業専業の当社完全子会社となった。

同社ではバブル景気を背景に、輸送人員が1991年度に初めて1000万人を超えたあと、減少の一途をたどり、2011年度には500万人を割り込んだ。とくに観光客の減少が、輸送人員の約4分の3を占める定期外利用に大きな影響を与えた。

伊豆急行の場合は全線の約3分の1がトンネル区間で、橋梁の数が170を超えており、他の鉄道と比べると設備維持のコストの負担が大きい。地方鉄道事業者にとって安全対策にかかわる補助制度は欠かせないものとなっており、伊豆急行は、国、静岡県、沿線4市町の協力の下、鉄道施設の老朽化対策として2008年度に始まった「鉄道施設総合安全対策事業」の補助金などを活用し、安全対策工事や旅客サービス設備などへの投資を進めた。

鉄道以外では伊豆バイオパーク、伊豆急スポーツセンター、伊豆急マリン、ルネッサ稲取高原の4事業を、2007年5月に加森観光へ譲渡するなど、事業の見直しを進めた。同地での事業推進体制の再編について検討を進め、2011年12月に中間持株会社を設立し、伊豆急グループを一元管理する体制に移行して、経営効率化を図ることを決定した。

まず、伊豆急行が株式移転により中間持株会社「伊豆急ホールディングス株式会社」を設立し、会社分割により伊豆急不動産のすべての事業(一般管理等を除く)を子会社の伊豆急コミュニティーに承継。伊豆急不動産所有の子会社株式を伊豆急ホールディングスが取得し、2012年4月から、伊豆急行をはじめ、伊豆急グループ各社は伊豆急ホールディングスの傘下となった。

図8-2-11 伊豆急行グループ再編のスキーム図
注:ニュースリリース(2011年12月28日)をもとに作成

こうして体制再編を進めるなかでも、当社と伊豆急行などは共同で、伊豆地域における観光事業の活性化、鉄道をはじめとするグループ施設の利用促進に取り組んだ。例えば、東急線の主要駅などで折々の伊豆観光キャンペーンを実施、春を告げる河津桜の開花関連のイベント、夏休みシーズンに合わせた伊豆急カラーの列車「伊豆のなつ号」の運行や「電車とバスの博物館」でのイベント開催などである。2012年からは全15駅の「オモシロ駅長」を一般から公募した。

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