第8章 第1節 第1項 中期経営計画の変遷

8-1-1-1 越村社長の就任と「中期3か年経営計画」(2005年度〜2007年度)

2000(平成12)年以降、「選択と集中」に徹し、財務的課題の克服、グループ経営改革に一区切りがついたことを踏まえ、2005年4月、成長路線に軸足を置き、新たな「中期3か年経営計画」(2005年度〜2007年度)をスタートした。また、詳細は第9章で述べるがコーポレート・ガバナンス(企業統治)の強化として、このときに執行役員制度を導入、経営と執行の権限と責任を明確にして業務執行体制の強化を図った。さらに、6月には、上條社長が会長に、越村敏昭専務が社長に就任し、新経営体制の下で、中期経営計画(以下、中計)が推進された。

越村敏昭社長

越村社長は、1964(昭和39)年4月当社入社、人事部、ホテル事業部などを経て経営企画室長、人事部長、コーポレート統括本部長を歴任。1999年6月常務取締役、2001年6月専務取締役、2003年6月に代表取締役に就任。ホテル事業や海外事業の新しい形での展開を推進したほか、四大拠点開発プロジェクトを着実に進捗させた。

本中計では、10年後のビジョンとして、二つの姿が描かれた。一つは、東急グループにとって重要な東急線沿線が「選ばれる沿線」として勝ち残ること。もう一つは、東急グループが当社を中心とした強い利益集団を形成していること。その実現に向けて、基本戦略を「東急線沿線での事業連携による収益構造の変革と持続的成長の実現」とした。

東急線沿線における成長戦略は、交通事業、不動産事業、リテール関連事業を三つのコアと位置づけ、それらコア事業の相互連携を推進力として、「エリア戦略の深化」「沿線拠点開発の展開」「リテール関連事業の推進」の三つの個別戦略を推進することとした。

「エリア戦略の深化」は、沿線を四つのエリアに区分し、それぞれのエリア特性に合った事業戦略指針の下で実効性の高い事業や施設を展開するもの。「沿線拠点開発の展開」は、主要駅周辺での拠点開発によって、人口の定着、消費の吸引、昼間の輸送や都心から逆方向への輸送の拡大を図るもので、四大拠点(渋谷、二子玉川、たまプラーザ、永田町)の開発を進める。また「リテール関連事業の推進」は、沿線における施設配置を全体最適の観点から推進し、沿線での消費を当社やグループ各社に取り込むことをめざした。

図8-1-1 中期3か年経営計画で示された「エリア戦略の深化」 区分された四つのエリア
出典:ニュースリリース(2005年3月28日)

この中計については、持続的成長を支える健全性の確保のために設けられた2007年度末(2008年3月末)の三つの経営目標数値指標を達成したが、個別戦略に掲げた施策については、継続して取り組みを深める必要があると総括された。

2005年3月発表の中期3か年経営計画でエリア戦略として示された沿線拠点開発における「えんどう豆」構造

8-1-1-2 人口動態変化を見越した「中期3か年経営計画」(2008年度〜2010年度)

2005(平成17)年度からの中計の進捗や、社会、経済環境の変化を踏まえて、2008年4月に「中期3か年経営計画」(2008年度〜2010年度)をスタートした。前中計の、中長期ビジョン(2015年までにめざす姿)を「東急線沿線が『選ばれる沿線』であり続ける」「東急グループが電鉄(当社)を中心とした自立的で強い企業集団になる」と改め、このビジョンの実現に向けた基本戦略を「人口の質的・量的変化を先取りした事業展開」とした。

当時は、少子高齢化が顕著になり、さらにかねてから予想されていた日本の人口減少が進み始めていた。東急線沿線17市区の総人口は2035年ごろまで増加する見通しではあったが、65歳以上の高齢者(シニア)の占める割合が増え、経済活動が活発な生産年齢(15歳〜64歳)人口は2025年ごろがピークと予想されていた。こうした人口動態の変化を見越した事業展開を進めることを示したのが、この基本戦略である。

そして、各部署セグメントの連携、融合によって、グループ相乗効果を発揮しながら、三つの重点課題に取り組むこととした。重点取り組み課題の一つは、「不動産事業の構造転換(不動産賃貸事業へのシフト)」で、多摩田園都市における販売用土地の在庫枯渇が間近に迫るなかで、不動産販売から不動産賃貸へと軸足を移すものである。二つ目は、「資産ポートフォリオマネジメントによる資産最有効活用」で、当社および連結子会社の資産について、組織の垣根や過去からのしがらみなどの要因で高度利用が進まないものを、連結全体の見地から、最適な活用策を検討、実行するもの。これを進めるために、越村社長を議長とする資産ポートフォリオ委員会を新設した。三つ目は、「恒常的なグループ最適事業ポートフォリオの追求」で、当社連結企業群として行うべき事業分野、地域ドメインを明らかにし、事業構成の最適化を図ることとした。

図8-1-2 資産ポートフォリオ委員会の位置づけ
出典:「中期3か年経営計画 投資家様向け説明会資料」(2008年3月28日)

本中計がスタートして半年後の2008年9月、米国投資銀行の経営破綻を契機にリーマンショックが起き、世界同時不況に陥った。日本国内でも株式や不動産などの資産価格が暴落、緩やかな回復基調にあった日本経済に冷や水を浴びせられた。

8-1-1-3 リーマンショックと「中期2か年経営計画」(2010年度〜2011年度)

リーマンショックによる急速な景気後退の影響により、計画の前提が大きく変化したため、内容を見直し、2010(平成22)年5月、改めて「中期2か年経営計画」を策定した。

同中計では、中長期ビジョンと基本戦略は前中計をそのまま踏襲し、重点取り組み課題を「コア事業の収益力強化による成長」「資産ポートフォリオおよびグループ事業ポートフォリオの徹底」「全社的な事業の効率性追求」の三つとした。

図8-1-3 中期2か年経営計画の骨子
出典:「中期2か年経営計画 投資家様向け説明会資料」(2010年5月18日)

この計画では、コア事業のなかでも鉄道や不動産事業を軸とした集中すべき事業領域をより明確化し、その事業領域の収益力を強化する過程で、不動産資産や競争が激しいリテール事業などは当社・連結子会社全体で「残す事業・資産」「売却する事業・資産」を選別して、資産および事業ポートフォリオのあるべき姿に近づけていこうという考えであった。また、2010年度中には四大拠点開発プロジェクトの内、二子玉川、たまプラーザ、永田町の各大規模プロジェクトなどが開業することから、中長期ビジョンの実現に向けて、さらなる街の活性化をめざした。

リーマンショックの影響は当初、長期化することも懸念されたが、2011年度内にはおおむね落ち着きを取り戻し、2011年7月には後述するTOKYUポイントの活用をはじめとしたグループマーケティングの強化、インバウンドの獲得やベトナムをはじめとした海外での新たな事業展開、グループ横断的なICT戦略の推進などを担う事業戦略室(2011年4月に設置した事業戦略部を改組)を設置するなど、将来の成長に向けた基盤整備が進んだ。

8-1-1-4 野本社長の就任と「中期3か年経営計画」(2012年度〜2014年度)

中期2か年経営計画が進捗するなか、2011(平成23)年4月、越村社長が会長に、野本弘文専務が社長に就任した。この直前の3月には、東日本大震災が発生し、国難ともいうべき状況にあったが、野本社長は4月1日の就任あいさつで「社会に必要なことを事業化し、継続することが企業の使命であり、東急線沿線から元気を発信していこう」と社員にメッセージを発し、「三つの日本一」をめざすことを標榜した。そしてこの考えが、次の経営計画に盛り込まれた。

野本社長は1971(昭和46)年当社入社。2003年経営統括本部メディア事業室統括室長、2004年イッツ・コミュニケーションズ取締役社長、2007年当社取締役開発事業本部長。常務、専務を経て、2011年代表取締役社長となった。

野本弘文社長

新たに策定された「中期3か年経営計画」(2012年度~2014年度)では、中長期ビジョン、すなわち2022(令和4)年にありたい姿を「東急沿線が『選ばれる沿線』であり続ける」「『ひとつの東急』として、強い企業集団を形成する」とし、さらに、選ばれる沿線を実現するために、「日本一住みたい沿線 東急沿線」「日本一訪れたい街 渋谷」「日本一働きたい街 二子玉川」の「三つの日本一」をめざすことを掲げた。また「交通」「不動産」そしてリテールを含めた「生活サービス」を三つのコア事業と位置づけ、事業別の重点施策として、「鉄道ネットワークの整備と安全対策の継続」「渋谷、二子玉川をはじめとする沿線開発の更なる推進」「沿線における生活サービス事業の推進および連携強化」「沿線開発ノウハウを活かした海外での街づくり事業の展開」を進め、グループのトータルバリューの発揮によって、地域の生活価値を創造し続けることとした。

図8-1-4 中期3か年経営計画における「中長期ビジョン」
出典:ニュースリリース(2012年3月27日)

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