第8章 第3節 第2項 二子玉川プロジェクト(二子玉川ライズ)の進展

8-3-2-1 市街地再開発事業への道程

当社は2005(平成17)年の「中期3か年経営計画」において、個別戦略の一つに「沿線拠点開発の展開」を挙げた。沿線開発が一巡するなか、沿線の価値を高める牽引役となる地区の開発、すなわち拠点開発を進め、沿線施設を充実させるもので、この中期経営計画期間においては、二子玉川やたまプラーザなどの開発が進んだ。

二子玉川のプロジェクトは、「二子玉川東地区第一種市街地再開発事業」として、2000年6月に都市計画が決定された。事業面積は約11.2haでその規模は都内で最大級である。1980年代に検討が始まり、長い年月を経て着手したもので、2008年4月には、本事業によって誕生する街全体の名称が「二子玉川ライズ」と決定された。

二子玉川は、1907(明治40)年に玉川電気鉄道により玉川〜渋谷間が開通し、その後、1922(大正11)年、同社により玉川第二遊園地が開業した。1929(昭和4)年、目黒蒲田電鉄の大井町線が開通すると市街地化が進んだ。また多摩川沿いには料亭が並び、川遊びや遊園地に訪れる人でにぎわった。1954年、東急不動産が先の遊園地を「二子玉川園」として開園すると、にぎわいはさらに高まり、二子玉川は郊外のレクリエーション拠点として位置づけられた。

しかし、1960年代には急速に都市化が進み、多摩川の水質悪化によって、レクリエーションの場としての性格が弱まった。1969年には、国道246号の西側に玉川髙島屋ショッピングセンターが開業し、レジャーの多様化などによる二子玉川園の客足減少もあり、人の流れは西側に移っていった。

このため1982年6月に地元で「再開発を考える会」が発足、1983年に「二子玉川東地区再開発準備会」に名称変更し、1987年7月に「二子玉川東地区再開発準備組合(以下、準備組合)」に移行した。再開発とはどういうものか、商売や生活がどう変わるのか、地権者の勉強も進められ、再開発に向けた機運が高まっていった。当社も、1985年に閉園した二子玉川園の跡地利用も含めて、再開発に向けた検討を進め、1986年に専門のプロジェクトチームをビル事業部内に設置した。1990年発表の「東急アクションプラン21」では、重点事業の一つに「二子玉川再開発」を挙げ、以降、二子玉川再開発部が、地元地権者や行政と一体となった取り組みを進めた。

1991年1月、準備組合による「施設計画原案」が策定され、新たな街づくりは緒に就いたと見られたが、バブル崩壊に伴って計画は見直しが必至となり、再開発事業は仕切り直しとなった。当社は近い将来の事業着手を見据えて、鉄道施設の整備を先行することとし、大井町線の二子玉川以西の延伸工事や二子玉川駅の改良工事を進めた。また再開発着手までの二子玉川園跡地の暫定利用として、1992年2月にテーマパーク「ナムコ・ワンダーエッグ」やヨット・ボート・クルーザー展示場、輸入自動車展示場、レストランなどを集めた都市型リゾートパーク「二子玉川タイムスパーク」を開業した。

二子玉川園の跡地に開業した「二子玉川タイムスパーク」(1992年)

準備組合では再開発計画の見直しを進めた。このころ、集合住宅を中心に都心回帰の傾向が見られてきたことから、オフィス、商業施設、マンションからなる施設計画見直し案が1996年にまとめられ、環境アセスメントの実施を経て、2000年6月に都市計画決定がなされた。

経済情勢の変化などを考慮しつつ早期の事業実施を模索した結果、2期に分けて段階的に事業を実施することとなった。第1期分の地権者の3分の2以上の同意を経て二子玉川東地区市街地再開発組合の設立認可を東京都に申請。2005年3月にこれが認可されて設立総会を開催し、本格的に始動することとなった。「再開発を考える会」の発足から実に20年以上が経過しており、待望の再開発事業のスタートであった。

なお第1期事業の事業主体は二子玉川東地区市街地再開発組合で、主要地権者である当社と東急不動産が、組合員および参加組合員として事業に参加した。後述する第2期も同様である。

表8-3-2 二子玉川周辺の年表(2005年まで)
注:『会社概要2015/2016』をもとに作成

8-3-2-2 第1期事業でタワーマンションや商業施設などが開業

二子玉川市街地再開発事業は三つの街区で構成されており、第1期事業では、駅周辺のI街区(I-a・I-b街区)と、整備が計画されていた都市計画公園(現、世田谷区立二子玉川公園)に隣接するIII街区、そしてII街区の内北側の一部(II-b街区)で事業を施行することとなった。施行面積は合わせて約8万1000㎡である。II街区の大半(約3万1000㎡)は第2期事業とした。

図8-3-1 二子玉川再開発の全体計画図
出典:「二子玉川の街づくり」(2020年)

個々の街区ごとに見ていくと、国道246号と駅の合間に位置するI-a街区に地上8階・地下2階建ての商業棟を1棟、駅東側に隣接したI-b街区には地上8階・地下2階建ての商業棟と、地上16階・地下2階建ての商業・オフィス棟の合計2棟を建設し、I街区は駅を中心に、商業施設によるにぎわいを形成する計画であった。

また多摩川や都市計画公園に面するIII街区は住宅街区とし、地上42階建て1棟・28階建て2棟のタワーマンションと6階建てマンション2棟、合計5棟建設。このほか低層の商業棟1棟を建設し、住宅棟に居住する住民の利用を想定した生活利便施設などを整備することとした。

2007(平成19)年12月にIII街区の建築工事に着手、2008年4月に、I街区の工事に本格的に着手し、同時に、再開発によって生まれる街の名称を「二子玉川ライズ」とした。「豊かな自然を育む太陽が、街に集う人々を輝かせ、新しい上質な暮らしをもたらす」という街のイメージを表したものである。

当社と東急不動産は、住宅事業および商業・オフィス賃貸事業を担った。住宅事業については、III街区全体の名称を「二子玉川ライズ タワー&レジデンス」とし、合計で1033戸を両社で分譲する計画で、2008年8月にモデルルームを開設、同年11月から販売を開始した。

二子玉川というエリア、駅から徒歩6分という立地、多摩川や国分寺崖線、隣接する都市計画公園などの自然環境に加えて、免震構造や耐震構造を採用し、24時間有人管理などのセキュリティ体制を整えた安全性、敷地の緑被率30%以上、同地の既存樹木の外構への移植などの環境配慮などが評価されて、中心価格帯が8000万円台から9000万円台という高額ながら、都内をはじめ広いエリアから関心が寄せられた。

2008年9月のリーマンショック以降はマンション不況ともいわれたが、契約率は順調に推移した。「二子玉川ライズ タワー&レジデンス」は2010年5月と7月に竣工した。

二子玉川ライズ タワー&レジデンス

商業・オフィス賃貸事業については、I-a街区に、当社と東急不動産、地元地権者の共同で商業施設「二子玉川ライズ ドッグウッドプラザ」を開業。I-b街区には当社と東急不動産が商業施設「二子玉川ライズ ショッピングセンター」と「二子玉川ライズ オフィス」を開業した。

この内二子玉川ライズ・ショッピングセンターは、第1期事業の締めくくりとして、 2011年3月17日のグランドオープンを予定していた。ところが3月11日に東日本大震災が発生し、オープンを延期することにした。震災後、流通などのインフラがなかなか正常化せず、首都圏の各店舗で食料品をはじめとする生活必需品が品薄となっていった。こうした状況を受け、地元住民の生活インフラとしての役割を果たすため、同月19日に食料品売り場を中心にオープンした。当初予定していた商品構成には及ばなかったが、「やっと近隣で食料品が買えた」など、地元住民から安堵や喜びの声が寄せられた。

建設が進む「二子玉川ライズ」(全景)
二子玉川ライズ ショッピングセンターの大きな吹き抜け「ガレリア」

8-3-2-3 第2期事業で賃貸オフィスなどが開業、「二子玉川ライズ」の全体開業へ

二子玉川再開発の第2期事業については、第1期の事業主体である二子玉川東地区市街地再開発組合と、当社、東急不動産、行政(東京都、世田谷区)により、2005(平成17)年8月に「総合まちづくり協議会」を発足し、基本計画や事業の進め方などについて協議を進めてきた。その結果、第2期事業についても市街地再開発事業の枠組みで推進することとなり、2010年7月に二子玉川東第二地区市街地再開発組合が認可、設立された。

第2期事業の対象はII-a街区(図8-3-1を参照)である。主要施設として、多摩川側に地上30階・地下2階建ての高層ビル(二子玉川ライズ・タワーオフィス)を建設し、2〜27階をオフィス、28〜30階をホテルとするほか、地上4階建ての商業棟を建設する計画であった。また、世田谷区立二子玉川公園の整備に合わせて、駅から公園へと至る歩行者専用通路「リボンストリート」を整備し、商業棟に屋上緑化を施すなど、街全体の調和を図りながら、再開発事業の仕上げとすることが計画された。着工は2012年1月であった。

「二子玉川ライズ」の施設配置図(第1期・第2期)

第2期事業では当社と東急不動産が商業・オフィス賃貸事業を行った。オフィスフロアをすべて楽天株式会社に賃貸し、ホテルフロアには東急ホテルズが「二子玉川 エクセルホテル東急」を出店することが決定した。

商業棟は、東急レクリエーションが世田谷区では初めてとなるシネマコンプレックス「109シネマズ二子玉川」を、東急スポーツシステムがフィットネスクラブ「アトリオドゥーエ二子玉川」を、イッツ・コミュニケーションズが放送スタジオ・多目的ホール「iTSCOM studio hall」を展開することとなった。

また東急グループ以外では、カルチュア・コンビニエンス・クラブが新しいライフスタイルストア「蔦屋家電」を出店するなど、多彩なテナント構成が決定した。

商業施設は、「二子玉川ライズ・ショッピングセンター・テラスマーケット」として、2015年4月に開業し、二子玉川 エクセルホテル東急は7月に開業、またオフィスフロアでは6月に、楽天グループの入居が始まった。

1982(昭和57)年の「再開発を考える会」の発足から実に33年、長い歳月を要して、二子玉川東地区に新しい街が完成した。

二子玉川ライズ第2期「テラスマーケット」が開業

8-3-2-4 二子玉川ライズの魅力を持続的に

二子玉川の開発は都内でも最大級の市街地再開発事業で、第1期の組合設立から第2期の開業に至る約10年間、資金的な問題も含め、折々の課題を解決しながら進めてきた。とくに腐心したのは、二子玉川の街をどのように魅力づけしていくかにあった。

第1期、第2期を通じた再開発事業のコンセプトは「水と緑と光」である。多摩川や国分寺崖線などの自然環境と調和する街づくりを進めることで、この街に住む人、この街で働く人、この街を訪れる人にとって心地よい都市空間となるよう全体計画が練られた。事業着手にあたっては、上質な都市景観を構築できるよう、全体のランドスケープおよび建物外装のデザイン監修をコンラン&パートナーズに委託。駅から都市計画公園へと続く長い敷地形状を生かし、にぎわいの中心となる駅から華やかな商業施設、そして公園へとつながる歩行者専用通路「リボンストリート」を配置し、景色の変化を楽しみながら都市と自然を快適に行き来できるようにした。

第2期事業においては、原っぱ広場や青空デッキ、めだかの池、菜園広場などで構成される、約6000㎡のルーフガーデンを整備。また、多摩川流域と同じ樹木などによる植栽計画を採用した。第2期事業全体で緑化率40%を確保し、多摩川の原風景を再現したことが評価され、公益財団法人日本生態系協会の評価認証制度において生物多様性「JHEP認証」で最高ランクのAAAを取得した。

再開発事業で整備されたルーフガーデンの「めだかの池」

二子玉川ライズ・タワーオフィスでは、熱負荷を低減するダブルスキンカーテンウォールを外壁に採用したほか、太陽光発電装置やLED照明の設置、雨水利用や中水処理による節水など、さまざまな環境配慮を行った。また複層合わせガラスや自動換気用開閉窓、高効率空調の採用などで空調負荷を低減した。

こうした取り組みにより、2015(平成27)年8月、米国グリーンビルディング協会が開発した環境認証評価レベルであるLEED(Leadership in Energy and Environmental Designの頭文字)のゴールド認証(新築ビル部門)を、まず二子玉川ライズ・タワーオフィスにおいて取得、続けて同年11月に二子玉川ライズ全体および世田谷区立二子玉川公園を対象(図8-3-1の範囲)としてゴールド認証(まちづくり部門)を取得した。新築ビル部門は国内4例目、まちづくり部門では世界初のゴールド認証取得であった。さらに2016年2月には、コンパクトな複合機能都市の形成や生態系保全、エネルギー資源の高効率化などの環境配慮型の街づくりが評価され、第25回地球環境大賞(グランプリ)を受賞した。過去に当社は地球環境大賞を二度受賞したことがあるが、グランプリは初受賞であった。

LEEDまちづくり部門ゴールド認証の授与式
出典:『とうきゅう』2016年1月号
地球環境大賞(グランプリ)受賞の際に制作したポスター

第2期事業の着手を前に、「クリエイティブシティ」を標榜したのも、二子玉川の新たな魅力を創出する一助となった。当時、二子玉川は大規模なオフィスの集積がなく、東京都心部と比較し、働く場(ワークスペース)としての認知度は低いものであった。二子玉川が四大開発拠点として位置づけられるなか、当社では、二子玉川のオフィス需要を高める仕掛けを模索していた。

2010年8月、株式会社三菱総合研究所、コクヨファニチャー株式会社、東京電力株式会社、日本アイ・ビー・エム株式会社、日本電信電話株式会社と当社の6社が発起人となって、クリエイティブ・シティ・コンソーシアムが設立された。これはクリエイティブ産業の集積、発展に必要な都市環境要件を検討する団体で、二子玉川がモデル地区とされ、実証実験やシンポジウムなどの対外発信が行われたのである。活動拠点となる「カタリストBA」が二子玉川ライズ・タワーオフィス内に設けられ、当社はフロアオーナーとして運営に参画した。クリエイティブワーカーが集い、交流するしくみをつくるなか、新しい乗り物を使った走行体験などイノベーティブな社会実験が行われたことも世間の注目を集め、働く場としての二子玉川が広く認知されるようになった。

「クリエイティブ・シティ・コンソーシアム」の活動拠点などとして活用された「カタリストBA」

二子玉川ライズは街区ごとに権利者の構成が異なっており、こうした場合、街区ごとに管理・運営がなされるケースが多いが、二子玉川ライズでは権利者間で協定を結び、当社が全体を一つの街として一体的な管理、運営、情報発信などを行う「タウンマネジメント」に取り組んできた。そのため、街の骨格が形成されたのちも街の質的向上に継続して取り組んでいる。これには、当社が多摩田園都市の開発を通じて得た都市経営のノウハウ・知見が活かされている。

こうした二子玉川ライズの活動が呼び水となり、2015年4月、「二子玉川エリアマネジメンツ」(2019年1月に一般社団法人化)が発足した。地元町会、玉川髙島屋ショッピングセンターを運営する東神開発株式会社、当社が構成会員となり、世田谷区がアドバイザーとして参画するもので、官民連携でエリアマネジメントを推進していくこととなった。活動範囲を二子玉川ライズという一商業施設の枠内に限定せず、地域社会と連携しながら街の課題と向き合い、二子玉川の持つ豊かな自然や歴史、人と人とのつながりなどの地域資源を活用し、持続性のある街づくりの循環をめざしている。

そして、2019(令和元)年5月には商業施設の「二子玉川ライズ・ショッピングセンター」が一般社団法人日本ショッピングセンター協会主催の「第8回日本SC大賞」を受賞した。

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