第8章 第5節 第1項 「第3のコア」に位置づけたリテール事業

8-5-1-1 リテール事業が抱えていた課題の克服に向けて

当社のガバナンスによって東急グループの選択と集中を推し進めていた2000年代初頭から、百貨店、スーパーマーケット、ショッピングセンターといった商業施設が抱えている課題や、今後の流通業各社や各業態のあり方についても、たびたびコーポレート会議で意見交換が行われた。

このころ東急百貨店は、百貨店業界全体の不振に加えて、過去の業容拡大で生じた負の遺産処理が進まないことで、業績が低迷していた。人員削減を柱とするリストラを3度行ったうえで、最終的には資本政策の断行により、当社の完全子会社とすることを2004(平成16)年9月に発表した(完全子会社化は2005年4月)。同社に次ぐ売上規模の東急ストアの業績は比較的堅調であったが、食料品以外に衣料品や日用品など幅広く品揃えをしたGMS業態店や、沿線から離れた地方店の不振が大きな課題であった。またショッピングセンター運営を担う2社において、当社完全子会社である東急マーチャンダイジング アンド マネージメントは八王子東急スクエアと青葉台東急スクエア、そして東急百貨店子会社から当社完全子会社に移行した東急商業開発(前身は1978<昭和53>年設立のティー・エム・ディー)は港北東急百貨店ショッピングセンターの業績低迷がそれぞれ大きな負担となっていた。

これら商業分野の各事業は2005年以降、「リテール事業」と称された。そしてこれまでリテール各社は、それぞれ個別最適による企業経営に邁進し、東急グループのリテール事業として統率がとれていなかった点が課題として指摘された。例えば、各社の店舗が同じ顧客層を奪い合っている、取引先に関する情報が共有されていないなど、営業面での連携が図られていなかったのである。さらなる脅威となったのは、沿線地域内への大型ショッピングセンターの進出(ららぽーと横浜、2007年3月開業)であった。

こうしたなかで当社は2005年4月からの「中期3か年経営計画」において、リテール事業を、鉄軌道、不動産に次ぐ第3のコア事業に位置づけた。

2005年4月の業務組織改正では、リテール事業本部を新設、併せてリテール各社との調整窓口としてリテール関連事業推進会議を設置した。東急総合研究所によるマーケティング情報を活かし、沿線地域それぞれの市場特性に合わせたリテール施設(店舗)の最適配置のあり方を検討し、「東急グループリテール事業リファイン・プラン」を策定。これを2006年2月に対外的に発表し、東急グループのリテール事業が一体となって沿線生活に貢献していくことを示した。

図8-5-1 リファイン・プランで設定されたリテール事業のポートフォリオ
出典:ニュースリリース(2006年2月17日)

この「リファイン・プラン」の一環として、2006年3月に港北東急百貨店ショッピングセンターの核店舗である東急百貨店の売り場を大幅に縮小して、専門店(ショッピングセンター)化(百貨店の完全撤退は2011年)したほか、南町田グランベリーモールに新棟(オアシススクエア)を開業。さらに商業施設運営業の一本化として、2002年12月に東急商業開発を当社の完全子会社とし、2006年4月に同社と東急マーチャンダイジング アンド マネージメントの2社を合併、前者を存続会社とし、社名を東急モールズデベロップメントに改めた。これにより、同社は当社と東急百貨店系列が経営する商業施設の運営会社となり、SHIBUYA109やグランベリーモール、東急スクエアなど13施設を担うこととなった。また、その後開業した各商業施設の運営を原則として同社が担うこととなり(一部はマスターリースとPM業務も含める)、現在では、当初は当社直営でスタートしたエトモも含め約30施設の運営と直営事業として、週替わりで街のスイーツ店を出店させる期間限定店舗スペースを駅構内やエトモなどに8か所有している。

表8-5-1 東急モールズデベロップメント運営商業施設一覧(2015年12月)
注1:社内資料をもとに作成
注2:上記以前の開業閉店など店舗 TOYAMA109(FC店、1986.3.29開店、2000.9.30閉店)、ONE-OH-NINE30S(※1、1988.4.30開店、2005.4.30閉店)、金沢109-②(※1、1989.10.7開業、1994.10.31閉店)、109UTSUNOMIYA(※1、2001.10.6開業、2005.7.31閉店)、109MACHIDA(※1、2002.7.20開業、2005.7.31閉店)、たまプラーザ東急SC(※2、1987.10.20開業、2009.10.22たまプラーザテラスの一部<ノースプラザ>に)
※1:旧東急商業開発運営施設
※2:旧東急マーチャンダイジング アンド マネージメント運営施設
※3:現、SHIBUYA109エンタテイメント(後述)運営施設

その後、2012年3月発表の「中期3か年経営計画」では、当社のコア事業を交通、不動産、生活サービスの三つと再定義。リテール事業は飲食店事業やフィットネス・スポーツ・カルチャースクール事業、学童保育事業、セキュリティ事業、ケーブルテレビ事業、カード事業などと共に「生活サービス事業」を構成し、沿線価値向上の一翼を担う位置づけとした。これと同時に、二子玉川ライズ・ショッピングセンターやたまプラーザ テラス、そして渋谷ヒカリエの開業を踏まえた「リファイン・プラン」の見直しも行った。

8-5-1-2 東急百貨店の動向

かつて幅広いカテゴリーで高級志向の商品やサービスを取り揃え、消費生活を彩ってきた日本の百貨店も、消費者ニーズの多様化や個性的な商業施設の登場などにより、相対的に存在価値を低下させた。これにバブル崩壊後の長期的な消費低迷、ネット通販の台頭などが加わり、全国の百貨店合計の年間売上総額は1998(平成10)年から2012年まで15年連続で対前年マイナスを記録、ピーク時の1991年12兆円から2012年6.6兆円へと大幅に減少した(経済産業省「商業動態統計」より)。この間には旧呉服店系・鉄道系・流通系を問わず、持株会社化による経営統合や不採算店の閉店などドラスティックな再編が続いた。

東急百貨店は各地の名店銘品を集めた「東横のれん街」や、デパ地下ブームの先がけとなった「東急フードショー」といった食料品売場で強みを発揮してはいたものの、百貨店業界全体の低迷と無縁ではなかった。2005年4月には当社完全子会社として再出発を図ったが、利益体質への道はなお険しく、これ以降も資産(子会社や株式)の譲渡を進め、沿線外店舗(きたみ東急百貨店)を閉店したほか、沿線内では競争力が低下した郊外店舗を中心に、自主売場を縮小して外部テナントに賃貸することで経営の立て直しを図った。

とくに2006年以降は港北や日吉で順次フロアごとの賃貸化を進め、2008年3月に日吉東急百貨店を「日吉東急アベニュー」に、港北東急百貨店S.C.を「港北 TOKYU S.C.」に改称、それぞれ百貨店からショッピングセンターへと変わった。小田急・JR町田駅周辺は商業施設の激戦地で、競合店の再編も目まぐるしかったが、同地に展開する東急グループ3社(当社、東急百貨店、東急ハンズ)は商業施設の最適配置と各施設の刷新を実施した。具体的には、東急百貨店町田店の2館の内百貨店ビルを専門店ビルとし、既存専門店ビルと合わせて2館からなるショッピングセンターに一新、名称を「町田東急ツインズ」とした。そして当社が所有し東急ハンズに賃貸していたビルを他社に全館一括賃貸し、東急ハンズは町田東急ツインズの核テナントとして入居することとした。

  • 日吉東急アベニューに改称された日吉東急百貨店
  • 町田東急ツインズ(2008年)

こうした「百貨店からショッピングセンターへの業態転換」は、百貨店会社の生き残り策として広く用いられる手法となったが、とくに日吉と町田の業態転換は業界の先鞭をつける形で成功例として注目された。

同じく業界での先駆となったのは、渋谷ヒカリエに開業した東急百貨店運営施設「ShinQs」の婦人靴売場で採用したハイブリッド売場である。通常は百貨店による自主売場、委託売場、テナントごとの売場が区切られているが、この境界線を排した陳列を実現。買い手側の視点を重視した斬新な売場づくりが、来館者から好評を得た。

渋谷ヒカリエShinQsの売場

このほか現状打開策として、他社との業務提携もさまざま試行した。この内伊勢丹との業務提携は、結果的に道半ばとなったが、提携期間中(2007〜2015年)は伊勢丹出身者の社長が2代続いた。

渋谷再開発がスタートするなか、2013年3月、東急百貨店の始まりである東横店は、東館を閉店し、西館と南館で営業を継続した。

8-5-1-3 東急ストアの動向

当社が沿線に経営資源を集中させるなか、沿線にスーパーストアを展開する東急ストアは重要な役割を担っている。同社は新業態の高級スーパー「プレッセ」の展開、東扇島流通センター(川崎市)の機能拡大など、独自の取り組みによる成長を志向していた。

2000年代初頭に愛知県知多半島のスーパーストアを相次いで閉店し、2007(平成19)年3月には福岡県筑紫野市に展開していた大型施設「筑紫野とうきゅうショッピングセンター」を閉店して外部に譲渡した。いずれも当社の開発に伴って出店したものであった。

これにより事業地域はおおむね首都圏に集約されることとなったが、2006年4月に錦糸町、2007年4月に河辺(青梅市)に出店するなど、沿線外にも出店した。沿線外店舗は総じて低調で利益確保に窮しており、時流に合わなくなってきたGMS型店舗も含め赤字店の撤退は必至であったが、そのスピードは必ずしも速まらなかった。

東急ストアは2002年4月に当社の連結子会社になっていたが、スーパーストア業界の再編が活発化するなか、当社のガバナンスを強化するため、2008年7月に完全子会社化し、当社役員が兼務で同社社長に就任、事業構造改革に向けた取り組みを加速させた。この間にGMS型店舗のショッピングセンター業態への切り替えが進み、2008年4月に「五反田とうきゅう」が「レミィ五反田(現、五反田東急スクエア)」に、2011年5月には「さぎ沼とうきゅう」「自由が丘とうきゅう」がそれぞれ「フレルさぎ沼」「フレル・ウィズ自由が丘」の名称となり、多数の専門店が入るなど売場構成が大きく変容した。

  • レミィ五反田
  • フレルさぎ沼

その後東急ストアは、沿線に密着した食品スーパーストアとしての位置づけを鮮明にしつつ、当社の地域開発と連動した東急百貨店との協業店を二子玉川や青葉台で展開した。

なお、じょうてつの子会社の札幌東急ストアは、札幌市内と北広島駅前で「東急ストア」、ホームセンターの「東急アルテ」などを展開していた。じょうてつの事業構造改革の一環で、東急ストアと当社が札幌東急ストアの全株式を買い取りしたうえで、2009年10月、地元スーパーであるアークスに譲渡したことは本章第1節に述べた。

8-5-1-4 東急グループの顧客基盤強化へ

東急グループには、多種多様な事業を通じた多くの顧客接点がある。リテール関連の東急百貨店、東急ストア、東急ハンズ、ショッピングセンターのみならず、飲食店、ホテル、映画館、スポーツ・レジャー施設、そして当社の鉄道や東急バスも日常的な顧客接点の一つである。

しかし、従来は各社各様にクレジットカードや会員カードを発行、優待制度などによって顧客の囲い込みを行っており、グループ共有の資産となり得る顧客基盤の形成は進んでいなかった。

東急グループとして顧客データベースを構築すれば、顧客情報やその分析に基づいた効果的な情報発信により、グループ各社の商品・サービスや施設の利用拡大につなげることができる。とりわけ沿線のリテール事業の支援には欠かせない施策であった。

顧客基盤の形成において重要なツールになると見られたのが、当社連結子会社である東急カードが発行するカード(クレジットカード/現金専用カード)である。2005(平成17)年10月、当社と東急カードは、グループ各社の優待割引制度を「TOKYUポイント」に集約・統一したサービスを開始することを発表、従来の「東急TOPカード」をベースに、2006年4月から「TOKYUポイント」に対応した新しいカード「TOP&(トップアンド)」の発行を開始した。

2006年4月から発行を開始した3種類の「TOP&」

「TOP&」は、クレジット機能付きとクレジット機能なし(現金専用)があり、「TOKYUポイント」加盟店での利用金額に応じてポイントが貯まり、1ポイント=1円として、加盟店での買い物や各種景品交換に使うことができる。併せて東急百貨店独自のクラブキュウポイントと「TOKYUポイント」の統合や、東急カードと日本航空(以下、JAL)グループの提携でJALマイレージバンク(以下、JMB)機能も付帯した。

さらに2007年3月の「PASMO」導入と同時に、PASMOオートチャージサービスと電子マネー決済サービスを開始し、利便性を重視する若年層の「TOP&」会員拡大に寄与した。2008年4月には多機能タイプのクレジット一体型PASMO「TOP&ClubQ JMBカードPASMO」の発行を開始。1枚のカードでクレジット決済、電車やバス、PASMO電子マネー、飛行機(JMB)、セキュリティサービス(マンションキーシステムなど)を利用できるようにした。

とくに発行開始となった2006年の「TOP&」と「JMB」との連携は大きなインパクトとなり、JALグループ側でも「TOP&」機能付クレジットカードが発行されたことから、東急百貨店や東急ストアを利用する主婦層のみならず、出張の多いビジネスマンなどにも「TOP&」会員が広がる契機となった。2009年からは東急ホテルズの会員カード「コンフォートメンバーズ」の機能をマスターカードブランドのクレジットカードに標準搭載し、現在に至るまでのフラッグシップカードとなった。

2011年、当社は東急カード社を当社の100%子会社とし、ポイント還元率の向上を図ると同時に、ポイント事業を当社が担うこととした。これは、当社が中心となって共通ポイント「TOKYUポイント」を活用したグループマーケティング体制を強化するためである。さらに2015年にはカードの名称を「TOP&」から「TOKYU CARD」に変更し、ロゴを東急グループのコーポレートマークとした。

2015年にカードの名称が「TOKYU CARD」に変更された

なお、航空会社のクレジットカードとして各社のマイレージサービスのほか、TOKYUポイント加盟店ではTOKYUポイントが貯まるものとして、前述の2006年から発行されたJALグループの「JALカード TOP&ClubQ(現、JALカードTOKYU POINT ClubQ)」のほか、2014年からは全日本空輸グループの「ANA TOP&ClubQ PASMO マスターカード(現、ANA TOKYU POINT ClubQ PASMO マスターカード、愛称TOKYU×ANA CARD)」が発行された。

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