第6章 第7節 第2項 国内ホテル事業の拡大構想

6-7-2-1 東急インの新ブランド「エクセルホテル」

第5章で述べたように1985(昭和60)年度にイン事業部門の営業損失が10億円超になるなど、1980年代のホテル事業は競争激化で非常に厳しい経営状況であった。営業活動強化や客室リニューアルなどさまざまな対策を講じ、景気拡大基調に伴う宿泊需要の増加もあって、業績が好転、1990(平成2)年度には営業利益21億円超を達成した。このとき東急インチェーンは40店舗、客室数約8000室となっており、当初掲げていた50店舗1万室規模まで、あと一歩となった。

個々のホテルを見ると、事業スタート時のコンセプトであった「客室主体」のホテルはごくわずかで、多くは宴会場など料飲施設を備えた重装備型ホテルであり、宮古島東急リゾートといった本格的なリゾートホテルもあって、各ホテルのタイプやグレードは均一ではなかった。

例えば、1985年7月に開業した成田東急イン(客室数406室)は、国際空港の玄関にふさわしいシティホテルと位置づけ、それに即したサービス、設備を整えた。また、1989年9月に開業したシティ弘前ホテル(同141室)は、東急建設が地元地権者と共同で開発した複合施設に、東急インチェーンとフランチャイズ契約して出店したもので、大宴会場、結婚式場、レストラン、ラウンジ、茶室などを持ち、シティホテル同等のグレードであった。

成田東急イン

ホテル事業の展開については、東急グループサミットで議論されてきており、東急アクションプラン21では「国内外ホテル網の拡充」が重点事業の一つとされた。当社は、1990年4月の業務組織改正でイン事業部からホテル事業部に名称変更し、老朽化や陳腐化した店舗の対応、新規出店戦略、東急ホテルチェーンとの棲み分けも考慮した東急インチェーンのあり方について検討を行った。

そして、店舗展開の多様化によって、高質化する顧客ニーズに応えていくため、新たなホテルブランド「エクセルホテル」を展開することとした。これは、従来の「イン」「リゾート」とは異なり、客室部門を充実させる投資方針とし、客室主体で、質の高いサービスを提供し、宿泊滞在中の利便性、満足度を高めることをめざしたものである。ブランド名には、「優れる」という意味を持つ「エクセル」を用いた。

1992年3月に富山エクセルホテル東急(同210室)、4月に博多エクセルホテル東急(同308室)を開業。ゆったりとくつろげる広い客室には、大型ライティングデスクを導入、温水洗浄機能付きトイレを標準装備するなど宿泊用装備の充実を図ったのに加え、ソフト面でも快適な滞在をサポートする。この二つのホテルが先行モデルとなって「エクセルホテル」ブランドを確立していくと共に、既存のホテルのリニューアルなどによって、東急インチェーン全体のイメージを高めることをめざした。

1996年1月には札幌エクセルホテル東急(同388室)を開業し、札幌市内では札幌東急インに次ぎ2店舗目の出店、東急インチェーン全体で43店舗、客室数9272室となった。

富山エクセルホテル東急

東急グループの拠点である渋谷に、フラッグシップホテルが求められていたことはすでに記述した通りだが、本社敷地(渋谷・桜丘町プロジェクト)、渋谷道玄坂一丁目開発(TKTプロジェクト)が進むこととなり、前者に東急ホテルチェーンが、後者に当社がホテルを出店することで検討が進められた。

6-7-2-2 東急イン既存店舗のリニューアルと販売力強化の取り組み

「エクセルホテル」が誕生する一方で、「東急イン」の各ホテルでも動きがあった。1991(平成3)年9月に、客室設備面のグレードを高めた松山東急イン(客室数245室)が開業した。同年4月には、リニューアルされた鹿教湯温泉リゾート(旧鹿教湯温泉ホテル)が東急インチェーンに加わった。さらに、渋谷、京都をはじめ各店舗のリニューアル工事も相次いで行った。成田東急インは成田空港の拡張を見据えて、1993年10月に新館を増設して客室数を合計712室とし、「ホテル成田東急」に改称した。愛宕山東急インも1997年5月に新館(同159室)を増設した。東急インチェーンの1号店である上田東急イン(上田交通によるFC店舗)は、長野冬季オリンピックの開催を控えて、上田駅お城口(北東側)の駅前から温泉口(南西側)の駅前へ新築し、客室設備をグレードアップし、宴会場なども設けて1997年11月に移転開業した。一方、設備が老朽化し採算が見込めないインは順次閉店することとし、1994年3月に山形、1995年9月に旭川を閉店した。富山も富山エクセルホテル東急の出店を前に、1991年9月、営業を終了した。

松山東急イン

販売力強化策として、1994年4月に、新たな会員組織「東急REIクラブ」を発足した。これは、各ホテルと本社とのオンラインでの顧客情報管理を行うもの。割引やクイックチェックイン、レイトチェックアウト、優先予約、ポイント付与などの各種特典を設け、固定客の確保や新規顧客拡大を図った。ちなみに「REI」とは、当社が展開するリゾート、エクセル、インの頭文字からなっており、2015年4月にリブランドした「東急REIホテル」の「REI」とは異なる意味である。1998年1月に会員数が目標の20万人を突破し、順調に推移した。これにより本社でデータを分析し各ホテルと情報を共有するだけでなく、データから販売戦略を立案するなどといったことも可能になった。

また、インターネットの普及に伴い、1997年4月に東急インチェーンのWEBサイトを開設。同年12月にNTTグループのオンライン宿泊予約サービス、1998年4月には日立造船のオンライン宿泊予約サービスにも加入し、WEB上での予約が可能になった。同年6月には東急インチェーンのWEBサイト上でのオンライン宿泊予約も開始した。婚礼件数の減少などで収益悪化が続く料飲部門では、女性をターゲットにしたレストランメニューづくりや、料飲収入の3~4割を占める朝食の質の強化などに取り組んだ。

東急REIクラブキャンペーン活動の様子

1990年代のホテル事業全体の業績をみると、バブル崩壊に伴い出張を中心とした宿泊需要が減少、1992年度の直営店客室稼働率は前年度から7.4ポイントも下落した。このころは、業界全体で稼働率確保のためのダンピング合戦が盛んになり、当社のホテルでも客室単価を下げざるを得なかったため、直営店の売上も1992年度をピークに減少に転じた。稼働率の低迷は続き、料飲部門も婚礼を中心に減少傾向にあり、消費税率が3%から5%に上昇したことも影響し、大手金融機関の破綻が相次いだ1997年度には、11年ぶりに事業部門での営業赤字に陥った。

表6-7-1 東急イン事業業績推移(1990年度~1999年度)
注:社内資料をもとに作成
表6-7-2 1990年代の東急インチェーン開業ホテル一覧
注:社内資料をもとに作成
※鹿教湯温泉リゾートは東急インチェーン加盟日

6-7-2-3 厳しい局面を迎えた東急ホテルチェーン

当社と共にホテル事業を全国展開していたのが東急ホテルチェーンである。同社は、1990(平成2)年5月に東京ベイホテル東急(客室数704室)を舞浜に開業し、合計19ホテル、客室総数約6200室となった。

同社が今後の展開として計画していたのは、前述の「渋谷・桜丘町プロジェクト」でのフラッグシップホテルの開業と、既存ホテルの高級化を志向した改修による競争力強化、主要大都市(東京、大阪、神戸、広島、福岡)での新規開業、再開発事業に伴う建替、移転の推進であった。こうした高級化へのサービス水準向上や事業拡大に備えて、1992年4月、浦安市に研修センターを新設した。施設内は客室や厨房を再現した本格的なもので、増員が予想される従業員教育に万全を期した。

東急ホテルチェーン研修センター

白馬東急ホテルは本館の竣工から約30年を経過して老朽化が進み、1998年の長野冬季オリンピック開催が決まったことから、当社と白馬観光開発も加わり、白馬周辺のリゾート開発の可能性も含めて検討しながら、山岳リゾートにふさわしいホテルへの建替を進めた。1996年12月に客室数102室の規模で新装オープンした。

そのほかでは沼津東急ホテル(同120室)が1997年4月に開業した。沼津駅からほど近い狩野川のほとりに位置する場所で、東急建設が権利者および施工者として参画した市街地再開発事業により建設されたホテル・住宅・商業などの用途からなる再開発建物内に入居したものであり、東急ホテルチェーンは建物を東急建設から賃借した。

建替後の白馬東急ホテル
沼津東急ホテル

東急ホテルチェーンの1990年代の業績は当社ホテル事業と同様に、バブル崩壊後の景気低迷や後発の大型高級ホテルとの競争などにより、下落傾向にあった。当時の同社基準による連結決算では、売上高は1991年度の840億円をピークに減収に転じ、1995年度は売上高737億円と100億円超の減少で経常赤字、最終赤字となった。1996年度には経費節減により黒字となったものの、厳しい景気状況下に陥った1997年度には再び経常赤字、最終赤字となり、1998年度には16億円超の営業赤字となった。同社はバブル崩壊で、1990年代初頭にすでに地価下落による40億円を超える保有資産の評価損を計上していたが、これに加えて深刻だったのが、同社の子会社に対して多額の融資や債務保証、増資をしており、これによって子会社が持ちこたえているという実情にあったことである。1998年度にはこれらの会社の一部に対する融資合計40億円を超える債権放棄と10億円の株式評価損を計上した。

表6-7-3 東急ホテルチェーンの収益状況(1990年度~2000年度、連結決算)
注:東急ホテルチェーン「有価証券報告書」をもとに作成

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