第6章 第9節 第2項 その他の主要グループ会社

6-9-2-1 開発事業──東急不動産、東急建設

東急グループの開発部門の主要会社である東急不動産と東急建設も、1990年代は厳しい経営状況にあった。

東急不動産は、これまで土地・建物などの不動産販売に重点を置いて事業展開してきた。同業他社のなかには不動産賃貸業や施設運営業も拡大し、収益源のバランスをとる会社もあったが、同社は突出して不動産販売の割合が多く、1980年代半ば以降でも売上高の8割程度、1990年代を通じても7割強(いずれも単体決算での比率)を占めていた。

バブル崩壊は、不動産賃貸業や施設運営業にも逆風となったが、不動産販売業には地価下落が決定的な打撃となった。とくに地価の高い時期に取得した土地は、造成して宅地や建物に商品化しても市況との折り合いがつかず、さりとて開発を見送れば含み損を抱えた資産となる。1993(平成5)年度には有利子負債が売上高の2倍近くに膨らんでいた。このため1994年度を初年度とする3か年の構造改革を発表。中規模以下の物件に主眼を置く短期回転型分譲事業の拡大、人員の削減、有利子負債の削減、営業費の削減などを進めた。しかしながら、不動産販売価額や不動産賃料水準の下落など経営環境の好転は見られず、1995年度に創業以来の赤字を計上、初めての無配に転落した。

表6-9-2 東急不動産の収益状況(1985年度~1999年度、単体決算)
注1:東急不動産「有価証券報告書」をもとに作成
注2:1989年度は決算期変更(9月末→3月末)のため、6か月決算

東急建設は、バブル崩壊前に受注した工事が竣工する1993年ごろまでは、建設業主体の経営で安定的な当期純利益を上げ、1990年度から5年間は2割を超える配当を継続するなど順調に推移していた。しかし、バブル崩壊に伴う民間建設需要の激減により受注件数が大幅に減少、さらに1994年以降は官公庁工事も減少に転じ、受注単価の叩き合いも相まって利益率が急落した。用賀プロジェクトなど東急グループの開発案件の受注は多かったが、その他は大手ゼネコンとの価格競争にさらされた。また、受注案件そのものを自ら創出するために国内外で開発事業に注力したが、1993年度からは関連会社などへの債務保証や株式投資損失が膨らみ始め、1997年ごろには貸付条件を厳格化し始めた金融機関からの借り入れも容易ではなくなった。1998年には大幅な構造改革に着手することとなる。

表6-9-3 東急建設の収益状況(1985年度~1999年度、単体決算)
注1:東急建設「有価証券報告書」をもとに作成
注2:1989年度は決算期変更(9月末→3月末)のため、6か月決算
注3:1988年度配当には創立30周年記念配当(1株当たり1円)が含まれる
注4:(※)一般管理費配賦前の粗利益に相当

6-9-2-2 [コラム]東急ステイの誕生

東急不動産の子会社、東急リロケーションによる新たな業態として、滞在型ホテル「東急ステイ」が登場した。

同社は、主に転勤などで不在となる住宅の維持管理賃貸業務を事業の柱としていたが、転勤者が戻ってくることになったときに自宅が賃貸中で住めない、というケースがあったことをきっかけに、マンションとホテルの中間型の滞在施設として企画した。室内にミニキッチンや電子レンジ、洗濯機などの家具類を備え、長期滞在可能なアパートメントホテルとして、1993(平成5)年1月に第1号店「東急ステイ蒲田(49室)」を開業した。当初は東京23区内で展開し、2010年代後半からは全国へ店舗展開した。2022(令和4)年度末現在で都内19店、その他都市に11店の合計30店舗となっており、東急不動産子会社の東急リゾーツ&ステイが運営している。

東急ステイの3号店「東急ステイ門前仲町」

6-9-2-3 観光事業──東急観光など

旅行市場は、1980年代後半から国内・海外旅行共、拡大が続いており、とくに海外渡航者数は1990(平成2)年に年間1000万人を突破、旅慣れたリピート客も多くなった。市場拡大、ニーズの多様化に伴って、新規参入事業者もあり、競争激化にあった。

東急観光は、1987(昭和62)年6月に東京証券取引所第一部に指定替えし、業績向上をめざしていたが、財テクの失敗(株式投資の損失)に加えて、事業環境の悪化に伴い、1990年度(1990年12月期)には大幅赤字を計上、その後も旅行業の利益率低迷が続き、無配が続く苦しい経営状況となった。

同社が長年強みとしてきたのは団体旅行の取り扱いで、旅慣れていない団体客を、観光地に案内するツアーが得意であった。また修学旅行の取り扱い実績も秀でており、なかでも東北地方の学校からの受注実績は業界最大手と肩を並べるほどであった。だがバブル崩壊で、得意先企業が経費削減のため団体旅行を見送り始めたのが痛手となり、修学旅行も、生徒数が中学生は1989年、高校生は1992年をピークに減少に転じたことで影響を受け始めていた。

一方、個人単位の旅行の取り扱いでは、多様化するニーズに応えられるパック旅行商品の企画力が勝負となるが、旅行商品を構成する宿泊施設、交通機関などの調達でもバイイングパワーに優れた大手に太刀打ちするのは難しかった。このため1992年11月に、同じ課題を抱える阪急交通社との共同出資で、海外パックツアー商品を企画・販売する株式会社ヴィータを設立し、1993年10月から本格的に販売を開始した。

団体旅行から個人旅行へと旅行の主流が変わってきたことに加え、安くて近くて短期間の「安・近・短」旅行が好まれ、一人あたりの旅行支出が減少、さらには「価格破壊」を打ち出す新規事業者の台頭、旅行業者に頼らず自分で宿泊先や交通機関を手配する傾向も顕著になり始め、旅行業を取り巻く環境はますます厳しさを増した。

東急グループでは同社のほか、当社、ジェイエスエス商事(日本エアシステムの子会社)、群馬バス、草軽観光(草軽交通の子会社)、じょうてつ、伊豆急行も旅行業を展開していたが、いずれも厳しい業績であった。

表6-9-4 東急観光の収益状況(1985年度~1999年度、単体決算)
注1:東急観光「有価証券報告書」をもとに作成
注2:(※)一般管理費配賦前の粗利益に相当

6-9-2-4 [コラム]東急グループ商品券の発行

1997(平成9)年10月、「東急グループ商品券」の発行を開始した。これは、第5章で述べた「東急グループサミット」のなかでもテーマとなり、東急グループ事業推進委員会での取り組みとして開始したものである。

これは、「全国百貨店共通商品券」(1995年発行開始)の普及が進むなか、幅広い事業領域を担うグループメリットと東急ブランドの訴求をめざし、紙の「東急グループ商品券」を発行、利用可能な店舗などもグループ内に幅広く置いた(発行開始当時1031か所)。なお、発行主体は東急百貨店と東急ストアの2社となり、現在も販売され、利用も可能である。

東急グループ共通商品券

なお、この商品券発行に先立つ1992年6月には、東急百貨店が発行主体となりプリペイドカード「HaWaYu」を発行した。このプリペイドカードは、同社のみならず東急グループ各社でも利用可能にし、発行開始当時は東急百貨店、東急ストアのほか、当社の東急インやテコプラザ、東急ホテルチェーンの東急ホテル、東急観光、日本エアシステム、東急ハンズなどといった東急グループおよび東映の40社、192店舗・事業所で利用可能であった。

プリペイドカード「HaWaYu」

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