第6章 第2節 第2項 東横線と田園都市線の複々線化

6-2-2-1 目蒲線を活用した東横線の複々線化工事

「目蒲線を活用した東横線の複々線化工事」は、1988(昭和63)年3月の日吉駅改良工事着工から始まり、2012(平成24)年3月の武蔵小杉~日吉間線増工事竣工まで、完成に約24年を要した大工事である。大井町線と連絡する大岡山駅、地下鉄線と相互直通運転する目黒駅など、結節点となる駅の改良工事や、用地買収が伴う線増工事などもあって、特定都市鉄道整備事業計画(以下、特々事業)認定申請時の工事費用は、2108億円(積立金530億円、自己資金1578億円)となった。

一連の工事の内、最も早く完成したのは日吉駅改良工事である。線路路盤を掘り下げて上部に人工地盤を設置、複々線化に対応した配線とするためホームの位置を綱島方向に100m移設してホーム幅員を拡幅し、1991年11月に竣工した。1985年7月の運輸政策審議会答申第7号では港北ニュータウンと日吉駅を結ぶ横浜市高速鉄道(横浜市営地下鉄)4号線(現、横浜市営地下鉄グリーンライン)計画が盛り込まれており、将来的に乗降客数の増加が見込まれていた駅である。

日吉駅改良工事が竣工 新しくなった日吉駅のホーム(1991年)

このほか、1997年までの間に進捗した主要工事について、改めてそのあらましを記しておく。

〈目黒駅改良工事〉

都心側地下鉄(営団南北線〈以下、南北線〉および都営三田線〈以下、三田線〉)との相互直通運転を行うため、地上にあった目蒲線目黒駅ホームを地下構造とする工事で、JR山手線の下を通過する深さまで掘り下げる必要があり、地下4層構造の最下層にホームを設けることとなった。ホームは、島式一面ホームで、20m車両8両編成が停車可能な170m。1991年4月に着工し、1997年7月に地下駅の使用を開始した。その後、地上仮設施設の撤去や地上出入口の整備などを進めた。

  • 目黒駅改良工事(1993年9月)
    ※左が地上時代の目蒲線目黒駅
  • 地下化された目黒駅(1997年7月)

なお南北線および三田線との相互直通運転の開始時期は、着工時に1995年度を計画していたが、工事進捗に伴う見直しで2000年秋に変更となった。

〈大岡山駅改良工事〉

大岡山駅は目蒲線と大井町線が接続し、路線別になっていた。これを、乗り換えの利便を図るため同一方向同一ホームとし、ホームを地下化して、8両編成に対応できる長さに延伸する工事を行った。この工事により駅前踏切道を含む5か所の踏切を解消すると共に、地上部の有効活用を図ることとした。工事は1990年10月に着工、1996年6月に大井町線の上下線を地下化したあと、目蒲線の下り線、上り線を順次地下に切り替え、1997年6月に4線地下化が完了した。その後は駅舎の本設工事などを進め、1998年12月に竣工した。

  • 地上時代の大岡山駅、左側から大井町線下り・上り、目蒲線下り・上りで路線別ホームであった(1991年4月)
  • 地下化された大岡山駅ホーム 写真は大井町線の上下線地下化後の1番列車(1998年6月2日)
4線の地下化が完了した大岡山駅改札口(仮設)(1997年7月)

〈田園調布〜多摩川園間改良工事〉

田園調布〜多摩川園間はこれまでも東横線と目蒲線の上下線合わせて4線が並走しており、路線別の配線となっていたが、ホームでの乗り換えを容易にするため方向別の配線に改めることにした。併せて田園調布駅は2路線を地下化、多摩川園駅は2路線を高架化して、多摩川園〜蒲田間(現、東急多摩川線)用の折り返しホームを別途地下に設けることとなった。1988年11月に着工。2駅の改良工事と駅間の配線変更が伴うため、一連の「目蒲線を活用した東横線の複々線化工事」のなかで最も工事量の多い現場となり、工程に応じた暫定的な仮線への線路切替は実に45回にも及んだ。1997年6月に竣工した。そして、2000年8月6日には目蒲線の運行を多摩川園駅で分割し、目黒からは武蔵小杉方面に直通運転(現、目黒線)をすることで東横線の複々線化を図り多摩川園~蒲田間は独立した路線として運行することとした。のちにこの路線は目蒲線の運転系統を分割した際に東急多摩川線となる。なお、線名に東急の名前を冠したのは、既存の西武多摩川線と区別するためである。運転系統分割と同時に多摩川園の駅名を多摩川に改称した。

  • 大規模な構造変更を実施した田園調布~多摩川園間改良工事(1992年5月)
  • 改良工事中の多摩川園駅 目蒲線(右の2線)はのちに地下化されることになる(1992年12月)
地下化が完成した田園調布駅 自由が丘駅へ向けて走行する東横線上り電車(1995年12月)
図6-2-4 完成後の田園調布駅立体図と田園調布~多摩川園間の路線断面図
注:『清和』1989年9月号をもとに作成

〈多摩川橋梁架替・増設工事〉

多摩川園〜新丸子間の多摩川橋梁は東京横浜電鉄時代の1925(大正14)年8月に竣工したものであった。この既設橋梁の下流側に架替橋梁を架設して、東横線上下線を切り替え、その後既設橋梁を橋脚ごと撤去して増設橋梁を架設し、増設橋梁の上流側に東横線上り線を切り替えることとした。工事は1992年2月に着工。1994年7月に下流側の架替橋梁が完成し、8月に東横線下り線を、10月に上り線を切り替えた。上流側の増設橋梁は1997年6月に完成し、同年8月に東横線上り線をここに切り替えた。これにより橋梁部は方向別に4線が平行できる形となった。

  • 多摩川橋梁架替増設工事(東京側から望む。下流側の新設橋梁への線路切替は完了済み。既設橋梁架替工事は橋梁手前まで線路敷設の準備完了)
  • 既設橋梁部の架替も完了し、お客さま向けの見学会が開催された(1997年)

〈多摩川橋梁〜武蔵小杉間線増工事〉

多摩川橋梁〜武蔵小杉間は線増による複々線化と新丸子駅と武蔵小杉駅の2面4線ホーム化を行う工事で、新丸子駅付近は既設の高架橋を拡幅、武蔵小杉駅付近は仮線への切り替えを行いながら盛土を撤去し、複々線の高架橋を構築することとなった。1993年12月に着工し、1997年8月に東横線上り線から順次、線路およびホームの本設化を進めた。工事全体の竣工は1999年11月であった。なお武蔵小杉駅では線増工事に備えて、JR南武線との連絡通路・改札を撤去した。かつては横浜駅、大井町駅などにも連絡改札があったが、現在JR線との連絡改札があるのは五反田駅のみである。

  • 1面2線の高架ホームとして立体交差化された新丸子駅は2面4線化の工事を改めて行った(1996年2月)
  • 2面4線化の工事が進む武蔵小杉駅(1997年7月)

〈その他の工事〉

本複々線化工事は、1990年代に大半の鉄道線工事が進捗したが、最後の着手となったのが武蔵小杉〜日吉間の複々線化工事である。同区間の工事は、1987年12月の特々事業認定において既設線の直上に高架を設けて複々線化を行うこととなっていたが、そのあと、既設線の踏切が残ることや高架線に駅を設けないことを巡って、川崎市や地元との協議に歳月を要し、計画変更や環境アセスメントの実施を経て、ようやく2000年に川崎市との共同事業として着手することとなる。また、目蒲線目黒付近〜洗足付近間の立体交差化も、東京都の都市計画事業として1995年の着工となった。これらについては次章で触れることとする。

東横線元住吉1号踏切は、遮断時間短縮のため踏切警手による手動操作で遮断桿の上げ下げをしていたが、保安度向上のため1991年2月19日より自動化され、当社線の全踏切が自動化された(写真は1960年代後半の踏切警手)
目黒~洗足間立体交差化工事着手直後の目蒲線(不動前駅、1996年2月)

6-2-2-2 大井町線の改良・延伸による田園都市線の複々線化工事

「大井町線の改良・延伸による田園都市線の複々線化工事」は、二子玉川東地区の再開発事業計画に伴い1993(平成5)年10月に着手した二子玉川園駅改良工事から、2009年7月の大井町線の溝の口駅延伸まで、約16年を要した工事である。

同工事は、田園都市線から都心方面へ向かう経路の選択肢を増やし、田園都市線・新玉川線の混雑緩和を図ることが目的で、大井町線を経由して、「目蒲線の活用による東横線の複々線化」区間の大岡山駅から目蒲線を利用し、地下鉄線(南北線および三田線)へ向かうルートを設けるものである。

大井町線改良および田園都市線複々線化工事 二子玉川園駅改良工事

当面の目標として「大井町線大岡山〜二子玉川園間改良工事および田園都市線二子玉川園~溝の口間の複々線化工事」を計画し、1995年3月に認定を受けた。そのあと、臨海副都心地区の開発によって東京臨海高速鉄道りんかい線(2002年12月全線開業)が大井町駅で接続されることなどにより運輸政策審議会答申第18号(2000年1月)にて、大井町駅までの整備による輸送力増強と速達化が必要とされたため、大井町線改良工事の区間を「大井町〜二子玉川園間」に変更し、2000年11月に認定された。

また「大井町線の改良・延伸による田園都市線の複々線化」では、郊外と都心部を高速で結ぶことを重視して、戦後長らく各駅停車のみであった大井町線で急行列車を運行することとした。急行停車駅では、20m車両8両編成にも対応できるよう、ホーム延伸などの改良を行うと共に、一部区間両路線統一では急行待避線を計画した。

目蒲線との乗換駅となる大岡山駅は、前述のように1996年6月に大井町線の上下線を地下化しており、目蒲線に先んじて方向別地下ホームの使用を開始した。また大井町線延伸の端部ともなる溝の口駅は、JR南武線(武蔵溝ノ口駅)との乗換駅であることから乗降客が多く停車時間が長くなっていたため、交互発着可能な方向別の2面4線に改良する工事に、1989年1月に先行着手していた(図6-2-5 参照)。これも、輸送力増強につなげる運転間隔短縮を図るための工事で、二子玉川園〜溝の口間複々線化工事の一環として位置づけられた。

図6-2-5 溝の口駅改良工事(先行着手)の概要
出典:『清和』1990年7月号
溝の口駅下り線のホーム2線化、大井町線引上線設置工事は2000年代の着手となった

ここでは、二子玉川園駅改良工事について記しておく。

〈二子玉川園駅改良工事〉

田園都市線と大井町線の乗換駅となる二子玉川園駅の改良工事は、1993年10月に着工した。

二子玉川園駅はこれまでも2面4線の駅であったが、内側の2番線が田園都市線下り線、3番線が田園都市線上り線(当時は新玉川線)で、外側の1番線と4番線を大井町線の発着線としていた。改良工事にあたっては田園都市線と大井町線を入れ替えて、玉川通り側の4番線と3番線を上り(渋谷方面と大井町方面)用ホーム、2番線と1番線を下り(溝の口および中央林間方面)用ホームとし、大井町線の二子玉川園以遠の運行が始まるまでは、2番線を大井町線降車専用とすることとした。これと併せて、多摩川に架かる橋梁上に、大井町線の折り返しのための引上線を設けた。これが、大井町線の溝の口延伸後の本線となる。

複数回の仮線切替を経て、方向別ホームが完成したのは1999年9月のことである。

また二子玉川園駅の改良は「二子玉川東地区市街地再開発事業」で新たに生まれる街の玄関口にふさわしい駅とするため、ホーム幅員の拡幅はもとより、コンコースや改札口など駅施設の拡張、整備を行った。

図6-2-6 二子玉川園駅改良工事 平面図・断面図
出典:『清和』1993年11月号

6-2-2-3 [コラム]郊外と都心部が一体となったネットワーク形成へ

1985(昭和60)年7月の運輸政策審議会答申第7号は、今日の首都圏の鉄道ネットワーク形成に大きな伸展をもたらした答申である。本答申では29路線、延長500kmを超える鉄道整備が計画されたが、目標年次である2000(平成12)年までに75%が営業開始もしくは事業着手に至っており、極めて進捗率の高いマスタープランとなった。

同答申は、東京北東部では常磐新線(現、つくばエクスプレス)や日暮里・舎人線(現、日暮里・舎人ライナー)、千葉ニュータウン・成田空港線(現、成田空港高速鉄道)の新設、東京南部では羽田空港へのアクセス向上を図るための京浜急行空港線と東京モノレールの延伸が盛り込まれた。また東京西部では、前答申(1972年の都市交通審議会答申第15号)以降、池袋、新宿、渋谷の3副都心が著しい発展を遂げるなか、都心部を走る地下鉄路線(営団地下鉄および都営地下鉄)と郊外民鉄を結ぶ相互直通運転の拡大が明示された。

当社にとって重要だったのは、次の2点であった。一つは、目蒲線目黒〜多摩川園間の改良と多摩川園〜大倉山間の複々線化を行い、目黒において都心側の東京7号線(のちの南北線)および東京6号線(現、三田線)と相互直通運転を行うことが示された点である。複々線化はその後、多摩川園〜日吉間となったが、これにより、日吉駅(神奈川県横浜市港北区)と埼玉高速鉄道線浦和美園駅(埼玉県さいたま市)および三田線西高島平駅(東京都板橋区)の長距離を結ぶ鉄道ネットワークの構想が固まった。

工事中の多摩川園駅仮設ホーム

もう一つは、前答申では志木から新宿に至る路線として計画されていた東京13号線(現、東京メトロ副都心線)が、終点を渋谷まで南下した点である。これにより、東京13号線が東横線および東武東上線、西武池袋線と相互直通運転する計画が1990年代末期から具体化していき、東横線と相互直通する横浜高速鉄道みなとみらい線も加えた5社(東武鉄道・西武鉄道・東京地下鉄・当社・横浜高速鉄道)による相互直通運転が、2010年代に誕生することとなる。

当社線の営業キロ数は、「大東急」の解体により大幅に減少したあと、新玉川線の建設や田園都市線延伸によって、約100kmとなっており、大手民鉄のなかでは中位にすぎない。東京西南部の急速な宅地化などにより、当社単独での新線建設は困難となったが、他社線との相互直通運転という手法でネットワークを拡充することになったのが答申第7号であった。

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