第6章 第8節 第1項 ホテル・都市開発・リゾートを柱とした「海外事業戦略」

6-8-1-1 利益創出への道筋づくり

当社の海外事業は、1980年代末には太平洋地域の各地に広がり、事業内容もホテル事業、リゾート事業、都市開発事業など多様な分野に広がった。現地での国家プロジェクト、現地企業や要人との接点などのビジネスチャンスを生かしながら進出をしていたが、これらの事業のほとんどが投資から回収まで歳月を要しており、当社による資金的な支援も続いていたため、利益創出に至る道筋を以前にも増して慎重に見極める必要があった。

当社海外事業部では、1990(平成2)年10月に「海外事業戦略」を立案。このなかで海外事業の基本方針や事業内容別の目標、体質改善や活性化が必要な海外事業会社に対する当面の措置などを示し、2000年をめどに海外事業部と海外事業会社の合算で、収支均衡を図ることを到達目標とした。そのための施策は次の通りである。

まず既存事業の整理・再編では、海外ホテルを運営する2社、東急ホテルズ・インターナショナルとエメラルド リゾーツ アンド ホテルズの整理と、これを承継する新会社の設立、大きな不採算部門を持つ会社(東急カナダ社、パン パシフィック プロパティーズ社)への財務支援、ヤンチェップ サンシティ社やホテル ル ラゴン社(バヌアツ)、アナハイム プロパティ社が所有する遊休資産の処分、そして後述するサンディエゴ109社については持分株式の売却などによる外部資本の導入を計画した。

海外事業会社が所有する未稼働資産の活用としては、グアムについては資産売却による資金の早期回収を前提に、ホテルやコンドミニアムを開発することを計画。トウキュウ ランド デベロップメント社(ハワイ)が保持していた、ホノルルにおける駐車場の開発権は、活用方法を検討することとなった。また、シドニーで東急ホテルズ・インターナショナルが進めていたホテル計画は中止とした。

海外ホテルについては、すでに1989年から「パン パシフィック ホテルズ アンド リゾーツ」を運営上の統一ブランドとしており、同ホテルチェーンの拡充を図るため、国内首都圏でフラッグシップホテルを運営して認知度向上、マネジメント強化、人材養成の基盤を確保することをめざした。

またマウナ ラニ リゾートやミルクリークでの開発実績やノウハウを次代に引き継ぐため、北米を中心に開発物件を取得して事業化を推進することをめざした。

「ホテル」「都市開発」「リゾート」を三本柱とするこの1990年の「海外事業戦略」では、課題を抱える事業は整理して損失を圧縮しつつも、海外事業の進展に力がそそがれていた。

6-8-1-2 海外ホテル網の拡充

海外ホテルの運営会社2社の整理と一元化については、両社の企業文化や社内管理システムの融合を図り、各社の運営受託先との協議を進めることも必要となるため、一朝一夕に進むものではなかったが、「パン パシフィック ホテルズ アンド リゾーツ」ブランドのチェーン網拡大は当社海外事業部の主導で進められた。

まず1990(平成2)年5月30日にはニュージーランドのオークランドに「パン パシフィック ホテル オークランド(客室数286室)」を開業した。これは東急ホテルズ・インターナショナル、清水建設、東急観光、ニュージーランド開発金融公庫の共同出資により設立したパン パシフィック プロパティーズ社が、オークランド市役所や国際会議場に隣接した用地(5910㎡)を1986(昭和61)年に取得し、1987年2月から建設を進めてきたものである。その後、当社が東急ホテルズ・インターナショナルとニュージーランド開発金融公庫の持株を順次取得して、パン パシフィック プロパティーズ社を子会社化し、経営支援のため1991年12月に7200万NZドル(当時のレートで約56億円)を増資した。

  • パン パシフィック ホテル オークランド
  • パン パシフィック ホテル サンフランシスコ

1990年6月には米国サンフランシスコに「パン パシフィック ホテル サンフランシスコ(客室数330室)」を開業した。これは海外ホテルチェーン網の拡充策として、米国西海岸での今後の展開に備えたシンボリックなホテルが必要との判断から、既設ホテルの「ザ ポートマン サンフランシスコ」を買収したものである。買収に先立っては、米国での地域統括法人として当社100%出資の東急USA社を1990年1月に設立、また、同ホテルの経営を担うサンフランシスコ109社を同社の100%出資により1990年4月に設立した。当社が建物を保有し、サンフランシスコ109社に一括賃貸、エメラルド マネジメント カンパニーに運営委託した。東急USA社は投融資を目的とした持株会社で、ミルクリークの地域開発を進めてきたユナイテッド デベロップメント社、サンディエゴ109社、ハワイで宅地開発を進めてきたトウキュウ ランド デベロップメント(ハワイ)社も傘下に置いた。

図6-8-1 東急USA社の業務関連図
注:社内資料をもとに作成

1991年4月2日には米国サンディエゴに「パン パシフィック ホテル サンディエゴ(客室数436室)」を開業した。前章でも記したようにサンディエゴでは、当社100%出資により1987年7月に設立したサンディエゴ 109社が、現地不動産開発業者(シェイプリー センター デベロッパーズ社)との合弁により、米国では初めての複合ビルとしてエメラルド シェイプリーセンターの建設を進めており、先行してオフィスビル棟が1990年9月に開業、竣工は1991年3月、ホテル開業は4月となった。

パン パシフィック ホテル サンディエゴ

また経済発展の目覚ましい東南アジアでも新規開業が検討され、1991年5月、マレーシアで「プテリ パン パシフィックホテル ジョホールバル(客室数280室、開業当時)」を運営受託し、開業した。マレーシアではパンコール島とクアラルンプールに次ぐ3番目のホテルであった。

これにより「パン パシフィック ホテルズ アンド リゾーツ」ブランドの海外ホテルは世界11か国16ホテル(客室総数5951室)となった。

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