第6章 第10節 第2項 地道な活動でグループを支える

6-10-2-1 地域に密着した東急会の活動

各地域の東急会を統括する「東急会連合会」が設立10周年を迎え、1990(平成2)年10月にキャピトル東急ホテルで、記念式典が盛大に催された。1989年には海外で二つ目となるASEAN東急会が誕生しており、国内外11の地域東急会(北海道、東北、上信越、東関東、西関東、中部・北陸、関西、中国・四国、九州・沖縄、米国・カナダ、ASEAN)ならびにそれぞれの支部にあたる地区東急会の横のつながりがますます広がりを見せていた。

東急会の最大の特徴は、それぞれが地域に密着した社会貢献活動や文化活動に進んで取り組み、各地各様に東急のイメージや知名度の向上を図り、グループ各社が各地で事業活動を進めていくうえで大きな後ろ盾となったことである。事業地域を全国、海外に広げる企業グループは数々あったが、こうした草の根的なネットワークは東急グループならではの強みであった。

東急会連合会設立10周年

6-10-2-2 東急広報委員会による幅広い広告宣伝・PR活動

1972(昭和47)年4月にグループ全体の広報活動を担う組織として発足した東急広報委員会は、前述のようにグループスローガンの制定、東急グループ統一マークの制定、グループ誌『とうきゅう』の発行を行っていたが、グループ各社からの拠出金を原資に、全国規模での広告宣伝やPR活動にも取り組んできた。発足当時は上場会社を中心に10社が拠出会社となり、拠出金2億4000万円でスタート。1995(平成7)年度には拠出会社が83社、拠出金の総額も10億2000万円の規模となった。

活動内容は、各種文化・スポーツイベントの開催、各地域東急会の活動支援、新聞などマスメディアや東急ケーブルテレビジョンを使った東急グループの広告出稿、PR誌の発行、そしてグループ主要会社とマスメディアとの懇談会の開催など、実に多彩であった。

なかでも著名なスポーツイベントとなったのが、東急会発足直後の1973年から1998年まで開催された「札幌とうきゅうオープンゴルフトーナメント」である。1987年から1991年までは、これに「軽井沢72・東急女子オープンゴルフトーナメント」が加わった。

1990年からは新たに「東急レディステニス全国大会」を開始。また文化イベントでは、1991年から全国主要都市で「Bunkamuraスペシャルコンサート」と題したクラシックコンサートなどを開催したほか、1995年の大晦日から毎年、Bunkamuraオーチャードホールにて年越しで開催される「東急ジルベスターコンサート」(主催:テレビ東京、企画制作:Bunkamura)に特別協賛するなどの文化活動にも力をそそいだ。

東急レディステニス全国大会

6-10-2-3 五島記念文化財団の発足

五島昇会長の死去から1年を経た1990(平成2)年3月、東急グループ各社からの寄付を基本財産として、財団法人五島記念文化財団を設立した。生涯を通じて芸術・文化をこよなく愛し、その振興に力をそそいできた五島昇会長の遺志を引き継いで、日本の芸術・文化のよりいっそうの向上と発展、文化を基軸とした国際交流に寄与するため設立したものである。

同財団の主たる事業は、音楽や美術の分野で、将来性のある有能な人材や、地域で優れた芸術・文化活動を行っている人材を発掘・顕彰し、資金面で援助して育成する事業である。第1回目の1990年度「五島記念文化賞」は錦織 健氏などオペラ歌手2人、美術家2人に授与、それぞれ海外での研修費用を助成したほか、1992年度からはオペラ公演助成事業も開始した。

6-10-2-4 [コラム]東急吹奏楽団とファミリーコンサート

第5章では東急ボーイスカウトについて触れたが、同様に清和クラブとは別に組織されていたのが東急吹奏楽団である。

東急吹奏楽団は五島昇社長の発案で1965(昭和40)年4月に清和クラブ創設40周年記念として当初は清和クラブ内に設けられたが、のちに会社のPRなどを目的に分離されたものである。田園都市線溝の口~長津田間延伸開業(1966年、第3章)をはじめとした社内・グループの行事のみならず、渋谷まつり(第3章)やたまプラーザ夏まつり(第5章)、田園調布フェスタのなかで企画された東横線・目蒲線の地下化により解体されることになった田園調布駅舎お別れの集い(1990<平成2>年8月、駅舎は2000年に復元<後述>)をはじめとした地域の行事にも積極的に参加した。技量の面でも1970年に当時行われていた日本産業音楽祭(東京大会)にて最優秀賞を受賞する程であった。

なかでも、長きにわたり親しまれたのが「東急ファミリーコンサート」で、社員による自主的なイベントとして1974年からスタートし、1995年には創立30周年記念として青葉台駅前のフィリアホールで開催された。

  • 田園調布駅舎お別れの集いでの吹奏楽団と多くの聴衆
  • 地域イベントでの演奏(銀座シルバーパレード)

6-10-2-5 [コラム]清和祭

第4章でも述べたように、当社にはさまざまなクラブ活動があった。その活動を社員や家族に発表する場として1980(昭和55)年から「清和祭」が開始された。

会場は奥沢総合ビルで行われ、主に文化系クラブ活動の発表として活動の活性化をめざすものであった。第1回は各クラブの企画の下、副社長と女流棋士との対局や尺八と三味線の合同演奏などといったユニークな企画も登場した。一番の人気は鉄軌道事業を営む会社ならではの鉄道ジオラマとその運転体験で、本物さながらの運転台は子どもたちに大好評であった。

社内の記録では清和祭は1997(平成9)年まで開催されており、1992年は、本社移転後の旧本社解体直前の8月30日に旧本社を会場にして行われた。

  • 第1回清和祭で鉄道ジオラマ運転を体験する役員ら
  • 引っ越しの終わった旧本社が会場となった清和祭はいつも以上ににぎわった

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