第6章 第6節 第1項 地元行政と連携した大規模プロジェクトの推進

6-6-1-1 横浜みなとみらい21地区24街区「クイーンズスクエア横浜」

1980年代から1990年代にかけて、首都圏では業務・商業地域の拡大を求めてウォーターフロント開発が活発となり、幕張やお台場と並んで、横浜市でも臨海部の都市再開発事業「みなとみらい21」が計画された。これは、本牧・金沢地区への移転が決定していた三菱重工業横浜造船所の跡地や国鉄用地などと埋立による造成地を開発するもので、横浜駅東口から新港埠頭までの広大な地域を新たな副都心とする計画である。造船所の移転完了に伴って、1983(昭和58)年11月から基盤整備が進んでいた。

第2節で述べた1989(平成元)年に開催された横浜博覧会では、当社、京浜急行、相模鉄道、日揮の4社合弁でフランス製の新交通システム・SKの運行を担ったほか、東急エージェンシーが3つのパビリオンの企画・運営をするなどグループ各社も参画した。当社単独では東急ジョイガーデンに運営委託し、カフェテリアレストランを開設するなどした。

横浜博覧会で運行した新交通システム・SKは「動くベンチ」と呼ばれた

横浜駅西口には東横線の渋谷方面のホームに沿って建設された横浜東急ホテル(当社社有地を東急ホテルチェーンに賃貸)を営業していたが、「みなとみらい21」地区に当社の社有地はなく、五島昇社長(当時)はこの副都心開発を、当初は東横線の両端で渋谷と競合する新たな商圏の誕生と受け止めていた。しかし、第2節でも触れたように、この開発地域に建設される地下鉄線「みなとみらい21線」と東横線の相互直通が横浜市から打診されたのを契機に、方針を転換し、次のように、東急グループとして積極的に参画する考えを示した。

完成を2000年に置いたこの国際都市が建設されるということは、アクセスとしての東横線に生態変化をもたらすのはもとより、遅々として進まぬ渋谷再開発の強い促進剤にもなるだろうし、さらには多摩田園都市へのさまざまな波及も当然考えられる。

まさに東急グループにとって、きわめて強力なインパクトの出現である。東急グループとしては、建設予定地に土地を持っていない。そのため、これまで関心が薄かったのかもしれないが、東急グループの事業エリアのまん中で展開される事業であり、保有地がないからと座視していては、横浜駅西口を“失った”と同様なキズあとを、後世に残すことになる。しかも、都市開発事業には東急グループは実績もあり、これから大きな柱にしていこうとしている部門だ。この際、東急グループ版“みなとみらい21”プランを作成して、積極的に売り込むぐらいのことをやってみてはどうか。(社内報『清和』1987年3月号の巻頭言から)

その後、都市開発事業に実績がある当社に各方面から声がかかったが、住友グループと連携することとし、住友グループ60%・東急グループ30%・その他ゼネコン10%の出資でコンソーシアム「T・R・Y90グループ」を結成した。そして、みなとみらい21地区24街区の事業主体を決める「事業計画提案競技(事業コンペ)」に応募し、1990年11月、6企業グループの計画提案の内T・R・Y90グループが提案する「CORE CITY」が最優秀提案に選ばれた。24街区は、みなとみらい中央駅(現、みなとみらい駅)の上部に位置し、「みなとみらい21」地区の中核をなす4.4haの街区であった。

図6-6-1 24街区の位置図
出典:『とうきゅう』1992年12月号

この決定を受けて1991年7月、東急グループ4社の出資(当社82.75%、東急不動産・東急建設・東急百貨店の3社が各5.75%)により、24街区の運営面を手がける東急ワイ・エム・エムプロパティーズ株式会社を設立し、東急グループの共同事業として参画する体制を整えた。

1992年2月には、T・R・Y90グループに参加していた合計23社の事業参加方法に関する調整を経て、住友生命32.5%、東急ワイ・エム・エム プロパティーズ30%、住友商事24.5%、大成建設6%、鹿島建設4%、住友海上2%、横浜いずみ1%の7社出資によりT・R・Y90事業者組合を設立。その後、T・R・Y90事業者組合が、横浜市と住宅・都市整備公団との間で土地賃貸借契約を締結し、大型小売店舗法の届出、特定街区の都市計画決定、建築確認などの諸手続を同地区の土地の一部を所有していた三菱地所と日揮とも含め終えて1994年2月に着工した。1996年1月には関係機関と協議のうえ、24街区の名称を「クイーンズスクエア横浜」とした。

クイーンズスクエア横浜(1997年)
図6-6-2 T・R・Y90事業者組合関連図(2005年ごろ)
※社内資料をもとに作成

クイーンズスクエア横浜は、オフィスA棟(地下5階地上36階建て)、オフィスB棟(地下5階地上28階建て)、オフィスC棟(地下5階地上21階建て)、ホテル棟(地下3階地上25階建て)のほか、クラシック専用大小ホール(横浜みなとみらいホール)、専門店街「アット!(at!)」、百貨店「クイーンズイースト」などからなる日本最大級の複合施設で、1997年7月に街びらきした。

この内T・R・Y90事業者組合による区分所有部分はオフィスB棟とオフィスC棟、商業部分の大半、ホテル棟、駐車場で、ホテル棟にはパン パシフィック ホテルズ アンド リゾーツ社が運営受託により、国内初のホテル「パン パシフィック ホテル 横浜」を開業。商業部分については東急百貨店子会社の株式会社よこはま東急百貨店が「クイーンズイースト」を、東急ワイ・エム・エム プロパティーズが「アット!」をそれぞれ開業した。 T・R・Y90事業者組合の主要構成員の住友グループはオフィスB棟・C棟部分を手がけることとなった(残るオフィスA棟などは三菱地所と日揮が、クラシックホールは横浜市がそれぞれ区分所有)。

なお、当社は街びらき後のクイーンズスクエア横浜の運営について、運営効率化や物件価値向上なども含めた観点から、2003年2月に当社が東急ワイ・エム・エム プロパティーズを吸収合併することとなり、これまで同社が担っていた「アット!」は当社の事業として、その運営は後述の東急マーチャンダイジング アンド マネージメント(現、東急モールズデベロップメント)に委託することとした。

6-6-1-2 三軒茶屋と八王子で「市街地再開発事業」に参画

既成市街地を再整備する都市再開発には種々の手法があり、この内「市街地再開発事業」は、国庫補助制度が創設された1970(昭和45)年以降、有効な街づくり手法の一つとして各地で活用されてきた。土地利用の細分化や低層木造建築物の密集、公共施設の不足など都市機能の低下が見られる地域について、土地の高度利用と都市機能の更新を行うことを目的とした事業で、敷地整備や施設建築に要する資金の一部について地方公共団体から交付金を受けることができる。

当社においては1970年代に着手した北見駅前地区(北海道北見市)と原町田地区(東京都町田市)、そして1980年代の香林坊第一地区(石川県金沢市)がこれに該当する。1990年代には、三軒茶屋・太子堂四丁目地区(以下、三軒茶屋地区)と八王子駅北口地区で事業を進めた。

三軒茶屋地区は、低層の家屋や小規模の飲食店・小売店が集積していた地区で、1979年6月に再開発準備組合を設立、1988年8月の都市計画決定を経て関係権利者間の調整が進められ、東京都知事の認可により、1990(平成2)年9月に「三軒茶屋・太子堂四丁目地区市街地再開発組合」が設立された。当社は再開発組合員として事業に参画し、組合事務局に人員を派遣した。

再開発は世田谷線三軒茶屋駅構内を含む約1万5000㎡を対象とし、この内9150㎡の敷地に地下4階地上26階建てのビルを建設するもの。このビルは高層・中層・低層の3棟からなり、オフィスや店舗、区民施設、駐車場などの複合施設とするほか、周辺道路の拡幅、公共広場の整備、新玉川線三軒茶屋駅につながる歩行者専用地下道の整備などを行うのが事業計画の骨子であった。世田谷線三軒茶屋駅も、この事業敷地内に移設することになった。

1992年9月に着工し、1996年11月に再開発ビルが竣工。ビルの高さと赤色の外壁から、一般公募により「キャロットタワー」と命名された。

当社は権利床と保留床合わせて約9000㎡を取得し、店舗部分を東急ストアに一括賃貸したほか、オフィス賃貸事業を行っている。

キャロットタワー(1996年)

八王子駅北口地区市街地再開発事業は、駅前広場に面した約4300㎡の敷地が対象。1980年代半ばから地元地権者と八王子市が検討を進め、1987年に再開発準備組合を設立、都市計画決定を経て、1991年8月に「八王子駅北口地区市街地再開発組合」が設立された。地下3階地上14階建ての複合ビルを建設し、商業店舗や金融機関、公益施設、オフィス、駐車場などに使用する計画で、1994年5月に着工した。当社は、準備組合の段階から参加組合員として参画し、1991年5月に地区内に土地を取得して権利者となった。再開発ビルは、1997年2月に竣工した。当社は権利床と保留床、他の権利者から賃貸した床を合わせて約1万4000㎡(地下1階から地上10階まで)を商業施設「八王子東急スクエア」として、同年3月に開業した。幅広い世代の顧客が生活のさまざまなシーンで利用してもらえるようなテナント構成とし、78の専門店を誘致した。

なお、開業に先立つ1996年9月に、当社子会社として株式会社東急マーチャンダイジング アンド マネージメントを設立し、八王子東急スクエアの運営は同社に委託した。1997年12月には、「たまプラーザ東急SC」の運営も同社に委託した。

八王子東急スクエア(1997年)

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