第6章 第6節 第2項 動き出した渋谷開発の二大プロジェクト

6-6-2-1 渋谷・桜丘町プロジェクト──セルリアンタワーの着工と本社移転

1990年代には、渋谷再開発の序章ともいえる二大開発が動き始めた。「渋谷・桜丘町プロジェクト」と「渋谷道玄坂一丁目開発」である。

「渋谷・桜丘町プロジェクト」は、当社本社敷地を活用した超高層ビルの建設計画である。本社敷地の高度利用については、1972(昭和47)年の創立50周年事業としてビル建設計画が浮上したことがあった。五島昇社長が、東急グループ各社のオフィスが一堂に会する「東急グループ総合ビル」の建設を構想したのがきっかけで、グループの拡大に伴って検討された。その後はしばらく具体化が見送られてきたが、1988年6月に設置された東急グループサミット(以下、サミット)でも、Bunkamuraの開業に次ぐ新たな渋谷開発について意見が交わされ、本社敷地の活用が俎上に載った。

図6-6-3 1987年ごろの渋谷周辺の主要施設図
出典:『清和』1987年5月号

サミットでは、ホテルやオフィスといった用途構成や建物形状などについて、さまざまな角度から検討が重ねられた。渋谷は新宿、池袋、銀座、赤坂・六本木地域に比べて圧倒的にホテル数やその総客室数が少なく、渋谷にホテルが必要である点については、サミットのメンバーの共通認識であった。ホテルの運営を東急ホテルチェーンに託すか、当社の東急インチェーンとするか、また、候補地として本社跡地だけでなく渋谷に点在する東急グループの保有地活用も併せて検討するかなど、議論百出。最終的には、東急グループの本拠地・渋谷の活性化を牽引する都内有数の高級ホテルとオフィスとの複合ビルとすることで決着した。

ビルの建設に先立って、1992(平成4)年4月以降、本社機能を周辺の3つのビル(東急南平台町ビル=本店所在地、東急桜丘町ビル、日交渋谷南平台ビル)に分散移転し、同年9月に旧本社ビルの解体工事に着手した。当初計画では1994年秋の着工を予定していたが、経済情勢の変化などを勘案して、着工を遅らせ、その間は駐車場として暫定利用した。

本社移転に伴い、創立30周年記念事業として五島慶太会長により旧本社前に植樹されたイチョウの木などが五島美術館などに移植されたほか、旧本社敷地のケヤキの木は前述のスイング碑文谷へ移植された。

創立30周年を記念して五島慶太会長により当社旧本社前に植樹されたイチョウの木(1952年10月)

この「渋谷・桜丘町プロジェクト」は、本社敷地だけではなく、渋谷区道を挟んだ隣接土地を取得し、合わせて約9000㎡の土地に、地下6階地上41階建てのビルを建て、渋谷駅側に歩行者空間を設置することとなり、1997年11月に着工した。同ビルの高さは当時の渋谷では最も高い184mで、高層階を東急ホテルチェーンのフラッグシップホテルとし、地下に渋谷エリアで最大規模のホテル宴会場や文化施設などを設け、中層階はオフィスにすることとなった。2001年4月に、ビルは「セルリアンタワー」として開業。ホテルが同年5月24日に「セルリアンタワー東急ホテル」として営業を開始した。

渋谷・桜丘町プロジェクトの着工時(1997年)

6-6-2-2 TKTプロジェクト──渋谷マークシティの始まり

「渋谷道玄坂一丁目開発」は、1979(昭和54)年に京王帝都電鉄(現、京王電鉄。以下、京王)から、当社と帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄。以下、営団)に、京王井の頭線渋谷駅の混雑緩和を目的とする駅施設の改良などが提案されたことが契機となった。京王井の頭線渋谷駅に隣接して当社のバス発着場と営団銀座線の車両基地があり、各社との調整が必要と判断されたからである。当時はちょうど渋谷の人の流れが公園通りに向かい始めていた時期で、周辺町内会や商店会から道玄坂地区の再開発を望む声があったこともあり、同年12月に、3社は「渋谷道玄坂一丁目開発に関する覚書」を取り交わした。

その後1989(平成元)年12月に、当社の所有地(当時東急バス専用道路として使用していた旧、玉川線跡地)3890㎡、営団の車両基地7090㎡、京王の渋谷駅3402㎡の用地を一体開発し、各社の鉄道・バス施設などを改良すると共に、ホテル、オフィス、商業施設などを備えたビルを建設することで合意し、1990年4月に3社開発事務局を開設した。諸官庁との協議、申請手続き、町内会・商店会の合意などを経て、1993年12月に開発に関する各社協定を締結して、1994年4月に着工した。この開発計画は、3社の頭文字から「TKTプロジェクト」と呼ばれた。

建設するのは、A街区=東側(JR渋谷駅側)のホテル棟と、B街区=西側(道玄坂上側)のオフィス棟の高層ビル2棟と、両棟をつなぐ低層部で構成される、3社共有ビル。当社はホテル棟に東急インチェーンのフラッグシップホテル(のちの渋谷エクセルホテル東急)を設けることとなった。

最初に着手したのは、低層部の、鉄道施設改良を含む4階までの躯体を施工する第1期工事で、1994年4月に着工し、営団と京王が建設を担当した。高層部のホテル棟とオフィス棟、低層部の内外装や設備工事を行う第2期工事は1997年4月に着工し、当社が建設を担当した。1999年3月に建物全体の名称を「渋谷マークシティ」と決定し、2000年2月に竣工、同年4月に開業した。なお、3社共同出資の株式会社渋谷マークシティを設立し、同社が運営管理をすることとなった。

建設工事が進むTKTプロジェクト(1996年1月)

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