第6章 第10節 第1項 本社管理部門の動き

6-10-1-1 経営改善に向けたCS活動

バブル崩壊を経験したあと国内の産業界においては、経営戦略としてCS(Customer Satisfaction)を重視する動きが生まれた。顧客満足の最大化を指標として既存の商品・サービスを見直すと共に、新たな商品・サービスの開発に役立てていこうとする考え方である。

当社においても今後の会社経営に危機感を募らせるなかで、いま一度CSの視点で経営全般を捉え直し、改善や改革を進めていくことが重要と判断し、1995(平成7)年1月1日付でCS推進室を新設した。これまでも鉄軌道やホテルなどの現業部門では利用者の声に耳を傾け、サービスの改善につなげてきた経緯があったが、これらを現場任せにするのではなく、経営としてダイレクトに顧客の意向を受け止め、寄せられた声から経営を変えていこうという意図があった。

具体的な取り組みとしては、1995年2月に「東急109(トーク)センター」を開設し、顧客からの問い合わせや意見を伺う窓口とした。当初は電話数本の体制でスタートし、のちに「東急お客さまセンター」として体制化されていく。

6-10-1-2 人事諸制度の改正と組織活性化

当社は経営を巡る時代環境の変化に合わせて、人事制度の改正や福利厚生の充実に努めてきた。なかでも時代を象徴する人事制度改正となったのが、1996(平成8)年7月の役職定年制度導入である。

当社では1981(昭和56)年から段階的に定年年齢を引き上げ、1987年には60歳定年とした。高齢化社会の進展に対応した改正ではあったが、これにより管理職の高齢化が進み、役職就任の遅れによる人事滞留が社内の停滞感を強めてもきた。こうした現状を改め、若手の役職登用を進めることで組織の活性化を促すことを目的とした制度である。

具体的には、部長、次長、課長が満57歳を迎えたあと、最初の4月1日または10月1日までに役職を離任し、その後は引き続き専門能力を生かせる部門に配属、もしくは関連事業会社への出向を前提としてグループ事業室または人事部勤務にすることとした。

このころ人事部では、経営戦略に基づいた総合的な人事政策として、若手社員の育成と中高年の戦力化を図るために、新たな役職制度、人事評価の見直し、出向政策の見直し、人材育成制度、中高年の能力開発などを中心に検討を進めてきており、役職定年制度の導入もその一環であった。

なお、1990〜1997年における人事諸制度のその他の動きを以下に記す。

■その他の出来事(1990年~1997年)

1990年9月16日 完全週休2日制を導入

一部の職場を除いて完全週休2日制が導入された。それまで本社部門では、隔週の土曜日が午前中の半日勤務であったが、土曜日も完全に休日となった。この制度の実施によって当社の年間公休日数は81日から104日となり、23日公休が増加した。

1993年4月7日 省エネルギー・家庭の日(ノー残業デー)設定

日本人の年間総労働時間の長さと地球環境保全を鑑み、本社部門において毎水曜日を「省エネルギー・家庭の日」とし、所定の終業時刻をもって一斉退社することをめざした。この設定により社員の私生活の充実と業務効率の向上を図った。

6-10-1-3 情報システムを活用した社内情報共有化

東急グループの情報化の拠点となる「東急市ヶ尾情報センター」が1982(昭和57)年4月に竣工したあと、当社は主に鉄道業務や給与計算業務、会計業務で利用してきた。会計数値をリアルタイムで収集・確定して経営判断に資する必要から、1988年4月に東急会計情報システム(TRAIN)の稼働を開始。これに必要な端末機を主要部署に設置し、社内OAオンラインネットワークの活用が始まった。続いて同年10月から本社の一部の部門の出務表をオンライン化したほか、1990(平成2)年6月には1973年4月に本社内に設けられた資料センター内の蔵書資料を手早く検索できる資料センター管理システムを構築し、稼働を開始した。

情報処理能力の増強や通信量増大への対応を図るため、1993年3月には東急市ヶ尾情報センターのホストコンピュータを日立製作所のM-880に更新。さらに主要部署に端末機としてパソコン(NEC PC-9800シリーズ)を導入し、他社との互換性のある表計算ソフト「Excel」や、日本語ワープロソフト「一太郎」の利用が始まった。また効率化を目的にグループウェアを導入する方針を固めて、1997年7月、本社にグループウェア「Lotus Notes」を導入した。これにより電子メールや電子社内掲示板の利用が可能になり、社員間での情報共有、業務プロセス改革が進展した。

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