第4章 第4節 第1項 不動産事業全体を巡る環境変化

4-4-1-1 新土地税制のインパクト

多摩田園都市の土地分譲が本格的に始まった1960年代半ば以降、当社の営業利益の多くが不動産事業によるものとなっていく。

有価証券報告書の単体決算を見ていくと、多摩田園都市の野川第一地区の土地分譲が始まる前年の1961(昭和36)年度は、全事業営業利益が約28億円に対し、東急文化会館など賃貸収入のみの不動産事業の営業利益はわずか2億円であった。土地分譲の開始と共に収益は大きく伸び、1963年度の不動産事業営業利益は、全事業の営業利益約32億円の半分近い約15億円となった。そして、1970年度から1973年度までの4年間平均で、営業利益は全事業合計約94億円で、鉄軌道事業が約15億円、不動産事業が約81億円、自動車事業は約4億円の損失、その他事業が約2億円という内訳になっていた。

不動産事業の利益拡大の背景には、1967年ごろに始まった住宅用土地主導の地価上昇があったが、さらに1972年6月に『日本列島改造論』が発表され、地価高騰が加速した。主要都市のみならず、北海道から沖縄まで、全国の至るところで不動産業者による土地の買いあさりが起き始め、にわか不動産業者と化した個人による土地投機も活発に行われた。土地公示価格は1973年1月時点の全国平均で、対前年度比30.9%もの上昇を記録するという狂乱ぶりであった。

こうした事態を受けて政府は、数次にわたる金融引き締めを行うと共に、宅地の大量供給に重点を置いた従来の政策を改めて、土地取引に関する規制に乗り出すことを決定。1973年度から、法人に対する土地重課制度と特別土地保有税を2本柱とする新土地税制が施行された。

法人への土地重課制度は、「1969年1月以降に他者から取得した土地」の譲渡については、譲渡益に20%の課税を行うもので、通常の法人税などと合わせると、負担率は約70%となり、土地の販売利益に対して罰則にも近いような税負担が課せられた点に特徴があった。短期間での土地の投機的取引、いわゆる「土地転がし」を防止する狙いであった。もう一つの特別土地保有税は、法人・個人の区別なく、1969年1月以降に取得した土地の保有については取得価額の1.4%が、1973年7月以降に取得した土地については取得価額の3%がそれぞれ課税されるというものであった。

この新土地税制は、当社にとって影響が大きかった。とくに前者の土地重課制度によって、多摩田園都市において土地区画整理組合から取得した保留地の大部分が課税対象となり、適用後、最初の5年間で純資産(1973年3月末時点で218億円)の半分に迫る100億円超の土地譲渡税が課せられ、そのために大量の宅地処分をせざるを得なくなった。『多摩田園都市 開発35年の記録』によれば、横浜市や日本住宅公団に対して大量の土地売却が行われたのもこの時期であった。

さらに1974年12月には国土利用計画法が施行された。土地取引に許可制と届出制が導入された点が特徴で、土地を買うにも売るにも、都道府県知事の許可(一部地域は届出のみ)を得なければならなくなり、地価上昇の歯止めとなった。

こうした土地税制は、不動産事業を見直す機会ともなり、区画整理事業のやり方に変化を与え、付加価値を求めた建売分譲の展開をいっそう促す機会ともなったとされる。

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