第5章 第6節 第3項 浮上をうかがう不動産賃貸業

5-6-3-1 不動産賃貸業の始まり

当社にとって不動産賃貸業は、現在、営業収益および利益の大きな柱となっている。多摩田園都市の土地販売に大きく依存していた1980年代ごろまでと比べると、大きな収益構造の変化である。ただ、その変化が起きるのは結果的に2000年代に入ってからのことで、不動産賃貸業は長らく揺籃期にあった。まずは1970年代末までの動きについて振り返っておく。

当社は古くから不動産賃貸業を行ってきた。渋谷駅周辺では東横(東横百貨店)に東急会館を一括賃貸したのが大口賃貸の始まりで、その後は東急文化会館、渋谷駅西口ビルでも賃貸収入を得ていた。1971(昭和46)年7月の業務組織改正では不動産開発部が新設され、業務分掌事項の筆頭に「不動産リース業」が挙げられた。

同部の誕生を伝える『清和』1971年7月号には、「(これまではもっぱら土地を造成して売ってきたが、)今後は社有地を活用して一般ビル、住宅ビル、レジャービルなどを建設して、賃貸により安定収入を図っていきたい」と当時の不動産開発部長の抱負が掲載されている。社有地を持続的な収益を生み出す不動産資産と捉え、これを活用する部署として誕生したものの、主たる事業エリアを都心とするか多摩田園都市とするか、主たる不動産の形態をオフィスビルとするか集合住宅とするか、まだ手探りであった。

不動産開発部の発足後、初めての大型案件となったのが、1973年に着工、1974年12月に竣工した東急銀座ビル(地下2階・地上7階建て)である。建設場所は東急ハイヤーの銀座営業所があったところで、当社が大森に所有していた土地と等価交換して社有地とし、賃貸ビルを建設することとした。

東急銀座ビル(1974年)

多摩田園都市では地域住民の生活利便につながる商業施設の拡充を主眼として、不動産賃貸物件を増やした。まず1975年6月に竣工した東急藤が丘ビルには、東横食品工業のベーカリーショップ「サンジェルマン」や東横食堂、東横百貨店の分室が入居したほか、第三者を対象に賃貸を行った。

また1978年9月竣工の東急鷺沼ビルにはキーテナントとして東急ストア(さぎ沼とうきゅう)が入居、その他専門店50店をテナントとした。さらに同年10月に竣工した東急宮前平ショッピングパークには21店が入居し、東急百貨店が直営する東急バラエティストアがキーテナントとなった。

第4章でも触れたが、その他の沿線地域では、立体交差化を完成させた中目黒~都立大学間の高架下に、東急ショッピングコリドールが1971年5月にオープンし、祐天寺駅と学芸大学駅近くに東光ストアが出店、その他書店や飲食店などをテナントとした。駅に隣接した利便性から東急ショッピングコリドールは好評を博し、東急文化会館、東急鷺沼ビルに次ぐ賃貸収入となった。

東急ショッピングコリドール(学芸大学駅付近 1971年)

さらに古くは白木屋分店が、直近では東光ストアが入居していた駅ビルの東急五反田ビルは、老朽化に伴う建て替えを行い、1980年2月に東急ストアがショッピングセンター「五反田とうきゅう」を開業した。また、観光サービス事業分野では、東急インチェーンや東急ホテルチェーンに賃貸を行ったほか、当社独自にロッジや貸別荘を展開した。

こうした実績を踏まえて、1979年7月の業務組織改正では開発事業本部に、賃貸ビルの計画・立案・実施を行う組織としてビル事業部が新設(不動産開発部の管掌見直しに伴う名称変更)された。また、多摩田園都市における商業施設などは同じく開発事業本部傘下の田園都市部が手がけることとなった。

5-6-3-2 多摩田園都市および周辺地域での不動産賃貸業

多摩田園都市および周辺地域における1980年代の不動産賃貸業は、不動産賃貸業そのものの成長を志向したものというよりも、あくまでも沿線住民の利便性向上、街づくりの成熟度を向上させる一環として展開していた。

まず社有地の積極的な活用と第二次開発が課題となっていた1980(昭和55)年には、東急あざみ野ビルの建設が決まった。あざみ野駅は1977年に新設したばかりで、沿線のなかでは駅周辺の開発が立ち遅れていたが、ようやく人口定着が進み始めたところであった。同ビルは1981年4月に竣工し、東急ストアと第一勧業銀行に賃貸した。

これと同時期には、自由が丘駅近くにあった当社総合事務所跡地と地元地権者所有の隣接地と合わせて、自由が丘共同ビルを建設、1981年5月に竣工し、東急ストアに一括賃貸した。

当社において社有地活用による当時最大のビル建設となったのが、1982年10月にオープンした「たまプラーザ東急ショッピングセンター」である。同ショッピングセンター建設の経緯については本章第5節に詳述した通りで、単に大家として賃貸収入を得ることにとどまらず、テナントの選定から誘致、オープン後の販売促進や管理運営までデベロッパーとしてかかわり、専門店に対しては固定賃料ではなく売上歩合賃料を設定した点が、従来の不動産賃貸業との大きな違いである。これほど大規模な賃貸物件では初めての試みであった。また1985年4月には中央林間駅周辺の社有地を活用して東急中央林間ビルを竣工し、東急ストアに一括賃貸した。

東横線沿線から少し離れた地域に目を移すと、急速に都市化が進みつつあった町田市でも不動産賃貸事業を展開することになる。国鉄横浜線町田駅は、1908(明治41)年に横浜鉄道の原町田駅として開業したのが始まりで、1927年には小田急線の新原町田駅も開業したが、両駅はおよそ700mも隔たる格好となり、乗り換えには非常に不便があった。このため国鉄原町田駅を小田急寄りに移設すると同時に、駅前整備を行う再開発事業が1970年に始まり、1980年秋に完成した。国鉄は町田駅に改称、小田急は1976年に町田駅に改称した。この再開発事業では3つのビルが建てられ、内2つのビルのキーテナントに東急百貨店が選ばれ、1980年10月に「まちだ東急百貨店」がオープンした。

まちだ東急百貨店(東急百貨店社内報1985年9・10月号)

一方、国鉄町田駅の移設によって旧駅周辺の商店街の地盤沈下が懸念されたことから、一帯の活性化につながる新ビル建設の構想が持ち上がり、町田市から当社に事業参加の呼びかけがあった。具体的には地下2階地上8階建ての商業棟、地上6階建ての駐車場棟(ターミナル棟)の2棟を建設し、3〜6階に両棟の連絡通路、商業棟の2階に国鉄町田駅の改札を設けるという計画であった。これが「町田ターミナルプラザ」である。市との協議により、当社は商業棟のすべてと駐車場棟の一部を区分所有することになり、合計3万3128㎡(1989<平成元>年度末)が当社の賃貸物件となった。

当初は商業棟に百貨店または大型量販店の誘致が構想されていたが、町田駅周辺にはすでに東急、大丸、小田急などの百貨店やスーパーが集積していたことから、目的志向型の店舗展開が模索され、最終的には東急ハンズがキーテナントとして出店、その他専門店が27店出店することとなった。町田ターミナルプラザの開業は1983年10月のことであった。

図5-6-7 町田市中心部の東急グループ施設(1980年代)
町田まちづくり公社「ぽっぽ」WEB案内図をもとに作成

5-6-3-3 都心部でのビル賃貸事業

1983(昭和58)年7月の大幅な業務組織改正で本部制を解消して7事業部制としたことにより、ビル事業部は独立して事業を遂行することになり、都心部のビル建設、一般企業を対象にテナント募集を行うオフィスビルの建設を進めた。

1984年に着工した東急岩本町ビルは、地上5階建て、延床面積1344㎡と小規模なビルながら、当社にとっては東急銀座ビル、渋谷東口ビルに次ぐ3番目のオフィスビルとなった。テナントは一般募集し、1985年3月の竣工と同時にプラントエンジニアリング関係の会社が入居した。

東急岩本町ビル

1985年には江東区の清澄通りに面した社有地に東急牡丹一丁目ビルの建設に着手した。地上7階建て、延床面積は2867㎡で、16台収容のタワーパーキングを持つビルで、1986年10月に竣工、海運代理業の会社に一括賃貸した。

ユニークな用途としては、当社自動車部の不動前営業所跡地を活用した東急不動前ビルが挙げられる。同ビルは撮影スタジオやビデオ編集室などを備えた地下2階地上7階建てのビルで、1988年3月に竣工。東急エージェンシーの関連会社である株式会社イメージスタジオ・イチマルキュウに一括賃貸した。賃貸面積は6601㎡であった。

東急不動前ビル

東急桜丘町ビルも、1986年1月に建設着手した賃貸用オフィスビルで、OA化に対応したインテリジェントビルとして1987年6月に竣工。コンピュータ関係の会社や自動車部品メーカーのほか、株式会社クレジット・イチマルキュウのオフィスが入居、地下2階には東京電力の変電設備が置かれた。1階から8階までの合計賃貸面積は4714㎡であった。1992(平成4)年7月以降は、当社が本社オフィスの一部として利用している。

竣工したばかりの東急桜丘町ビル(左は旧本社ビル)

このほか、渋谷駅前には、渋谷駅前共同ビルを建設して1987年10月に109-②が開業した。1989年8月には東急百貨店との共同事業によりBunkamuraを竣工させるが、これらについては第9節で後述する。

当社の不動産賃貸面積は1979年度15万1931㎡から、1989年度37万7471㎡となり、10年間で約2.5倍、不動産賃貸業の営業収益(単体)は、1979年度の44億7700万円から1989年度の174億4700万円と、10年間で4倍近くに拡大した。これには、たまプラーザ東急ショッピングセンター(賃貸面積5万2474㎡)や町田ターミナルプラザ(同3万2873㎡、区分所有分)、香林坊第一開発ビル(同2万3310㎡)や東急中央林間ビル(同2万2420㎡)が大きなインパクトとなっていた。なおこのころは商業用途が中心で、2000年代に入ってから都心部のオフィスビルを拡大していくことになる。

表5-6-2 1980年代の不動産賃貸事業推移
注:「有価証券報告書」、「会社概要'88」、「会社概要'90-'91」をもとに作成

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