第5章 第3節 第1項 立体交差化の進展に伴う安全性の向上

5-3-1-1 東横線・池上線での立体交差化と新工法

1954(昭和29)年に着工した中延駅付近立体交差(大井町線と国道1号の立体交差化)以来、当社では20件近くの立体交差化工事を行い、踏切解消による安全性の向上、地域道路交通の円滑化などに大きな成果を上げてきた。1980年代には、工事延長が1000mを超える2件の立体交差化工事を進めた。東横線新丸子駅付近(多摩川園〜武蔵小杉間)と、池上線戸越銀座〜旗の台間である。

新丸子駅付近立体交差化工事は、1978年に川崎市の打診を受けて、協議の結果、鉄道と平面交差する道路はそのままに、鉄道線を高架化して踏切3か所を解消することとなった。この区間は、上り線側の渋谷方に保線機械基地への側線があり、桜木町方には川崎市道があったため、これらの用地を活用して、現在線をいったん仮線に切り替え、現在線の場所に高架橋を構築して、仮線から1線ずつ高架橋へ切り替えていく方式とした。これが立体交差化工事で一般的に用いられる「仮線方式」である。同工事は1982年に着工、1988年に竣工したが、その後東横線の複々線化が決定したため、のちに高架橋を当初の計画よりも拡幅して4線を確保することとなる。

図5-3-1 東横線多摩川園~武蔵小杉間立体交差化工事概要図
出典:『清和』1982年7月号
多摩川園~武蔵小杉間の立体交差化工事(工事開始前の新丸子駅)

戸越銀座〜旗の台間立体交差化工事は、延長1550mの区間を途中の荏原中延駅も含めて、連続的に切り下げ、地下化することで東京都の都市計画道路などと立体交差化し、13か所の踏切を解消するものである。同区間の立体交差化はすでに1974年12月に東京都が都市計画決定をしていたが、工事用地の確保が難題であった。とくに戸越銀座側は鉄道用地の間際まで住宅が密集していることから、在来線の線形のほぼ直下で地下化するしか方法がなく、具体的な工事方法の検討は緒についたばかりであった。

図5-3-2 戸越公園~旗の台間立体交差化工事概要図
出典:東急建設『東急池上線戸越銀座~旗の台間連続立体交差化工事―直下地下切替工法―工事誌』1991年1月
戸越銀座~旗の台間立体交差化工事

線路直下への地下線建設は他社に先例があり、当社でも新玉川線建設の計画時に、軌道線の玉川線の営業を継続しながらその直下に敷設する案が検討された。地上線を桁で仮受けした状態で、直下の地下に構造物を構築すること自体は可能だが、問題は地上線から地下線への切り替えで、他社例では工事区間端部の切替部だけは仮線方式が採用されてきた。しかし、旗の台側では工事用地を使って仮線方式で切り替えることができるものの、戸越銀座側に仮線を設ける余地はなかった。

図5-3-3直下地下切替工法(STRUM工法)施工段階図
出典:『清和』1980年3月号

そこで当社、東急建設、橋梁製作会社の東京鐵骨橋梁製作所(現、日本ファブテック)の3社で施工方法の検討を進め、3社共同で「直下地下切替工法(のちにSTRUM工法<Shifting Track Right Under Method>と名づけられた)」を開発した(特許出願は東急建設)。地上の旧線路の直下地下に新線路を敷設すると、切替区間では車両の頭上を仮受け桁が支障する格好となるが、この切替区間の仮受け桁を部位に応じた方法(扛上(こうじょう)<※>や縦取りなど)で運行に支障のない高さまで移動・撤去させ、終電から初電までの一夜にして切り替えを完了させるというものである。

  • ジャッキなどでまくら木やレールなど軌道を持ち上げること

1981年には、戸越銀座側の切替区間280mの約半分の長さの実験線を東京鐵骨橋梁製作所の旧工場跡地につくり、各種の実験を実施して、新工法の有効性を確認した。

運輸省・国鉄・東京都・鉄道関係者ら300人を招待して1981年6月10日・11日に実施した実験の様子

本工事は、1979年12月に着工し、線路の仮受け桁の建設、その直下での地下構造物の建造などを進め、1989(平成元)年3月18日の終電後、最も難工事といわれた線路の切替工事が行われた。当夜は500人の作業員を動員して各種作業を行い、約4時間で切替作業を完了。翌19日の初電が新線路を通過すると、いっせいに歓声と拍手が沸き起こった。

こうして13か所の踏切が一夜にして解消した。

図5-3-4 市街地における鉄道路線直下地下切替工法
出典:『直下地下・直上高架切替工法「ストラム」STRUM』(東急建設1994年)
縦取桁をウィンチで引っ張る

この直下地下切替工法は、建物が密集する市街地における鉄道線の立体交差化に技術的な発展をもたらしたものと評価され、工法の開発に携わった3社5人が1991年5月に開催された土木学会通常総会において、1990年度土木学会技術開発賞を受賞する栄誉を得た。

さらに、1989年に着工した大倉山~菊名駅間立体交差化工事などに応用され、当社鉄道線の土木工事において大きな技術的資産となっていく。

5-3-1-2 解消が進む踏切、田園都市線は踏切ゼロに

この時期には田園都市線の田奈1号踏切と東横線の渋谷2号踏切の解消にも取り組んだ。

田奈1号踏切は長津田駅の渋谷方にあった踏切で、田園都市線と国鉄横浜線が道路を交差していた。田園都市線の溝の口~長津田間では、当初たまプラーザ~江田駅間に2か所、そしてこの田奈1号踏切の計3か所の踏切があった。たまプラーザ~江田駅間の2か所は、開業後数年で廃止されたとされるが詳細は不明である。この時期、この田奈1号が唯一残っていた踏切であった。

長津田駅までの開通(1966<昭和41>年)以降、鉄道と道路双方の通行量が多くなり、とくに朝夕は踏切の遮断によって、道路交通の渋滞が激しくなっていた。また、線路による地域分断で街の発展が阻害される、踏切事故の危険があるなどの理由で、地元から踏切の解消を求める陳情書が提出されていた。このため当社は国鉄と踏切道立体化について協議を重ね、踏切道を廃止し、地下車道と地下歩道の2本のトンネルを新設することとした。この工事は1986年2月に着工し、1989(平成元)年12月に竣工。これにより田園都市線は踏切ゼロの路線となった。

図5-3-4田奈1号踏切の位置図
注:「GSI MAPS」(国土地理院)をもとに作成
踏切が解消された田奈1号踏切現況(2021年8月)
田奈1号踏切があった場所を北側から望む

渋谷2号踏切は東横線代官山駅の渋谷方に隣接した踏切。代官山駅のホームは、この踏切と中目黒方の隧道に挟まれているため、ホーム延伸ができず、18m車両8両編成や20m車両7両編成の列車が停車する場合は、中目黒方2両のドアを開閉しない、いわゆる「車扉非扱い」で対応していた。東横線の輸送力増強策として普通列車の20m車両8両編成化を実施するにあたり、当社は隧道の改築と踏切道のスロープ付き歩道橋化による立体交差化で、ホームを延伸する意向であった。

しかし踏切道の歩道橋化に地元から異が唱えられ、協議が難航したことから、当社はやむなく代官山駅を約300m渋谷側に仮移転し、20m車両8両編成に対応したホームを設けて、1986年4月から暫定的に運用を開始した。この仮移転が契機となって元の代官山駅の改良工事に関する地元との協議が進み、1988年7月に着工、1989年3月に竣工した。

仮設駅から本設駅への移動のお知らせ
出典:「東急からのお知らせ」1989年3月号
改良後の代官山駅(駅舎はまだ工事中)。スロープ付き歩道橋が見える(1989年9月)

1954年から開始した一連の立体交差化工事により、1989年の時点で当社鉄道線の踏切道は294か所から214か所へ減少した。運転保安度の向上には、踏切の解消が極めて重要である。これにいち早く取り組んだ当社ではあるが、このあとも努力を続けた。

こうした立体交差化工事での技術向上や前述の大規模工事の実施と併せ、鉄道の安全性をより専門的に高度化する取り組みを進めたのもこのころである。

東横車輛電設(現、東急テクノシステム)は、鉄道車両保守・改造、電気、信号関係を主に担うため1940年に設立されたが、この時期技術力を高めて自動車関係の事業にも進出していた。また、1984年10月には東急建設、当社、京浜急行電鉄の3社共同出資により鉄道軌道の敷設・保守を目的とする東急軌道工業が設立された。

両社とも当社のみならず同業他社からも関連工事を受注し専業会社としての役割を果たし続けている。

5-3-1-3 [コラム]事故を振り返る──新玉川線渋谷駅と東横線横浜駅での事故

1985(昭和60)年9月26日の朝ラッシュ時、新玉川線渋谷駅で車両故障が起きた。トンネル内という狭い場所での台車故障であったため、車両をすぐに移動させることができず、後続列車の旅客誘導にも時間を要した。復旧までに6時間を要し、乗客約16万人に影響が出た。この事故を受け、連絡通報、旅客避難誘導、負傷者救護、復旧作業の迅速化を目標に、同年12月18日には池尻大橋と中央林間駅の2か所で地下区間での異常時総合訓練を行った。

また、1986年3月13日朝には、東横線横浜駅で、桜木町行きの急行電車が発車して約35mを走行したところで、最後尾車両の前部車輪が脱線した。横浜駅で乗客の大半が降車したあとで、最後尾車両の乗客は7〜8人と少なく、けが人はいなかった。

事故の原因は、軌道のカントてい減区間における車両の輪重減少および、輪重のアンバランスとされる。当社はこれに対応して車体ねじれに起因する静止輪重比を10%以内に管理するほか、カントのてい減率を極力600倍以上に緩和し、やむを得ない箇所に設置する脱線防止ガードの設置基準についても厳しくするなど対策をとった。

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