1950年代に撮られた自由が丘の古い写真をもって同じ場所に行ってみる【東急線沿線ビフォーアフター】
Urban Story Lab.
2026/9/10

古い写真というものがある。白黒の写真で、写っているのは知らない景色だけれど、家々は古く、どこか懐かしく感じる。バスが停まっていて、人の往来も多いので、賑わいのあるまちのはずだ。ということは、開発が進み、今はもう見ることのできない景色かもしれない。
そんな古い写真を突然渡されたら、それがどこを写したものか、わかるだろうか。写真に写っている場所を特定して、同じアングルで撮ることはできるだろうか。ということで、古い写真の場所に行って思いを馳せようと思う。
3枚の古い写真
古本屋に行くと、昔の絵葉書などを売っていることがある。またどこかのまちに出かけると、駅前や駅ナカに古いその地域の写真が飾ってあることもある。今はない景色を知ることができるので、タイプスリップしたようで楽しく感じる。

私はそのような古い写真が大好きなのだが、またしてもUrban Story Lab.編集部に呼び出された。
前回、三軒茶屋の古い写真1枚だけを渡されてまちをさまよった。今回も渋谷に呼び出され、3枚の写真を突然渡された。
「今回は3枚あります。この場所に行って探してきてください」
1枚から3枚へ。着実に難度を上げて負荷も増やしてくる編集部。3枚の写真はどれも白黒で、どれも懐かしく感じた。その時代を知らないのに、懐かしく感じるから不思議だ。



3枚あるけれど、どれも同じ駅周辺で、同じ時代の写真だそうだ。この場所がどこか探しださなければならない。楽しい作業だ。ちなみにAIに聞くのは禁止と言われた。AIがなくても場所を特定できるはずだ、そう私なら。

プロファイリング地主
正直に話そう。1枚目の写真を見た時に、場所がわかってしまった。調べるまでもなく、場所がわかってしまったのだ。おそらく私の隠れた能力なのだろう。…というのは嘘で、去年だったかな、ニュースで見たからだ。

1枚目の写真に、不二屋書店という本屋さんが写っている。この本屋さんは「自由が丘」にあった本屋さんなのだ。2025年に102年の営業を終えた、とニュースになっていた。だから私は知っていたのだ。では、次に写真が撮られた年代を特定したい。

現在の自由が丘駅のロータリーには、1961年に建てられた「女神像」がある。それが確認できないので、この写真はそれ以前ということになる。また意外に小型の車が多いように感じる。

自動車の一般的な普及は1960年代。自由が丘はお金持ちの土地だったので、その少し前から持っていたと考えると、1950年代後半か。1955年に通商産業省が国民車構想を掲げた。つまり、この写真は女神像がないので、1955年から1960年辺りということでどうだろうか。

この写真は土地勘とかなくても、自由が丘であることがわかる。なぜなら看板をよく見ると「自由ヶ丘グリル」という文字があるからだ。千葉にあるけど、新東京国際空港と呼ばれていた例もあるけれど、普通に考えれば自由が丘にあるから「自由ヶ丘グリル」のはずだ。

また奥には「ひかり」の文字も見える。これが「ひかり街」のことだ。ひかり街は今もある。調べてみると1954年にできたものらしい。
そして「自由が丘グリル」の看板が掲げられている建物は「自由が丘デパート」のはず。1953年に完成しているそうだ。1枚目と同じ頃に撮られた写真だと編集部から聞いているので、やはり1955年から1960年辺りで正解のはずだ。

これについては何にもわかりませんでした。この写真だけを渡されていたら、私は何もわからなかったと思う。ヒントがなさすぎる。全然見たことのない駅だ。ただ、ここに写っているのも自由が丘駅なのだ。編集部から事前に、3枚の写真は同じまちのものだと聞いていたので。

いざ、自由が丘駅へ
ということで、自由が丘駅へと移動した。目黒区にある駅で、東横線と大井町線の2路線が交わる駅だ。スイーツのお店が多いイメージがある。それは昔からなのかもしれない。1枚目の写真には不二家の洋菓子店もあったし、2枚目の写真にはモンブランの文字もあった。

駅前に広がっていた光景は当然、写真とは違うものだった。ロータリーはあるけれど、まるで違うように感じる。写っているお店の構成も当然異なる。共通点は賑わいのあるまちであること。それは今も昔も変わりないようだ。


1枚目の写真と同じ場所であろう場所へと向かってみる。
写真に写っていた不二家書店は「I'm donut?」に変わっていた。その隣の「不二家の洋菓子」は、「ダロワイヨ自由が丘本店」となっている。ただ「ダロワイヨ自由が丘本店」は、1982年に株式会社不二家がダロワイヨ社とライセンス契約締結してオープンしたもの。同じ不二家ではあるのだ。だから残っていると言えなくもない。

次に2枚目の写真の場所に向かった。自由が丘デパートだ。その向かい側には「モンブラン」や「イケダ」という文字が見えるけれど、そのお店たちはすでにない。なぜなら私が訪れた時はすでに「自由が丘 ミューズスクエア」が建設中だったからだ。


昔の写真では「自由が丘デパート」は2階建てプラス屋上のように感じるけれど、今は4階建てになっている。どういう変化があったのだろうか。
あたたかいまち、自由が丘
デパートの前で白黒写真と目の前の建物を交互に見比べながら唸っていたら、通りすがりのお上品なマダムが「あら、いいわね」と手元を覗き込んで話しかけてくれた。古い写真を見ながらお話ししていると、マダムが「これ見るともっとよく分かるわよ!」と、なんと「自由が丘商店街振興組合50年記念誌」という貴重な冊子をくださったのだ。
マダムによると、「自由が丘デパート」は1970年頃に4階建てになったそうだ。写真の当時は、屋上にローラースケート場があったらしい。ぜひ滑ってみたかった。

それだけでも驚きなのだが、さらにマダムは「私、自由が丘デパートの管理人さんとお知り合いだから、紹介してあげるわ!」と管理人さんまで紹介してくださった。そしてそのお導きにより、デパート2階で創業当時から営業している「味の一番」の店主さんにお話を聞くという、完璧すぎる流れになったのだ。見知らぬまちで突然はじまる奇跡の数珠つなぎ。自由が丘の人、優しすぎる。

「味の一番」は「自由が丘デパート」の2階にお店を構えるトンカツ屋さん。「自由が丘デパート」ができた時から営業している唯一のお店だ。オープン当時は同じ2階のもう少し自由が丘駅よりにあったそうだけれど、「自由が丘グリル」があった場所に今はお店を構えている。

写真はやはり私の読み通り1958年頃だそうだ。当時の自由が丘は、銀座と同じような賃料だった。「今も高いけど…」と店主は続けた。またお金持ちのまちというか、別荘地だった。映画館が何軒かあり、ジャズの生演奏が聞けるお店があり、結婚式も挙げられる中華料理屋もあったそうだ。

また、“自由ヶ丘夫人”という言葉があったそうだ(同名の小説や映画も)。だからさきほどお会いしたマダムは、現代の自由ヶ丘夫人だったのかもしれない。裕福層が住んでいて、周辺で一番栄えていたのが自由が丘だった。写真にあるモンブランも自由ヶ丘夫人たちが食べていたのかもしれない。

このモンブランは「東京 自由が丘 モンブラン」のことで、誰もが知るモンブランの発祥のお店だ。モンブランは海外で生まれたものかな、と思ってしまうけれど、日本で生まれたものなのだ。「自由が丘 ミューズスクエア」で新たにお店を開くそうだ。

ちなみに3枚目の写真については、面影すら残っていない。現在の「自由が丘東急ビル」あたりから駅に向かって撮っているものらしい。
当時は駅に街頭テレビなどもあったという。店主は「懐かしいな」と言っていた。また全体的に今は開発が進み当時とは違うまちになっている。自由が丘 ミューズスクエアができるように。
店主は「(新しい施設ができることは)いいよね」と言っていた。「人が来るようになるよ」と楽しみにしている感じだった。

まちで声をかけて貴重な冊子をくれたマダム、紹介してくれた管理人さん、そして突然訪れた私に温かく昔話を聞かせてくれた「味の一番」の店主さん。自由が丘には優しくあたたかい人が多い。今まで私は自由が丘にそんなに縁がなかったのだけれど、人の温もりに触れて、急に大好きなまちになった。
変化を楽しむ
「味の一番」の店主さんは「昔はよかった」ではなく、「今も、これからも楽しみ」と話していた。古い写真の場所に行くと、大抵は変わっているのだけれど、その変化がやはりいいのだ。まちは生きている、と感じることができるひとときだった。

1961年に建てられた女神像。50年代の白黒写真にはなかったけれど、今ではすっかりこのまちのシンボルだ。変化し続ける自由が丘のまちを、女神様はこれからも優しく見守っていくのだろう。
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文/地主恵亮
写真/高山諒(ヒャクマンボルト)
編集/ヒャクマンボルト
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