1960年代に撮られた写真の場所を探して実際に訪ねる【東急線沿線ビフォーアフター】

Urban Story Lab.

2026/5/19

古い写真というものがある。そこに写るのは、今では見ることができない景色かもしれない。現在ではなくなってしまったお店が立ち並び、懐かしい形の車やバスが走っている。その時代に生まれていなくても、懐かしく感じるから不思議だ。

では、そんな古い写真に写る場所を探し出すことはできるだろうか。写真は白黒で、間違いなく今では見ない街並みだ。でもどこかで撮られたはずなのだ。ということで、古い写真の場所を探し出してみたいと思う。

白黒の風景写真

東京は特にそうだけれど、まちは絶えず変わっていく。いつも通る商店街を思い浮かべても、新しく飲食店ができていて、前は何のお店だっただろう、と考えることもある。そんな日々変わるまちを記録しているのが写真だ。

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どうも、この記事を書いている地主です!

Urban Story Lab.の編集部に渋谷に呼ばれて、1枚の写真を手渡された。「AIを使わずに、この写真に写っている場所を探してください」と言われた。古い写真、私の大好物だ。以前から古い写真や昔のガイドブックが好きでよく見ている。写真から場所を特定するのは、もはや特技と言ってもいい。

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今回の写真です!

見るからに古い。意図的に白黒写真にしたのではなければ、1970年よりも前の時代の写真のはずだ。カラー写真の普及は1964年の東京オリンピックや、1970年の大阪万博くらいから普及したと言われているからだ。

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プロファイリングしましょう!

写真から推理する!

AIは使わないけれど、パソコンで無駄に白黒写真をカラーにしたり、大きくしたりして、情報を探す。今回の写真の場合は、まず撮られたおおよその時代を割り出すところから始めようと思う。なぜなら実はこの写真ならそれが簡単にわかるからだ。

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日本相互銀行がありますね!

「日本相互銀行」が写っている。これが目に入ったから、年代を割り出すところから始めたのだ。「日本相互銀行」は現在の「三井住友銀行」の前身のひとつで、その名前で存在したのは1951年から1968年の17年間だけ。その後は「太陽銀行」になっている。

つまりこの写真は1951年から1968年の間に撮られた写真であることがわかる。中央値を取って「1962年」頃としよう。

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富士銀行もありますね!

ちなみに「日本相互銀行」の向かい側には、「富士銀行」も確認できる。「富士」しか文字は読み取れないけれど、ロゴが富士銀行のものだ。

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向かい合って銀行があるわけです!

ちなみに古い写真は大抵画質が悪く、文字などが潰れて見える。そのような時は、目を見開いてキチンと見るよりも、目を細めて見た方がいい。明暗の差を確かめるみたいな感覚だ。そうするとぼんやりと形が見えてくる。

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次はバスに注目!

次はおおよその場所。これも特定できるものが写っている。バスだ。バスの方向幕に「田園調布駅」と書かれている。大田区にある駅だ。このバスはどこかから、田園調布駅に向かうバスということになる。

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側面にある「TKK」とは?

バスの側面には「TKK」の文字が。これは「T(東京)K(急行電鉄)K(株式会社)」を表したものとこと。現在の東急バスと考えていいと思う。このバスは東急バスの田園調布駅行き。おそらく撮影地が「東京」と予測はできる。

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このレールが気になりますよね!

そして、一番のポイントはやはり地面に敷かれたレールだ。つまり路面電車。奥から1本のレールが敷かれ、手前で二手に分かれる。とても特徴的と言える。この線路沿いに、先に書いた2つの銀行があり、左手に大きな呉服店、お店も立ち並んでいることから、撮影地が賑わいのある商業地域だろうと想像できる。

次に現在の「田園調布駅」から出ているバスを見る。現在のバス路線が60年以上前と一緒なのか、と疑問に思うかもしれないけれど、賑わいのある場所なので、今も変わらずにバスが走っていると私は考えた。

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田園調布駅から出ている東急バスをリサーチしてみる

4つの路線があることがわかる。渋谷に行く「渋11」と、千歳船橋などに行く「園01」、中町五丁目に行く「田園調布駅-中町五丁目」、蒲田駅などに行く「蒲12」だ。これらのバスが走っているルートを1962年頃の地図で追う(1962年の地図がなかったので、1965年頃の地図を使います)。

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1965年頃の田園調布駅周辺(参照:『今昔マップ』

「渋11」は自由が丘駅や駒沢大学駅前を通り、三軒茶屋駅を通り渋谷に至る。1965年頃の地図で追っていくと、三軒茶屋駅の辺りで、二手に分かれるレールの上を走ることがわかった。つまり写真の場所は三軒茶屋なのではないか。

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このあたりと特定!(参照:『今昔マップ』

場所がわかればこのバス路線上にある路面電車の名前もわかる。「東急玉川線」、通称「玉電」だ。1907年に玉川電気鉄道として渋谷〜玉川(現在の二子玉川)間で開業し、1925年には三軒茶屋〜下高井戸間も開通する。だから写真のレールは二手に分かれているのだ。

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つまりこういうことです!

ちなみに先に載せた地図ではわからないけれど、1959年に地理調査所が作成した地図では、玉電のレールを挟んで2つの銀行があることも確認できた。もう間違いないのだ。この写真は1962年頃の東京・三軒茶屋ということなる。

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証明完了!

現地に行く!

サラサラと自慢げにプロファイリングをしたけれど、実際は30分ほど調べている。その結果、ほぼ間違いなく「三軒茶屋」ということだ。ということで、渋谷から田園都市線に乗って三軒茶屋に移動した。

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三軒茶屋駅に来ました!

ちなみに田園都市線の渋谷〜二子玉川間は、先の玉電の代替路線。玉電は1969年に廃止され、1977年に新玉川線として開業した。開業するまでの8年間はバスによる代行輸送が行われていた。2000年に新玉川線は田園都市線と線名を統一する。私が上京した時はすでに渋谷〜二子玉川間は田園都市線だったけれど、2000年と思うと、最近な気もする。

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写真はここから撮っていますね(参照:『今昔マップ』

三軒茶屋は若い人で賑わっていた。周りに大学もあるし、飲み屋も多いので、若い人のまちという印象だ。だって今は、ビルなどいろんな建物が入れ替わっているんだもの。

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1962年頃の三軒茶屋
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2026年の三軒茶屋

何もかもが違う。まず玉電がなくなっている。次に道路が広くなっている。この道路は国道246号なのだけれど、1964年の東京オリンピックの際に拡幅される。新玉川線も本来は一部を除き地上を走る計画があったけれど、この拡幅などの理由により地下を走ることになった。

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首都高速も走っている

首都高速は渋谷出入口と用賀出入口が1971年頃に開通しているはず。また1975年頃の地図を見ると、当たり前だけれど、玉電はなくなっている。三軒茶屋〜下高井戸間は独立して残り、世田谷線となった。

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現在の世田谷線の三軒茶屋駅

面影ないな、という感じ。今も写真の場所で道は二手に分かれているけれど、それ以外に面影がないのだ。同窓会で「誰だっけ?」と思うやつだ。それだけ街がかわったということ。大きいのは1964年の東京オリンピック。いろいろと変わるタイミングだったのだ。

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今もここで二手に分かれます!

当時の三軒茶屋を知る

写真の場所は特定できたし、現在と比べることもできた。せっかくなので、写真当時のことを知りたいと思い、近くの呉服店「高葉屋」さんと三軒茶屋観光案内所を訪れた。高葉屋さんは戦後すぐから現在の場所で営業している。創業は大正だそうだ。

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高葉屋さん

高葉屋さんの女将さんは生まれも育ちも三軒茶屋で、写真の当時は10歳くらいだそうだ。ただこの景色を全然覚えていないと言っていた。ただ玉電については覚えていて、渋谷駅の玉電乗り場には白い看板と赤い看板があり、白い看板が「二子玉川園行き」、赤い看板が「下高井戸行き」だったそうだ。

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この呉服店の名前も聞きました!

写真にある呉服屋さんは「斎藤呉服店」と教えてもらった。高葉屋さんもそうだけれど、この辺りには呉服屋が多かったそうだ。それは染め物屋もまた多かったから。染め物の水洗いは川で行われるのだが、当時は太子堂の辺りに川があったので多かったそうだ。

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1965年頃は川があり、現在はないですね(参照:『今昔マップ』

この川は「烏山川」。烏山川と北沢川が合流して桜で有名な目黒川となる。1965年頃までは烏山川用水と呼ばれる清流だったそうだ。1970年代くらいから暗渠(あんきょ)となっており、現在はその上に緑道が整備されている。今は染め物屋もないそうだ。

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現在の烏山川と北沢川の合流地点は「目黒川緑道」にある

三軒茶屋観光案内所の方に話を聞けば、「斎藤呉服店」は今はもうないけれど、近い場所にビルを持っているそうだ。ビルの名前が「さいとうビル」で、1階が洋服チェーン店なので、名残があると言えばあるとも言える。

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さいとうビル

当時の三軒茶屋について聞くと、今のようにやはり賑わいがあるまちだったそうだ。世田谷を代表する商業地域だったと教えてくれた。玉電が走り、その玉電が2つに分かれる場所だ。賑わうのもわかる。今も昔も賑わいがあるまちなのだ。

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ここから写真を撮った背後のビル(ビッグエコー)は当時「協和銀行」だったそうです

国道246号の拡幅もあり、そもそも撮られたのが随分と前なので、写真に写っている建物は基本的にはもうないそうだ。道路の拡幅は急務ではあったと思う。1960年、世田谷区民が保有する車は6,000台ほどだけれど、1970年には65,000台と10倍以上。道が広くないと大変なことになる。

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「O-Path目黒大橋」に玉川線の軌道の再現があります!

ということで、写真の場所を訪れたけれど、当時の名残はあまりなかった。ただお話を聞くことで、当時の様子を知ることはできた。三軒茶屋は昔から賑わいのあるまちなのだ。

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当時は烏山川だった緑道は気持ちがいいです!

気分は探偵!

写真を渡された時にAIは禁止と言われた。全ての撮影が終わってから、AIに聞いてみた。すると驚いた。一発で場所を当てたからだ。AIに勝てるように、私も昔の写真のプロファイリングに磨きをかけていきたいと思う。実際、プロファイリング、楽しいのだ。探偵になったような気がして。

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AI、すご!

参考文献:「世田谷 往古来今」世田谷区政策経営部政策企画課区史編さん 2017

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文/地主恵亮
写真/高山諒(ヒャクマンボルト)
編集/ヒャクマンボルト

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