
東急新横浜線・新綱島駅の開業をきっかけに、新しい景色が広がる綱島のまち。一方で、温泉文化の歴史や商店街のにぎわい、人と人との温かなつながりなど、このまちならではの魅力は今も受け継がれています。
今回お話を伺ったのは、綱島で生まれ育った、純烈のメインボーカル・白川裕二郎さん。わんぱく少年だった子ども時代から、相撲、芸能界へと歩んできた人生、そして今も変わらないふるさとへの想いまで。綱島の風景とともに、その物語をたどります。

白川裕二郎さん
俳優・歌手。1976年12月11日生まれ、神奈川県出身。高校卒業後、相撲部屋に所属。その後、俳優として活動を開始し、『忍風戦隊ハリケンジャー』や、NHK大河ドラマ『功名が辻』などに出演。歌謡グループ・純烈のメンバーとして、2010年にシングル『涙の銀座線』でメジャーデビュー。
「綱島は魅力のかたまり」白川さんが語る、変わらない綱島らしさ
——綱島で生まれ育った白川さんから見て、綱島はどんな魅力があるまちですか?
白川さん:もう魅力のかたまりです!自然が身近に感じられますし、古き良き商店街も残ってますし、住んでいる方も人情深い。戦前から戦後にかけて「東京の奥座敷」と呼ばれるほど賑わっていた綱島温泉の文化も残っています。

白川さん:一方で開発も進み、2023年には新綱島駅も開業しました。新しい街並みが整備されてきて、交通の便も良く、住みやすさも断トツですよね。とにかく魅力がものすごく詰まったまちだと思います!
——白川さんが感じる「綱島らしさ」とは?
白川さん:人と人との繋がりが色濃く残っているところですかね。綱島って、自治会や商店街の催し物やまちをあげてのイベントがすごく多いんです。例えば、綱島公園で行われる「綱島桜まつり」、綱島駅周辺が賑わう「つなしまオータムフェスティバル」、僕も小学生の頃に参加していた「綱島子どもすもう大会」、綱島諏訪神社の例大祭では、街中をお神輿が練り歩きます。10基以上のお神輿が綱島駅に集結するのですが、圧巻ですね。去年、僕も久々に担ぎました。いろいろな方たちがごちゃ混ぜになりながらお神輿を担いで、盛り上がる。そんな人と人との繋がりが色濃く残っています。

——住民の方々の「まちを盛り上げよう!」という熱量が高そうですね。
白川さん:そうなんですよ!綱島を盛り上げて、子どもたちに楽しんでもらおうという熱い気持ちを持った大人が多いです。子ども向けにイベントを開催している通称「綱島パパ会」とも呼ばれている集まりもあって、どんどん輪が広がっています。先日は北綱島小学校でお祭りを開催して、100円や200円で買える屋台があったり、子どもたちのダンスの発表があったり、たくさんの子どもが楽しめるイベントとして盛り上がっていましたよ。
——子どもの頃と比べ、変わったと感じるところはありますか?
白川さん:やっぱり開発によって、街並みは変わりましたよね。僕たちが子どもの頃に慣れ親しんだ場所もなくなってきています。時の流れは感じますが、それでも昔ながらのお店も残っていますし、人の温かさや地元の交流は変わらない。あと、鶴見川の風景も変わらないですね。小学生の頃には鶴見川沿いで花火大会もあったんですよ。思い出の場所の一つです。

——では、綱島駅を走る東横線の思い出は?
白川さん:綱島駅って、渋谷に出るのも横浜方面に出るのも便利なんですよ。若い頃は遊びに行くのに困らなかったですし、よこはまコスモワールドにデートに行った思い出もありますね。あと、昔は桜木町駅まで東横線が運行していて。母の勤め先が桜木町だったので、荷物が多い時に迎えに行った思い出もあります。そういう時は野毛山動物園の途中の高台で木の実をとって遊んだな…とか、東横線には幼い頃の母との思い出も詰まっていますね。
綱島の少年が夢を追って。相撲、そして芸能界への原点
——子どもの頃はどんな少年でしたか?
白川さん:「子どもは風の子」という言葉を体現するようなわんぱくな子どもでした(笑)。ほとんど外で遊んでいたので、夏は真っ黒に日焼けして、冬も半袖短パンで走り回っていました。ヒザやヒジには常に擦り傷や切り傷があるようなタイプ。鶴見川で魚を捕ったり、台風で川の水が増した後にできる小さな池で遊んだり、綱島公園でカブトムシやクワガタを捕ったりもしていましたね。

——子どもの頃の綱島での家族での思い出は?
白川さん:母が教員だったのですが、子どもの頃、「浜京」という教員用の保養所が綱島にありました。2週間に1回くらい泊まりに行っていて。近くにあったファストフード店でハンバーガーセットを買って、宿で黒湯に入って、テレビを見ながらハンバーガーを食べて、母親と「最近、学校どう?」なんて他愛もない話をする。日常の中の特別感があって、そんな時間をすごく覚えていますね。
あとは母校の綱島小学校には土俵があって、僕も相撲をしていました。細い体型ながら結構強かったんですよ。当時は「綱島子どもすもう大会」の優勝商品が大きなスイカで。両親も「今年も勝てるでしょ!」くらいのテンションなのですが、いざ優勝してスイカをもらってくると両親もすごく喜んでくれて。自分の相撲で両親が喜んでくれるって、こんなに嬉しいんだ!と小学生ながら感じましたね。
——高校卒業後に相撲部屋に入門されますが、そのきっかけもやはり幼い頃から綱島で相撲をしていたから?
白川さん:そうですね。幼い頃から相撲で活躍することを夢見ていましたね。そしたらたくさんお金も稼げるし、両親も喜ぶと思っていて。子どもの頃から父親には「将来、相撲で有名になったらポルシェ買ってあげるよ!」とか言っていたんですよ(笑)。
そして小学校6年生の時に父親が亡くなったことも、相撲の道に進んだ理由として大きかったですね。女手ひとつで僕と姉を育ててくれた母親を楽させてあげたいという気持ちが強く、夢見ていた相撲の道に進むことを決意しました。
——今でも「相撲をやっていて良かった」と思うことはありますか?
白川さん:ものすごくあります!僕が相撲部屋に入った時は、いわゆる「若貴ブーム」の絶頂期。純烈のファンの皆さんの中には、その時代の相撲を見ていた世代の方も多くて。「相撲部屋にいました」というのは話のきっかけにもなります。
また、四股や鉄砲で下半身を強化してきたので、今の歌声の安定にも役立っています。相撲はきついスポーツでしたが、確実に今の糧になっていますね。芸能界で大変なことがあった時にも「あの時よりは大丈夫!」と思えます。

——では、芸能界に入るきっかけについて教えてください。
白川さん:相撲部屋を辞めてからは、綱島周辺でアルバイトをしている生活でした。その時に母親が「劇団俳優座」という劇団に履歴書を送ってくれたことがきっかけです。はれて劇団俳優座の研修生に合格したのですが、3年間の研修期間のうち、僕は2年目に進級することができなかったんです。すごくショックだったのですが、母親が「1年間演技の勉強がタダでできたわけでしょ?むしろ早く次の道に進めてよかったじゃない!」とポジティブに励ましてくれて、気持ちも前向きになりましたね。
その後は、当時芸能関係の仕事をしていた姉の宣材写真の撮影についていったことで、次の所属事務所が決まりました。カメラマンの方が「君、身長も大きいし、昭和のスターみたいだね!」と言ってくれて、事務所の社長を紹介してくれたんです。その事務所時代に、転機となったスーパー戦隊シリーズの『忍風戦隊ハリケンジャー』の仕事をいただき、デビュー作となりました。もしハリケンジャーがヒットしなかったら、芸能の仕事を辞めようと思っていましたね。
だってその頃の年齢が25歳くらい。綱島の同級生はみんな就職や結婚をしている年齢だったので、「お前まだそんなことやってるの?」って仲間にも言われてしまったりして。もし売れなかったら、30歳くらいでひと区切りしようと考えていました。

帰ってこられる場所がある。綱島が教えてくれた自分らしさ
——力士、俳優とキャリアの葛藤がある中で、綱島の存在はどう影響しましたか?
白川さん:相撲部屋を辞めてしまった時は、綱島の人たちの期待を裏切ってしまったという勝手な引け目がありました。綱島の人たちは僕が相撲部屋に入ったことを知っていたので、幼い頃からお世話になっていた方々から「化粧まわしを作ってあげるから!」「綱島のまわしを作ろう!」と言ってもらっていて。そんなに期待してくれていたのに1年で辞めてしまったので、綱島に居づらいという気持ちがありました。知り合いに声をかけられても気まずく感じてしまうような…自分の中に変な思い込みがありましたね。
——純烈として成功した今、地元綱島はどんな存在ですか?
白川さん:純烈があったからこそ、地元に帰ってきた時にみんなが喜んでくれる実感があります。去年、お神輿を担いだ時も、元々の知り合いは「白川が帰ってきた!」「お!裕二郎だ!」なんて言って囲んでくれたり、写真を撮ってくれたり。
初めましての方でも「母が純烈ファンです」「おばあちゃんが純烈ファンです」なんて声をかけてくれるんです。純烈の白川裕二郎として知っていただけるようになったことを感じますね。

でも、そもそも綱島は全く何も無い時代の白川裕二郎を知っているまち。変に背伸びをしたり肩肘張ったりする必要もなくて、自分らしくいられます。
綱島は、ふるさととして帰ってこられる場所であり、自分が自分らしくいられる場所。人は前に進むものですが、時には行き詰まったり、立ち止まったり、振り返ったりすることもある。それがあるからまた前に進めるじゃないですか。そういった自分らしさを思い出させてくれる場所こそ、ふるさと・綱島だと思います。

綱島温泉のシンボル「東京園」が復活!白川さんも心待ちにする、新たな綱島

——綱島は今も開発が進んでいます。白川さん的おすすめスポットを教えてください!
白川さん:やっぱり綱島は元々温泉のまちですから。大正時代に黒湯の湯治場ができて、温泉旅館が立ち並んでいたという歴史があります。その名残となっている「綱島温泉東京園」がおすすめです!2015年から新綱島駅開業に伴い一時休業し、建物も解体していましたが、2027年3月に復活が予定されています。僕もとっても楽しみにしているんです!
東京園は、歌手の三橋美智也さんが下積み時代にボイラーマンとして働いていたことでも有名で、僕も子どもの頃によく行っていました。黒湯の源泉を使用した大きなお風呂と休憩所もあって、スーパー銭湯ではなく銭湯なので、数百円で入浴できて、朝から一日ゆっくりできる場所です。
現在、建て替え工事中なので、完成したあかつきにはぜひ皆さんも心と体を癒しに遊びに来てほしいです。新綱島駅前なので、アクセスも抜群ですよ!

——最後に、今後の活動についてお聞かせください。
白川さん:2027年3月31日で純烈を卒業することが決まっていますが、最後に綱島でコンサートをしたいと思っています。これはずっと僕の夢なんです。もしかしたら良い発表ができるかもしれないので、楽しみにしていてくださいね!
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ライター/菱山恵巳子
カメラマン/高山諒
編集/ヒャクマンボルト
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