
東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。
今回は、小説家のカツセマサヒコさんが、南町田グランベリーパーク駅をテーマに執筆します。
現在、神奈川県藤沢市在住のカツセさん。東京都内で仕事がある際、利用しているのが田園都市線です。田園都市線の始発駅から終点駅まで乗車する中の通過駅で、特に南町田グランベリーパーク駅には、思い出が色濃く残っているそう。
自分が好きな店、子育てでお世話になった店、そして妻との思い出の店。その全てが揃う南町田グランベリーパーク駅での、忘れられないエピソードを綴ります。
カツセマサヒコ
小説家。1986年、東京都生まれ。2020年『明け方の若者たち』(幻冬舎)で小説家デビュー。同作は大ヒットし、映画化もされた。2021年、ロックバンドindigo la Endとコラボした小説『夜行秘密』(双葉社)を刊行。著書に『ブルーマリッジ』(新潮社)『わたしたちは、海』(光文社)『傷と雨傘』(マガジンハウス)『あのときマカロンさえ買わなければ』(光文社)。
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人と暮らす、ということは毎日が驚きに満ちている。でもそのことに気付いたのは結婚して10年を過ぎたあたりからかもしれない。
海の近くに住んだら、楽しいんじゃないか。安易な発想から、神奈川県藤沢市に移り住んだ。5年前のことだ。当時はコロナ禍の真っ只中にあって、世相は人間同士の接触を避け、なんでもリモートで対応しようとする時期にあった。昔から人と対面することに面倒臭さを覚えていた自分からすると、不謹慎にもありがたい話だった。電車も空いていた。人を必要以上に集めることで経済が回るようにつくられていた東京というまちは、あっという間に寂しくなって、冷たくなって、互いを憎み始めるようになった。2026年になって、その暴力的な空気は日本全体を覆うほど成長したように感じる。
良い時期に引っ越したと思う。このまちは陽気で、自転車の脇にサーフボードを付けてペダルを漕ぐ半裸のおじいちゃんを季節問わず見かけたりする。寛容さが残っていて、それゆえに粗暴なところもあったりして、人間のしょうもなさ、愛おしさのようなものに触れられる。海が近いのも、本当にいい。心が窮屈になるとき、ただひたすら広大なものを見ると、自分の悩みがどうでもよく感じられる。
「せっかく海に近いんだしさあ、40歳になったら、夫婦でサーフィンでもやらない?」
ある日、私がニコニコしながら尋ねると、妻は心底げんなりした様子で言った。
「私、海はそんなに好きじゃないんだってば」
え!そうなの!?
人と暮らす、ということは毎日が驚きに満ちている。海の近くに住むことには大喜びで賛成してくれていたのに、海自体は好きではない、という人もいる。魚を見るのは楽しいが、自分が泳ぐのは面倒だ。髪が痛むのも嫌だし、日焼けもしたくない。と言われれば、確かに納得できる。というか私も同じだな、と頷く。でもやっぱり、驚いてしまう。よくよく聞けば、前からそう言っていたと言う。ただ自分が話を聞いていなかっただけだと判明して、余計に元気をなくす。

郊外の暮らしはそれでもやっぱり素晴らしいのだが、仕事で都内に出た瞬間に感じるあのシュッとした鋭い空気はやはり東京だけのものであって、日々、新鮮な刺激からは遠ざかっていることも、強く実感させられる。
そんな自分と東京を繋ぐのが、ラジオの仕事であり、田園都市線であった。
半蔵門にあるラジオ局で4年半ほど喋り仕事をしていた。ミュージシャンや作家、クリエイター等のゲストを招き、クリエイティブがどうとか、社会がどうとか、流行がどうとかを、どうしたって格好よく見えるトークブースの中で話した。スタジオの窓からは皇居周辺を見下ろすことができて、紛れもなく、東京だった。このまちに停滞は許されず、上昇、前進していくしかない、という熱や圧で、景色が成り立っていた。
シュッとしていないとやっていけないし、したたかでないと昇っていけないし、運がないとチャンスは回ってこないし、心を半分殺さないととても引き受けられない仕事もあるし、強欲でなければ打席になんか立てない。画面越しではおだやかに見える人たちも、会ってみれば東京の檻で荒れ狂う猛獣に見えたりした。かくいう私も、私こそが東京です、といった顔をしながら喋った。少なくとも2週間に1度訪れるラジオの仕事は、東京そのものみたいだった。

田園都市線は、東京メトロ半蔵門線との相互直通運転を行なっている。藤沢から中央林間駅まで出てしまえば、ラジオ局のある半蔵門駅まで乗り換えなしで着くことができる。急行で、片道約50分。電車のなかで本を読んだり、ゲストとのトークの予習をしたりしていれば、あっという間に到着する。家と、ラジオ局。この間に、1人になれる時間があったことが、とてもありがたかった。電車に揺られていると、自分が景色に溶けていく感覚がある。それがなぜか、居心地良く感じられていた。乗ってくる人も、降りてくる人も、それぞれの人生があって、それらを想像するだけで、いくらでもエピソードは生まれてきそうな気がした。
「約50分」と簡単に書いたが、中央林間駅から渋谷駅での直通を経て半蔵門駅まで行くと、つまりそれは、田園都市線を端から端まで乗っていることになる。そう考えると、なかなかの長距離である。通過した駅のうちのいくつかには、みぞれのようにうっすらとした思い出があるが、とくに1か所、明確に記憶が濃い場所がある。それが、南町田グランベリーパーク駅だ。

神奈川に引っ越す前、町田市に7年ほど住んでいた。その当時から南町田グランベリーパーク駅にはよく遊びに行っていて、引っ越した今でも訪れるほど、慣れ親しんだ場所になった。
JR横浜線と小田急小田原線が乗り入れる町田駅周辺は、ほとんどのものが揃う便利なエリアだ。しかし、なぜか、映画館だけがない。近場でスクリーンを探すと、自然と南町田にある「グランベリーモール」に向かうことが多かった。2017年にこのモールがリニューアルオープンして、「南町田グランベリーパーク」と名前を変えてからは、さらに通う頻度が増した。オープンモール型の大型ショッピングエリアに、鶴間公園という綺麗で広い遊び場までシームレスに繋がっているので、子どもを連れて丸一日遊んでいられるようになった。

2019年に駅の名称が「南町田駅」から「南町田グランベリーパーク駅」に変更された。遊びに行ってみると、改札を出てすぐにヨーロッパのマルシェを思わせるような開放的で美しい街並みがあり、テナントに入っているチェーン店の薬局すら高貴な佇まいを見せている。改札からの道がそのままショッピングモールに繋がっており、日常生活を営む場所と土日の遊び場が極めて近い。ここで暮らしたらすぐに金欠になるねえ、と妻と笑った。最近は近くにタワーマンションまでできたらしく、いよいよこの駅1つで全てが完結しようとしている気がする。

冬場になると、屋外のモールにアイススケートリンクが設置される。子どもはそれにも魅了されていたし、スヌーピーミュージアムも非常に愛くるしい。レストランもバリエーションに富むので、行けばいろいろと楽しみかたがあるのだが、しばらく通ってみるとモール内にある「ギャザリングマーケット」が一番楽しいことに気付く。珍しいテイクアウトスイーツやお土産、生鮮食品が並び、迷子になるように歩くだけでたくさんの発見がある。中でもパンパティの「ステーキカレーパン」はぜひ食べてほしい。空腹時に訪れると冷静な判断力を失って爆買いする怖さがある。
と、語りだすと急に観光案内人のようなキモさを醸してしまうほど、南町田グランベリーパーク駅はエンタメ性に溢れたまちであるのだけれど、今回私が書きたかったのは、やはり妻とのことなのである。
私は本当に記憶力が乏しく、そのせいで妻が好きなものなどをいつもいつも覚えられなかったりする。あと、毎晩保湿のために使っているフェイスパックの蓋を5日連続で閉め忘れていたらしくて、その辺りの生活レベルのひどさも問題視されている。
あまりにすぐ忘れてしまうので、最近、スマホのメモ欄に「妻の好きなもの」を記録するようになった。チーズケーキならレア派かベイクド派か、クリームならホイップかカスタードか、あんこならこしあんか粒あんか、みたいな小さな(だけどとても重要な)ことが延々と書かれているメモである。

ある日、妻の誕生日が近づいたので、いよいよこのメモをもとに、ケーキを買おうとした。しかし、ケーキについては「柑橘系の果物が載ったタルトが好き」ということしかわからず、どの店が良いものかと決めかねてしまう。サプライズに挑戦しても良かったが、しかし、私は「妻は海で泳ぐのが好き」と勝手に思っていたくらい勘違いが甚だしい人間なので、ここはリクエスト形式に変更する。すると、返ってきたのが次の言葉である。
「南町田にあるメゾンジブレーのケーキ、すごく好きだよ」
え!そうなの!?
まさか南町田グランベリーパーク駅に、妻が好きなタルトケーキを売っているお店まであるとは思いもしない。

週末、私たちは田園都市線に乗り込み、ケーキを買いに行った。メゾンジブレーは駅から徒歩1分のところにあって、どうしてこんな近くにあるのに私はその存在を忘れていたのだろうと驚く。柑橘系のタルトを、妻が美味しそうに食べる。私はケーキを選べと言われても決して柑橘系のタルトを手に取ることはないので、つくづく好みが違う人間だと思わされる。
人と暮らす、ということは毎日が驚きに満ちている。
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文/カツセマサヒコ
写真/Ban Yutaka
編集/ヒャクマンボルト
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Urban Story Lab.
まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。








