第7章 第7節 第1項 国内ホテル・リゾート事業の展開

7-7-1-1 新たなホテルチェーン「東急ホテルズ」の誕生

第1節で触れた通り、当社は東急インチェーンと東急ホテルチェーンの一元化に向けた再編を進め、2002(平成14)年4月、「東急ホテルズ」にホテルチェーン名を統一した。「東急ホテルズ」のコンセプトは、「東急ホテルズ」が全国各地に展開するホテルを通して、お客さまに快適さやくつろぎを提供し、真のおもてなしを追求していくことをめざして、「TOKYU COMFORT ~居心地のいいホスピタリティ」とした。

また、新たなシンボルマーク(「ハートフルエア」)を設けた。ホテルコンセプトを具現化するものとして、「東急ホテルズ」の頭文字である「T」をモチーフに、柔らかい曲線で構成し、親しみやすさや温もりを表現する意味を込めた。

東急ホテルズのシンボルマーク

さらに、ブランドコンセプトに基づいたホテルブランドの再編成を行い、4つのブランドで事業展開することとした。

再編されたホテルブランドの定義とロゴマーク
表7-7-1 ホテルチェーン再編成後の施設一覧(2002年4月)
注1:「第133期事業報告」(ビジネスレポート、2002年6月)をもとに作成
注2:提携ホテルも含む

会社再編、ブランド再編の検討段階から、営業面での二つのチェーンの連携強化は進められていた。従来から相互送客や共同宣伝・広告の共同実施などは実施していたが、それぞれで開設していたオンライン宿泊予約サービスについても、2000年3月に一本化し、予約サイト「東急チェックイン・ドットコム」を開設した。

予約サイト「東急チェックイン・ドットコム」

2001年7月に東急ホテルチェーンを完全子会社化し、予約・販売機能を東急ホテルマネジメントに一元化すると、東急ホテルチェーン17ホテルと東急インチェーン45ホテル、合計62ホテルの予約業務を一手に行う「東急ホテルズ予約センター」を開設した。

2002年4月、「東急ホテルズ」の誕生に伴って、旧東急ホテルチェーンの「ウェルカムメンバーズ」と旧東急インチェーンの「東急REIクラブ」を一元化し、新たな会員組織「東急ホテルズ・コンフォートメンバーズ」がスタートした。ポイント付与、レイトチェックアウト、料金割引などの会員特典やサービスを充実し、会員の利便性やロイヤルティを高めると共に、顧客管理業務の効率化を図るためのものである。旧会員組織からの移行に加えて、新規入会もあり、2002年5月末で会員数は約25万人となった。

東急ホテルズ・コンフォートメンバーズカード

客室サービスの向上にも取り組んだ。その一つが「コンフォートルーム」の導入である。ホテルチェーン一元化より前の2001年7月に、新橋愛宕山や神戸などの東急インチェーンの数店舗に設置した。一番の特徴はマッサージチェアの設置で、ほかにも2種類の枕やリラクゼーショングッズの設置など、よりリラックスできる客室にしたことである。老朽化した物件も含め、小さい投資で客室に付加価値を付けることで、他ホテルとの差別化を図って客室単価を上げることができる取り組みであり、設置店舗を順次拡大していった。

マッサージチェアを設置したコンフォートルーム

7-7-1-2 渋谷の二大ホテルと羽田空港直結ホテルの開業

国内ホテル事業の企業再編を進めるかたわら、老朽化対応で改修などの追加投資が求められるホテル、今後も収支改善が望みにくいホテルなどについては撤退する方針を固めた。2000(平成12)年から2003年にかけて、旧東急ホテルチェーンの5ホテル(長崎、那覇、銀座、岡山および札幌の東急ホテル)ならびに旧東急インチェーンの2ホテル(佐賀、京都の東急イン)を閉館し、サロマ湖東急リゾートは営業を休止し他社へ譲渡した。また、蓼科東急リゾートは東急不動産によるフランチャイズ店舗に切り替えた。

表7-7-2 東急インチェーン店舗展開(1995年度~2002年度)
注:社内資料をもとに作成

その一方で、2000年代前半には渋谷で旗艦店となる二つのホテルが開業した。

2000年4月、複合ビル「渋谷マークシティ」のメインテナントとして、渋谷駅側に近いEAST棟5〜25階に「渋谷エクセルホテル東急」がオープンした。渋谷では当時最大規模(客室数408室)の都市型ホテルで、シングルから、最大5人が宿泊できるコネクティングルームまでバラエティに富んだ客室タイプを設け、約4割を禁煙ルームとした。また、CATVを活用した高速インターネット回線を導入して、ビジネス利用の利便性を高め、2フロアをレディスフロアにして、女性客の拡大を狙った。これらは、時代のニーズに応えると共に渋谷への来街者の多様化に寄与するための工夫であった。また、宿泊客以外も利用可能なレストラン、日本料理店、ラウンジ、中規模な宴会場も備えた。

渋谷エクセルホテル東急 客室
渋谷エクセルホテル東急 5階ラウンジ「エスタシオンカフェ」

2001年5月には超高層ビル「セルリアンタワー」に「セルリアンタワー東急ホテル」が開業した。19〜37階の客室(419室)のほか、一流レストランや料亭などの8つの料飲施設や、トップエグゼクティブの長期滞在専用のレジデンシャルルーム、ジャズクラブなどが備わっている。39階、地下1階、地下2階には大小さまざまな宴会場を設け、ビジネスのイベントからプライベートな集まりまで、多様なニーズに対応できるようにした。なかでも地下2階は、国際コンベンションや展示会なども開催できるよう、最新の音響、映像設備を導入した大宴会場「ボールルーム」が設けられ、中宴会場と一体利用すれば最大2500人の立食パーティも可能である。東急グループを代表する最上級ホテルの誕生であった。

セルリアンタワー東急ホテル
セルリアンタワー東急ホテル ロビー階
セルリアンタワー東急ホテル 地下2階の大宴会場「ボールルーム」

このほか、2002年11月には、羽田空港(東京国際空港)第2ターミナルの一部を借り受けて「羽田エクセルホテル東急」を出店することを決定した。羽田では、1964(昭和39)年から、国内初のエアポートホテルであった「羽田東急ホテル」が営業してきたが、羽田空港の沖合展開事業に伴い閉鎖することとなった。羽田エクセルホテル東急は、これに代わるホテルである。客室数150室だった羽田東急ホテルよりも格段に規模が拡大し、客室数387室、約200席のレストラン、ロビー内には航空機の発着案内ディスプレイや自動チェックイン機を設置するなど、エアポートホテルとしての機能性、利便性を高めた。2004年9月に羽田東急ホテルが40年の歴史に幕を下ろし、同年12月に羽田エクセルホテル東急が開業した。

羽田エクセルホテル東急

7-7-1-3 [コラム]グリーンカード、グリーンコイン制度の導入

2000(平成12)年4月に開業した渋谷エクセルホテル東急では、東急インチェーン初の取り組みとして「グリーンカード」を導入した。これは、連泊客がこのカードをドアノブに掛ければシーツとナイトシャツを交換しない仕組みとしたもの。洗濯物を減らすことで汚水排出などの環境負荷を低減するものとして欧米で広まりつつあったが、日本国内のホテルでは先進的な取り組みであった。その後東急インチェーンの各ホテルでも導入された。

渋谷エクセルホテル東急で初めて導入した「グリーンカード」

2001年10月には「グリーンコイン」をスタートした。

これは、宿泊者が、歯ブラシやカミソリなどのアメニティを使用しなかった場合に、客室に備えられた「グリーンコイン」をフロントで回収することで、アメニティ使用量削減により環境負荷が減ったとして、回収したコイン枚数に応じた金額を環境保全活動の基金として寄付する制度。宿泊者と事業者が共に環境配慮をめざそうとする取り組みである。

グリーンカード、グリーンコインの仕組みは共に、20年以上経過した現在も継続しており、その後はグリーンコインに加え、グリーンカードによる環境負荷削減相当額も寄付することとした。寄付先は「子供の森」計画(公益財団法人オイスカが実施するアジア太平洋地域の子どもたちが学校などに苗木を植える活動)や山梨県丹波山村の「森づくり活動」(水源林の植林)など。丹波山村では、東急ホテルズ社員有志による森林保全活動として「東急ホテルズ・グリーンコインの森 ボランティア活動」が2008年から行われており、同社の主な環境活動の一つとなっている。

  • 「グリーンコイン」は宿泊者の申告によって回収される
  • 丹波山村での第1回「東急ホテルズ・グリーンコインの森 ボランティア活動」

7-7-1-4 国内リゾート事業の再構築

東急グループのリゾート事業は、バブル崩壊によって大きな打撃を被り、1990年代後半以降、投資計画の中止はもとより、施設の閉鎖や売却などが相次いだ。

第1節でも触れたように2001(平成13)年12月には東急グループ全体のリゾート事業について「コア事業」「非コア事業」の仕分けを行い、当社は、グループ各社に先例を示すべく、「非コア事業」に仕分けされた4ゴルフ場の売却について交渉を進めた。その結果、まずストークヒルゴルフクラブ(兵庫県)とハイビスカスゴルフクラブ(宮崎県)をグループ外企業に売却することが決定した。

残る2か所とコア事業と位置づけられた4か所については、実需による運営収入で手堅く利益を計上していけるよう、2003年4月以降、現地の運営子会社に営業譲渡し、各ゴルフ場による自立的な経営をめざすこととした。これまでゴルフ場の収支は当社に帰属し、現地運営会社は人件費相当の運営受託料収入のみが帰属していたが、この営業譲渡を機に、事業収支が帰属する独立会社となった。当社は、現地会社に、適正時価で資産売却を行い、簿価と時価の差額である含み損を会計上に顕在化させた。

表7-7-3 ゴルフ場の事業仕分けとその後の状況
注:社内資料をもとに作成
※現、東急グランドオークゴルフクラブ

本格的な複合リゾートとして当社内でも大きな期待を持って開業したグランデコ ホテル&スキーリゾート(1992年12月開業)は、良質なリゾート地として定評を得ていた。ただ、本来は繁忙期になるはずの冬場は、スノーボード人口は増えているものの、スキー人口が急減しているため、利用者の減少傾向が続くとみられており、さらに索道の維持補修に追加の投資が必要になる点も課題であった。このため、収支改善を図ったうえで、2003年12月、ニセコひらふ(北海道)やタングラムスキーサーカス(長野県)、スキージャム勝山(福井県)など、各地でスキー場を展開している東急不動産に営業譲渡した。なお2016年7月に「裏磐梯グランデコ東急ホテル」に改称すると共に、東急ホテルズのフランチャイズホテルとなった。その後、2022(令和4)年7月に東急不動産はグランデコリゾートを外部譲渡した。

グランデコ ホテル&スキーリゾート

リゾート事業部が管掌していた観光有料道路の箱根ターンパイクも検討の対象となっていた。

もともとは箱根ターンパイク(小田原〜湯河原間)の建設に合わせて、湯河原奥地の土地を所有する不動産会社を買収し、ルート周辺の開発も併せて行うこととしていた。箱根ターンパイクは1965(昭和40)年から順次開業を迎え、箱根には富士山や芦ノ湖を眺望できるレストハウスを設け、絶好のビューポイントとして人気を集めたが、この事業の鍵を握るのは湯河原地区の開発であった。これを前進させることで有料道路の通行量も増えることを期待していたのであり、開発事業と交通事業を両輪で進める当社の事業推進モデルの一つでもあった。

だが湯河原地区の開発では、箱根ターンパイク起点・終点側の道路とのアクセスを確保することや、当地域の利用に関する各種法規制との調整、開発計画における地元との合意形成などの課題を抱えており、また、これらの経営主体として設立していた東急ターンパイク株式会社は1990年代後半以降、当期利益で赤字基調にあった。

このため、不動産開発を目的に取得していた土地は含み損になっており、また当社は2005年度からの「固定資産の減損に係る会計基準」の適用(減損会計の強制適用)よりも前倒しして減損処理を行う方針としていたことから、2004年3月、箱根ターンパイクに関心を示していた投資会社に、自動車道事業の営業と、道路および周辺の土地資産を譲渡した。

箱根ターンパイク大観山付近(1998年)

7-7-1-5 タイムシェアリゾート事業の開始

リゾート事業全般に縮小・撤退ムードであったなかで、新しいチャレンジとなったのがタイムシェアリゾート事業である。

発端は、リゾート事業にかかわる東急グループの若手が中心となって1995(平成7)年1月に発足した非公式の検討会であった。1980年代から米国で台頭し始め、日本でも1990年代から数社が事業を開始したタイムシェアリゾート事業について研究を進め、新規事業としての可能性を検討した。事業計画においては、自社開発施設だけではなく他社施設も含めた、欧米ではビジネスモデルとして確立していた宿泊権利の交換事業の拡大を最終目標とした。1998年12月、「ビッグウィーク」の名称で事業を開始する経営判断が下された。

この事業は、1週間単位(金曜日から翌週金曜日までの7泊8日)で宿泊施設を利用する権利を商品として販売するもの。購入者は20年間にわたり施設を利用でき、当該宿泊施設の他の施設や、他の週の利用権との交換もできる仕組みとして、利便性を訴求した。

自社施設として翌1999年10月に「ビッグウィーク京都」(客室数21室)、12月に「ビッグウィーク軽井沢」(同30室)が開業し、事業が本格的にスタートした。さらに利便性を向上するため、2001年12月からは金~日曜宿泊、月~木曜宿泊のハーフ単位の交換も可能とし、利用権の期間ものちに10年間タイプ、5年間タイプも加えて販売した。

  • ビッグウィーク京都
  • ビッグウィーク軽井沢

東急不動産は、1980年代から会員制リゾート「ハーヴェストクラブ」を展開し、同社のホテル・リゾートにおける主要事業に成長していた。「ハーヴェストクラブ」は、資産共有の仕組みをベースにしており、年間36泊を上限に、1泊単位で利用することができるもの(1室10口購入の場合)。これに対して「ビッグウィーク」は、利用権を交換できるというタイムシェアリゾート事業ならではの仕組みであり、1週間というまとまった単位での宿泊利用を前提にしていた。従って、両者は主な顧客層が異なるという認識であり、利用権の販売にあたっては、東急不動産の子会社の、東急リゾートも販売協力会社として参加した。

1980年代末期には、自由時間の増大により長期滞在型のリゾート需要が急増すると見られたが、現実には時期尚早という見方もあった。このためタイムシェアリゾート事業の検討にあたっては1週間利用が日本国内で浸透するかが焦点となったが、新しいリゾートスタイルを地道に提案し、定着を図ることをめざしてスタート。その後2002年には「ビッグウィーク」の宿泊施設が5か所(蓼科、伊豆高原、箱根強羅に新設)に拡大し、交換システムを活用しながら週間あるいはハーフ単位で各地でのリゾートライフを楽しむ会員が増えていった。

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