第7章 第3節 第2項 人に寄り添うサービスへ

7-3-2-1 バリアフリー化の推進

1990年代後半は、「バリアフリー」が事業におけるキーワードの一つとして注目されるようになった。背景には、高齢化社会の到来や、国際化に伴うノーマライゼーションの考え方の広がりがあった。鉄道施設をはじめ、住宅、ホテル、商業施設などを有する当社にとってもバリアフリー化は重要な課題となった。

バリアフリーにかかわる法制度として、1994(平成6)年に「ハートビル法(高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律)」が施行された。不特定多数が利用する建築物について、高齢者や障がい者が円滑に利用できるようにするため、車いすが通行できる出入口の確保や視覚障がい者用誘導ブロックの設置などの基礎的基準を設けて、建築主に努力義務を課すものである。当社の建築物では八王子スクエアビル、愛宕山東急イン本館(新館)が先行的に基準を満たした。

2000年11月には交通バリアフリー法(高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)が施行された。同法律では、一日平均利用者数5000人以上の鉄軌道駅について、段差の解消、視覚障がい者用誘導ブロックの整備、身体障がい者用トイレの設置などを行うこと、さらに鉄軌道車両のバリアフリー化を達成することが、2010年までの到達目標に掲げられた。

当社は、1998年度までは複々線化などに伴う駅改良工事の進捗のなかで順次バリアフリー設備を設置するという姿勢で、1999年末時点で昇降機(エスカレーター、エレベーターなど)を設置している駅は35駅であった。このため、設置率は、大手民鉄15社のなかで14位(1999年度末時点)という低さだった。しかし、1999年度から積極的に取り組み、一日平均利用者数5000人以上の66駅だけでなく、全駅をバリアフリー化することとした。一連の複々線化工事対象区間の駅を中心にエスカレーターやエレベーターの設置を推進。併せて車いすで利用できるトイレ、段差解消のためのスロープの設置も進めた。鉄軌道事業における年度別の設備投資計画においては、これまで「輸送力増強対策」に投資が偏重していたのを改め、とくに2000年度以降は、バリアフリー化を含む「駅施設の改良などサービス改善」にも投資の重点を振り向け、運輸施設整備事業団(現、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)の補助金も活用した。このほか、携帯電話の通話マナーの向上や、心臓ペースメーカーを装着している利用客へ配慮するため、2000年10月から偶数号車を「携帯電話OFF車両」として協力を呼びかける取り組みを開始した(現在は混雑時に優先席付近での携帯電話OFFを呼びかけ)。

駒沢大学駅に設置されたエレベーターとエスカレーター

また子会社の東急バスでは、乗降時の段差を少なくし、車いす乗降用のスロープを備えたノンステップバスを1997年度に初めて採用。バス車両メーカーから次々と仕様の異なるノンステップバス車両が開発され、順次導入台数を増やしていった。

超低床ノンステップバス(1997年)

7-3-2-2 世田谷線の活性化

三軒茶屋と下高井戸を結ぶ世田谷線は、1969(昭和44)年に廃止となった旧玉川線とは異なり、ほぼ全区間が専用軌道のため道路渋滞の影響を受けることなく安定輸送を続けてきた。沿線住民の日常生活の足であり、また沿線散策に利用する愛好者も多かったものの、バブル経済崩壊などの影響もあり1991(平成3)年度以降は輸送人員が減少していた。世田谷線の存続を社内で検討した時期もあったが、地域社会のシンボルとされてきたことから、経営の効率化と利便性の向上に取り組み、同線の活性化を図ることとした、1999年から2001年にかけて車両の更新や駅改良工事などさまざまな施策を実施した。

世田谷線の車両は、レトロ感が人気を得ていたが、乗降口に35cmのステップが2段あるなどバリアフリーに未対応で、冷房設備もなかったことから、他線とのサービス水準の差が目立ち始めていた。そこで1999年7月、従来よりも床が30cm低く、クーラーも備えた更新車両300系を導入した。300系の車体は新造であったが、台車はデハ70形、デハ80形のものをほとんどの車両が転用し、製造コストを抑えている。2001年2月には、ホームの高さをかさ上げし、スロープも設置してノンステップで乗降できるようにした。併せて、全駅にホーム屋根を設置した。同年3月には、全10編成が300系に更新された。

更新車両300系
スロープや手すりを設けた松陰神社前駅のホーム

2002年7月に、世田谷線専用のICカード乗車券「せたまる」を導入した。「せたまる」は定期券と回数券の2種類。回数券は利用時間帯や平日・土日祝日に応じたポイントを付与し、10ポイントで1回分の運賃を還元するという新しい仕組みだった。とくに土日祝日には4ポイントが付加されて還元率が40%になることから好評を得、夏休み期間中の利用者が大幅に増加した。商店街のスタンプサービスなどとも連携し、地域に密着したツールにすることも検討された。

経営効率化の観点では、2001年3月に車掌を廃止してワンマン化し、駅係員が案内係として添乗して案内業務や料金収受にあたった。その後2004年4月からは、契約社員として女性車内アテンダントが乗客の対応にあたり、早朝・深夜はガードマンが添乗した。また300系の運行当初から車体広告を採用して、広告収入を採算性維持の一助とした。

2001年5月には、線路沿いに草花を植える活動、フラワリングがスタートした。当社従業員と地域住民によるボランティア活動で、世田谷線と地域社会の新たな接点を作り、地域の活性化につながるものであった。

こうして世田谷線は進化し、よりいっそう親しみを醸成した。

山下駅での「フラワリング」(2012年)
表7-3-1 世田谷線の輸送人員の推移(1990年度~2010年度)
注:『東急100年史』資料編をもとに作成

7-3-2-3 駅のサービス向上へ「サービスアップ109」

鉄軌道やバスは日常的に多くの人々に利用され、「東急」への印象を決定づける重要な要素ともなる。当社は、1982(昭和57)年に「東急交通モニター」を始め、モニターから寄せられた意見や要望などをサービスの改善に役立ててきた。自動車事業が分社されたことから、2001(平成13)年に「東急電車モニター」と改称し、モニター数を50人から400人に拡大した。

2001年4月には、駅を利用するお客さまに対する駅務サービスレベルの標準化・向上を目的とする啓発運動として、「サービスアップ109(とうきゅう)」をスタートした。初年度は渋谷、中目黒、青葉台の3管内12駅をモデル職場として、管内ごとに、ビデオ撮影による改善点の発見、サービス向上マニュアルの理解、基本接客用語の唱和などに取り組んだ。その成果を踏まえて、2002年4月から「サービスアップ109」を全駅に拡大した。JR湘南新宿ラインの拡充、小田急電鉄の小田原線複々線化などの動向を踏まえ、周辺地域の競合路線に勝ち抜くことを意識した取り組みでもあった。

接客サービス選手権大会
出典:東急電鉄ニュースリリース(2020年12月6日)

「サービスアップ109」が本格化するのに合わせて、2001年7月の業務組織改正で運輸営業部に置かれたサービス課が、駅のサービスを専門に担当することとした。サービス課では、駅務に携わる社員の接客技術の向上を目的に「接客サービス選手権大会」を定例開催し、意識向上を促した。2003年8月には、渋谷・中目黒の2管内6駅がサービスとしての品質マネジメント国際規格であるISO9001の認証を取得した。

また2002年8月には駅務の一部と人材育成業務を、東急テクニカルサービス(2003年4月に東急レールウェイサービスに社名変更)に委託した。同社は、1999年6月に、当社100%出資で設立した子会社で、駅のエレベーター、エスカレーターの保守管理業務、車両や鉄道設備の保守点検などを受託していた。2002年秋からは、当社からの出向社員・当社OB・一般公募者をサービスマネージャーとして、学生アルバイトをサービススタッフとして配置し、駅務を担う体制とした。これに向けて2002年7月に元住吉教習所内に駅務サービス向上のための研修施設として育成センターを新設し、新任の助役や駅業務にブランクがあるサービスマネージャーの育成を行った。

2003年4月からは、「サービスアップ109」の一環として「サービス介助士」の資格取得を推進した。この資格は身体障がい者や高齢者の介助にかかわる民間資格で、さまざまなハンディキャップに関する基礎知識やコミュニケーション方法、相手の身体機能に応じた案内・誘導方法などについて実技を身につけた者に与えられる。当社では駅長からの推薦を受けた駅係員と各管内の助役から資格取得を開始し、2004年7月時点の資格取得者は412人となった。また2004年4月には、東急レールウェイサービス出向者を含む4人がサービス介助士二級インストラクターの資格を取得し、サービス介助士を自社で養成できる体制を整えた。

車いすでの移動や乗降をサポートする駅係員

7-3-2-4 田奈変電所落雷事故

2001(平成13)年7月25日に田奈変電所で落雷事故が発生した。同日14時58分ごろ落雷により電力司令所からの遠隔制御ができなくなり、市が尾変電所~中央林間間が停電。そののち田奈変電所への送電を再開したところ同変電所で火災が発生した。

このため、変電所が応急復旧する同年8月4日までの間、電力容量不足により田園都市線は間引き運転を余儀なくされ、鷺沼~長津田間で急行運転の中止、平日朝間ラッシュ時の運行本数を7割に絞らざるを得なかった。

その後の調査で、誤った判断により再送電を行ったことが火災の原因と判明した。この事故を受けて当社は、変電所内のアース設備の新設など機器損傷の防止を図ると共に、マニュアルの改訂、教育・訓練強化を実施した。

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