第7章 第4節 第2項 不動産販売の新たな枠組み

7-4-2-1 分譲住宅・マンション販売の強化––「ノイエ」「ドレッセ」

当社の不動産事業の売上、利益は、1998(平成10)年度時点で不動産販売が7割ほどを占めており、さらにその中心が土地販売であった。とくに多摩田園都市についてはこの傾向が顕著で、1990年代半ばまでは不動産販売事業収益全体の半分を超え、1994年度は8割を占めていた。バブル崩壊など経済情勢の変化を受け、不動産事業の構造変革を模索するなかで、1990年代半ばからは、付加価値が高い戸建住宅やマンションの販売に注力することで、収益の確保をめざすこととした。

表7-4-3 当社不動産事業(販売・賃貸事業別)の推移(1990年度~1999年度)
注:「有価証券報告書」をもとに作成
表7-4-4 当社不動産販売業 営業収益のエリア別内訳(1990年度~1999年度)
注:「有価証券報告書」などをもとに作成

当社の不動産販売業の歴史を振り返ると、多摩田園都市開発の進捗に伴って1960年代から土地分譲を始め、1970年代半ばからは建売住宅の販売を取り入れた。東急不動産との提携による立替建売(当社分譲地に東急不動産が住宅を建築し、土地と建物の売り主を異にして行う建売分譲のこと)なども試みてきたが、1980年代に不動産商品の高額化が進んだことなどから、いったんは建売住宅の販売は東急不動産が担うことにし、当社は見送ってきた。

しかし建売住宅の販売は、良好な街並みの維持や快適な生活環境の創出に欠かせない要素であり、事業者としては付加価値を加えることで利益増大につながることから、1990年代半ばからハウスメーカーとの共同分譲を、1999年からは当社単独での販売を再開した。新ブランドを「ノイエ」とし、ユニバーサルデザインの考え方を採り入れた誰もが暮らしやすい設計、地域の特性に調和した住宅などをテーマに、企画から設計、施工監理まで当社が行った。「ノイエ」シリーズの第1弾として、2000年1月に「ノイエあざみ野」5戸を分譲し、販売開始1週間ほどで完売した。2002年には次世代型省エネ住宅として、複層ガラスや構造体の周りを断熱材で囲い込む「外断熱工法」の採用により性能をさらに進化させた「ノイエ若草台」を販売するなど、2003年度までの5年間で139戸を販売した。

ノイエあざみ野(2005年)

また1994年に再開したマンション販売事業では、「ソルビエたまプラーザ(23戸)」から、2001年の「モンプラース市が尾(19戸)」まで、合計13物件(920 戸)を当社単独で分譲し、2000年9月に「イディオスあざみ野(321戸)」を東急不動産との共同事業で販売開始した。その後、2002年度からブランドを「ドレッセ(DRESSER)」に統一して展開することとし、第1弾として2002年6月に「ドレッセ美しが丘(62戸)」と「ドレッセ大倉山(124戸)」の販売を開始した。

このブランド名は、フランス語の“DRESSER(建てる)”と、英語の“DRESS(美しく装う)”とを融合させたもの。“DRESSER”には当社のマンション事業の基本姿勢である信頼性の高い商品を顧客に提供するという意味を、“DRESS”には住まう人が美しいライフスタイルを実現できるという意味を込めた。二つの物件には、従来の当社標準仕様に加えて、ディスポーザー(生ゴミ処理機)を設置、さらに当社が運営するインターネットサービスプロバイダー、246ネットの専用回線を引き込み、高速インターネット環境を全戸で整えた。また、マンションの形態についても、タワーマンションや「ドレッセ プレゼンス」ブランドなど分譲価格1億円を超える高級マンションも手がけ始めた。

  • イディオスあざみ野
  • ドレッセ美しが丘
「ドレッセ」のブランドマーク

2001年には新たに短期資金回収型事業に乗り出した。これは、第三者から土地を取得し、マンションや戸建住宅を建設・販売するもので、不動産デベロッパーの一般的な事業スタイルである。当社は土地区画整理事業で取得した保留地をはじめとする社有地活用で実績を上げてきたが、不動産市場において取引情報を集め新たに土地を取得することには未知の部分も多かった。そのため、当初は試行錯誤もあったが、相対取引や競争入札による用地取得や、共同事業という形での用地取得によって事業を推進。2004年までにマンション10物件(当社持分716戸、内当社単独3物件111戸)と建売住宅用地3か所(43戸分、いずれも当社単独物件)の用地を取得した。

表7-4-5 分譲マンションの一覧(1998年度~2004年度)
注1:社内資料をもとに作成 ※は共同分譲
注2:1994年度~1997年度の一覧は第6章に記載

なお、東急グループ各社も積極的にマンション販売事業を進めた。各社の分譲マンションのブランド名について触れておく。

東急不動産では1970(昭和45)年から続いた基幹ブランドの「東急アルス」を2005年から「BRANZ(ブランズ)」に、2013年からはその他のブランドも含めてリブランディングした「BRANZ」に統一した。

北海道で不動産事業を展開するじょうてつは、1975年から続いた「じょうてつドエル」を1999年から「じょうてつドエル・アイム」に、2007年から「じょうてつアイム」に改めた。

7-4-2-2 [コラム]鷺沼学校法人跡地問題

当社が不動産事業を推進していくうえで、リスク対応に直面した事案を一つ記述しておく。

2002(平成14)年3月、当社は川崎市宮前区鷺沼四丁目に所在する土地を、マンション建設用地として東急不動産など3社に売却した。この土地は、1992年に学校法人から建物と一体で取得したものであった。ところがその後3社によりマンション建設工事が着手されるなか、土地の一部に地中埋設物があり、一部の土壌が汚染されていることが判明した。

このため土地売買契約は解除となり、当社は売主責任として、土壌改良費、買主3社に対する損害賠償金を負担。土地の評価損を合わせた約140億円を2004年3月期に特別損失として計上した。調査の結果、この学校法人が建設される以前から当該土地が産業廃棄物などの処分場であったことが判明したため、2005年8月、当社は川崎市などを相手に、産業廃棄物などの外部からの持ち込みを制止しなかった責任があったとして、土壌汚染対策工事費用の損害賠償を国の公害等調整委員会に裁定を求めたが、一部の協議が不調に終わったため、以降は訴訟手続きにより判断を仰ぐ形となった。

その後2013年3月の東京高裁判決で、当社の損害賠償請求は棄却された。当社が土壌汚染の原因者ではないという事実は認定されたことなどを踏まえ、当社はこの判決を受諾することとした。

7-4-2-3 地域住民の期待に応える土地活用事業の推進

1990年代に本格的に着手した土地活用事業には、大きく分けて、社有地を活用した事業用借地権事業と、地元地権者が所有する土地の有効活用を支援するコンサルティング事業があった。

事業用借地権事業は、1996(平成8)年10月開業の神戸屋レストランを皮切りに、2004年1月までに延べ48件の契約実績を上げた。主な業種は飲食店、家電販売店、スーパーマーケット、ホームセンターなどで、大半の契約先が東急グループ以外の企業であった。これにより社有地を手放すことなく、恒常的な賃貸収入が得られ、多摩田園都市内にバラエティに富んだ商業施設が整うこととなった。

このなかでもユニークなのは「横浜青葉ガーデン桂台」(2000年11月開業)である。遊水地として機能している横浜市青葉区桂台二丁目の社有地の上に人工地盤を設け、事業用借地権を設定し、テナントが建物を建設した。土地の高度利用だけでなく、美しい街並み形成や生活利便性向上といった地域住民の期待に応えた。

事業用借地権事業ではないが、同じく遊水地の上部を活用した事例に「悠・粋・知 三規庭(ゆう すい ち みきてい)」(2004年4月開業。現、あざみ野 三規庭)がある。横浜市青葉区あざみ野二丁目の社有地活用に、鉄骨造り2階建て3棟、店舗面積3120㎡の、小型商業モールを自社建設したもの。「モダンな和」というコンセプトの下、上質で和める箱庭空間を演出し、あざみ野の街の魅力を高める施設をめざして運営した。

横浜青葉ガーデン桂台(2022年)

地元地権者の土地活用については、1992年の旧借地法に替わる借地借家法施行に伴って事業用借地権と共に制度化された一般定期借地権を活用した事業に注力した。一般定期借地権は、法律の定めにより、借地権の存続期間が50年以上で、借地人は契約期間の満了後は更地にして地権者に返還しなければならない。当社では1998年以降、その土地に建物を建設して定期借地権と共に分譲する一般定期借地権付き建物分譲を行い、2000年までに6戸を販売した。

多摩田園都市内に戸建て住宅を所有したいと希望する者は、通常であれば土地を購入して住宅を建てる(または土地付き分譲住宅を購入する)必要があるが、この場合は定期借地のため土地購入の場合より安価に住宅を建てることができ、また地権者にとっても契約満了後は更地になって戻ってくるという安心感がある。このほか地権者向けの土地活用メニューでは、事業用借地権を活用して当社が借地し、これをテナントに転貸する事業用借地権転貸事業も1997年から開始し、2004年3月年までに17件の成約を得ることができた。

また地元地権者は、安定収入を求めて賃貸住宅に土地を活用することを望むケースも多く、1970年代から1980年代前半には地元地権者が建築した物件について、当社が総合管理もしくは仲介業務を担う方式で賃貸住宅の提供を行っていた。しかし街が成熟化しつつある時となれば、ややもすると画一的な賃貸住宅が増えてしまう懸念がある。そこで当社は2002年1月、入居者の多様なライフスタイルやこだわりに応えられる賃貸コンセプトマンション「TOP-PRIDE(トッププライド)」の導入を決定。2002年に社有地を活用して3物件を建設、事業化したうえで、その実績をもって地権者に土地活用の新しいメニューとして提案することとした。

「TOP-PRIDE」のロゴマーク

その第1号は2002年7月、青葉台の「a・cube(23戸)」である。外部の建築デザイナーを対象に設計コンペを行い、入選作品を参考にして建設した物件で、部屋ごとに異なるデザインを採用した異色の賃貸住宅である。いずれも地元地権者の土地活用提案を前提としたものだったが、多摩田園都市で当社が賃貸住宅市場に参入することは地元地権者の競合ともなりかねないため、街の不動産業者や賃貸住宅情報誌などには共有されないクローズドな情報網で入居者募集を行うこととし、会員制の「TOP-PRIDE」専用サイトを開設、「a・cube」竣工前にもかかわらず300人以上の会員登録があった。これに続いて藤が丘、たまプラーザでも建設を進めた。そして多くのデベロッパーが自社で賃貸マンションを建設して事業展開していたなか、当社は多摩田園都市エリアを中心に地元地権者の土地活用として賃貸住宅の提供を進めることとなった。

会員制にしたことで、ニーズに基づく精度の高い商品開発を行うことや、潜在顧客のボリュームなどを把握して、地権者に提案することが可能になった。

TOP-PRIDEの第1号物件「a・cube」

7-4-2-4 [コラム]事業用借地権と事業用借地権転貸事業で人気店を誘致

当社が1996(平成8)年に開始した事業用借地権事業は、主に住民の生活利便施設として商業店舗が多かったが、話題性のある有名飲食店を誘致し、多摩田園都市の魅力向上にも寄与した。

代表的なものは、株式会社うかいが運営する「とうふ屋うかい」が2001年10月に「とうふ屋うかい鷺沼店」を、株式会社グローバルダイニングが運営する「モンスーンカフェ」が2001年4月にエスニックレストラン「モンスーンカフェたまプラーザ店」を出店し、それぞれ人気を集めた。

一方で、当社が仲介して地元地権者の土地を借り受け、事業者に転貸する事業も本格化した。2002年12月に、これまで金沢市以外では出店例がなかった「金沢まいもん寿司」を誘致し、たまプラーザ店を開業。2005年12月には「あざみ野うかい亭」を開業した。また当社線沿線ではないが、2005年9月に東京都港区の東京タワー隣接地に「東京芝とうふ屋うかい」を開業した。これらは、不動産事業の収益構造を転換する新しいビジネスモデル確立の一環でもあった。

7-4-2-5 443区画の街づくり「ジェネヒルあざみ野」の販売

当社は2003(平成15)年4月、あざみ野・たまプラーザエリア最大級の戸建住宅街として開発を進めてきた「ジェネヒルあざみ野」の販売を開始した。総区画数は443戸で、第1期分として自社建売住宅38戸を販売した。

ジェネヒルあざみ野 シンボルモニュメント

「ジェネヒルあざみ野」は嶮山第一、嶮山第二、荏子田、保木の土地区画整理事業で当社が取得した保留地を開発してきたエリアで、嶮山スポーツガーデン(現、あざみ野ガーデンズ)の北側に位置する。多摩田園都市では最大の11万2806㎡がまとまって、一体的な街づくりが可能になった。1985年には「荏子田計画」の開発名称で街づくりの検討が本格化したが、大型区画中心に計画するなどバブル期全盛ならではの内容であった。しかしその後のバブル景気の崩壊といった経済環境の激変に伴って計画の見直しを繰り返し、ようやく街開きにこぎ着けた。

ジェネヒルあざみ野 航空写真

ジェネヒルあざみ野の街づくりでは、多摩田園都市50年の街づくりの経験とノウハウを集大成し、安全や環境保全の観点からさまざまな工夫が施された。安全面では、歩行者専用道路を配置することで通過交通を抑制したほか、車の速度を抑えるために道路に植栽フォルト(道路に張り出した植え込み)やレンガ舗装のイメージハンプ(車の減速を促す視覚的サイン)を設けた。環境面では、幹線道路の電柱を極力少なくすると共に、地区内の電柱はカラー電柱(ブラウン色)に統一、幹線道路沿いにグリーンベルトを設けて植栽を施し、専用ゴミ置き場を設けるなどの配慮をした。植栽フォルトのような新しい試みもあったため、横浜市との協議には約3年を要した。

道路上に設けた植栽フォルトとイメージハンプ(茶色の部分)

あざみ野・たまプラーザエリアは、人気の田園都市線沿線のなかでも「憧れの街」としてとくに人気の高い地域である。ジェネヒルあざみ野の販売にあたり、当社ではさまざまな間取りの住戸プランを取り揃え、顧客の家族構成やライフスタイルの多様性にも対応できるよう、幅広い商品構成とした。また、見学顧客向けにインフォメーションプラザを現地に設置し、この地に移り住んだ住民のコミュニティづくりの拠点としても活用した。

ジェネヒルあざみ野 分譲後の街並み

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