第7章 第3節 第1項 機械化・省力化による業務効率化を推進

7-3-1-1 自動改札と「パスネット」の導入

2001(平成13)年1月の運輸政策審議会第18号答申において、「混雑の緩和」や「速達性の向上」などと並んで、「交通サービスのバリアフリー化、シームレス化等の推進」が課題に挙げられた。

「シームレス化」とは、鉄道やバスなどの乗り継ぎの利便を図り、交通機関の継ぎ目(シーム)を極力なくして、出発地から目的地までの移動を円滑にすることを指す。シームレス化が提言され始めた当初は、具体的施策として、乗り換えなしに他社線と行き来ができる相互直通運転、同一ホームでの乗り換えができる方向別ホームへの改良などが挙げられた。シームレス化は次第に広義に捉えられ、後述するエスカレーター・エレベーターの整備や段差解消などのバリアフリー化、自動改札機と乗車カードによるスムーズな乗降、乗り換え情報や運行情報(遅延情報など)など、情報提供面でのサービス向上も、シームレス化の一端を担う要素といえる。

2000年前後は、ハード・ソフト両面でシームレス化が進んだ時期である。ハード面では複々線化に向けた大規模改良工事に並んで、自動改札機の導入が進んだ。

第4章でも触れたように、首都圏では他の鉄道事業者の路線との結節点が多いという事情から、関西などに比べて自動改札機の普及は遅れており、当社では1990年に自動改札機設置駅率がようやく50%を超えるにとどまっていた。その後は、JR東日本や民鉄各社の定期券・乗車券の磁気エンコード化が進み、当社でも駅改良工事に伴って、2000年9月には、JRに委託していた横浜駅JR連絡改札口を除いて、鉄道線の全改札口に自動改札が設置された。

これと連動するように2000年10月に、当社を含む関東地区の鉄道事業者17社が、ストアードフェアシステムを採用した磁気式の共通乗車カードシステム「パスネット」を一斉に導入した。パスネットは、自動改札機に投入した際に乗車駅情報を記録し、降車駅の自動改札機で乗車区間分の運賃を差し引く仕組みで、1枚で同システムを導入している全鉄道事業者の路線を利用でき、その都度乗車券を買わずに乗り降りできる利点がある(自動券売機でも発行会社問わずに利用可能)。

1985(昭和60)年の国鉄(当時)の「オレンジカード」など、数社が自動券売機での乗車券購入などに使えるプリペイドカードを導入し、その後、1991年以降はJR東日本の「イオカード」など数社が独自のストアードフェアシステムを採用した乗車カードを導入したが、関東圏では共通化には至っていなかった。このため1997年に、関東地区の大手民鉄5社を中心に共通ストアードフェアシステムの導入に向けた検討を開始し、2000年10月14日の「鉄道の日」を機にいっせいに導入したのである。

営団地下鉄(現、東京メトロ)・都営地下鉄と多くの大手鉄道事業者が相互直通運転を行っているなか、「乗車カードの相互直通」が実現し、シームレス化の大きな進展の一助となった。

パスネット1000円カード

また、当社は2004年1月から回数券を営団地下鉄などと同様に、区間式から金額式へ変更し、同一運賃であれば東急線内のどの駅からでも利用できる形としたほか、乗り越しの場合も乗車区間と回数券の金額区間の差額のみの精算となり、利便性を向上させた。

7-3-1-2 都市部におけるワンマン運転の先がけとなった池上線

当社線沿線内にも、少子化による人口減少の傾向が顕著なエリアが見てとれるようになった。輸送人員減少、従業員の確保という面で、鉄道事業に影響を与えると考え、将来の効率化を図る方策としてワンマン運転について、1992(平成4)年から検討していた。

そうしたなか、池上線の年間輸送人員が1964(昭和39)年度に9000万人弱を記録したあと減少傾向にあり、1994年度以降は8000万人を割り込んでいた。また、他線と比べて乗車率は低く編成も短い。運賃改正を抑制しながら交通事業の採算性を確保するためにも効果的であると、ワンマン運転を導入することを決定した。

ワンマン運転は、ドアの開閉、出発時の安全確保を、機器と運転士が行う運転方式であり、それに対応した設備が整えられた。「ホーム柵」を設けて乗降位置を固定し、「ホーム柵」間の開口部に光センサーを設置。これによって、列車到着時や出発時の乗客の列車への接近を感知して、運転士に知らせる。また、ホームに設置した2台のカメラの映像を運転席のモニターに映し出して、運転士が乗客の乗降中や閉扉時、出発時の安全を確認する。さらに、各車両にはドア付近に非常通報用のインターホンを設置して、運転士と通話できるようにしたほか、列車がより正確な位置に停車できるよう支援装置も搭載した。

1997年5月から最終検査を行い、車掌が乗務している場合と同等の安全性を確認。1998年3月から本格運用となった。

当社は1989年にこどもの国線でワンマン運転を採用しており、関東近郊の他社線ではJR南武支線や西武多摩川線、そして1990年以降の新規開業路線である営団南北線と都営12号線(大江戸線)でもワンマン運転が行われていたが、都市部の住宅地における既設路線のワンマン運転としては、池上線は先行事例となった。そのため、「センサー付固定式ホーム柵」を導入したワンマン運転は、同業他社や関係官庁、地元自治体から大きな関心を集めて見学が相次いだ。

センサー付固定式ホーム柵のある大崎広小路駅(2002年)

さらに、2000年8月の目蒲線の運行系統分離に伴って、東急多摩川線でも、池上線と同様の「センサー付固定式ホーム柵」を採用して、ワンマン運転を開始した。また目黒線は、相互直通先の営団南北線と都営三田線がホームドアの採用によるワンマン運転を計画していたことから、当社もこれに準じることとし、武蔵小杉駅からホームドアの設置を進めて、2000年9月からの営団南北線・都営三田線との相互直通運転開始に備えた。

ホームドアは列車ドアの開閉に連動してホームドアを開閉させる仕組みで、運転士が両方のドアが閉まったことを確認してから発車させる。当社線でホームドアの設置は、この武蔵小杉駅が初めてであった。

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