第7章 第6節 第1項 新たな役割発揮を探る流通事業

7-6-1-1 東急百貨店と東急ストアの展開

百貨店業界の売上高は、1991(平成3)年をピークに減少傾向にあった。対策としてテナント専門店中心のフロア構成にしたことで他店との差別化が図れず、衣料やインテリアなどの専門店が競合として伸長するなど、逆風が吹き続いていた。株式会社東急百貨店も、業績の低下が続いていた。 

このような状況のなか、希望退職者割増退職金の拠出や子会社の整理損失、株式評価損などによる特別損失の計上で1997年度、1998年度、2000年度、2001年度に大幅な当期純損失を計上した。とくに海外子会社を中心とした整理損失を計上した1998年度の当期純損失は、536億円(連結では624億円)。そのため日本橋店を1999年1月末に閉店し、財団法人民間都市開発機構(MINTO機構)に売却することとした。同年1月の売りつくしセール期間中の来店客は、前年同期の4倍近い延べ204万人、閉店日だけで約16万人の来店客があった。しかし、これらにより大幅な財務改善ができるものではなく、1998年度からの無配も続いていた。そのため国内外の子会社・関連会社および傘下会社の解散や資産の売却も実施した。

日本橋店の閉店

同社は1999年度からの5か年計画で、顧客満足経営に立脚した本業回帰を志向し、主要店の大規模なリニューアルなど、商品政策力(マーチャンダイジング)の向上に努めた。百貨店としての存続が困難な青葉台、港北、日吉の各店舗のショッピングセンター業態への転換、ながの東急百貨店系列の一部店舗の撤退、営業日の拡大と繁忙期の営業時間延長などを行った。また、1999年10月には新たな顧客サービスプログラムとして、利用額に応じたポイント還元特典を付与する「クラブキュウポイント」を導入し、会員拡大を進めた。

2000年4月、東横店地下1階に「東急フードショー」をオープンした。「食のテーマパーク」をコンセプトとし、食にこだわりを持つ働く女性をメインターゲットに、上質でオリジナリティのある総菜、スイーツ、輸入食材などといった食料品を品揃えしたのが大きな特色で、生鮮三品については利用客の声を踏まえて集合レジを導入し利便性を向上させた。初日は大変な混雑で、売上は予算比約150%となり、その後も好調に推移した。当時の百貨店食料品売場の同質化から脱却し、百貨店初出店のテナントの誘致や、コラボレーションによる限定品の販売など、利用者に楽しまれる売場をつくって「デパ地下ブーム」の火付け役ともなった。同時に、隣接する渋谷マークシティ地下1階にも20~30歳代女性をターゲットにしたライフスタイル提案型のテナントを誘致したセレクトショップを開設するなど、商品政策力の強化を図った。

東急フードショーの看板

株式会社東急ストアは、1990年代末期から低価格を前面に押し出したディスカウントストアや、ドラッグストアが競合として台頭し、大店法の規制緩和でロードサイド型大型店舗も増加したことから、 1998年度から売上(テナント収入を除く)、利益共に前年割れが続いた。また、2000年4月の退職給付会計基準の変更に伴って、退職給付債務を一括して償却した影響などにより、2001年度(2002年2月期)は同社設立直後以来の大幅な当期純損失(単体約100億円、連結約110億円)となった。

このころ東急ストアが抱えていた課題は、商品政策と事業地域で、すなわち事業ドメインの軸足をどこに置いて競争力を発揮するかという点であった。まず商品政策の面では、ファストファッションの店舗が拡大すると共に、低価格衣料品チェーンや100円ショップの躍進により、衣料品や生活用品の売上不振が深刻化したことから、GMS店においては食料品を中心としたSM(スーパーマーケット)ゾーンを強化し、不採算売場の再構築としてフロアごとに客層を絞り込んだ売場展開に改めるなどのリニューアルを実施した。さらに低価格競争による同質化とは一線を画すため、食料品を中心に品質と鮮度を重視した上質化と利用客の声を反映させる仕組みづくりで、「量販店」ならぬ「質販店」を東急ストアならではの個性として打ち出した。

また事業地域の面では、関東地域から離れた東海、九州、またじょうてつの子会社が「札幌東急ストア」などの名称で展開していた北海道での事業推進について検討を進めた。その結果、仕入や物流の面からスケールメリットが追求できない地域では今後も採算性の向上が見込みにくいことから、まずは2001年度に東海地区(愛知県)からの全面撤退を決定し、九州地区の筑紫野店についても撤退を前提とした協議を進めた。

もともと東急ストアは、多摩田園都市はもちろんのこと、沿線外の都市でも当社や伊豆急行、東急不動産が開発した地方、地域に生活インフラ整備の一環で出店してきた経緯があった。また、東急ストア独自の展開として、神奈川県央・湘南地域、千葉や茨城も含め沿線外にも店舗を広げていった。しかし東急グループが「選択と集中」を進めて資産効率の向上に努めると共に、2000年4月の「東急グループ経営方針」で、「顧客基盤強化戦略による沿線活性化」を盛り込んで沿線回帰の方向性を示したことから、これに呼応して不採算店舗を中心に店舗構成を順次見直したのである。

一方、1997年にたまプラーザで1号店を開店した新業態SMの「プレッセ」は、2000年に東急スクエアガーデンサイト(田園調布)およびグランベリーモール(南町田)に、2002年に中目黒GTタワーとJR東急目黒ビルに出店したほか、2001年に東急ストア二子玉川店を業態転換。他店との差別化で、新たな顧客を獲得していった。

プレッセ田園調布店の開業
表7-6-1 プレッセ店舗一覧 ※は閉店した店舗
注:『東急ストア50年史』および東急ストアWEBサイトをもとに作成

2001年6月には、当社が東急ストアの株式を取得して持株比率を40%とし、連結子会社化する方針を決定した。東急線沿線の魅力度を高め、沿線の付加価値をさらに向上させていくうえで、東急ストアは重要なプレーヤーと考えたからである。

7-6-1-2 商業分野全般の方向性を描く

東急グループは東急線沿線を中心に多くの商業施設を展開しており、その多くがバブル崩壊による消費低迷の直撃を受けてきた。とくに2000(平成12)年以降、屋台骨となる東急百貨店の立て直しがグループ経営の最優先課題となり、第1節で記したように、再三の見直しを経ながら経営改革が進められた。

こうしたなか、東急グループの商業分野全体の方向性については、グループ経営を統括する当社を中心に検討が進められた。2002年に「グループ商業部門のあり方について」、2003年に「グループ流通事業戦略について」といった議題が、当時のコーポレート統括本部や経営統括本部から東急グループコーポレート会議に上程され、多角的な議論を重ねていた。

また、2003年度からの「中期2か年経営計画」では、東急線沿線を重点事業領域と位置づけ、「沿線小売機能の拡充」に注力することとした。沿線地域での消費支出の受け皿となる商業施設の活性化が沿線価値の向上、ひいてはグループの収益拡大に重要な要素であるということを明示したのである。

ここでいう「小売機能」は、百貨店・スーパーのほか、ショッピングセンターなどの「商業施設運営業」、商業施設の土地・建物を所有する「オーナー業(施設賃貸業)」も該当する。この内、商業施設運営業については、当社、東急百貨店、東急ストア、東急不動産をはじめ、各社の子会社や関連会社など東急グループの多数の会社が関与しており、事業の重複を解消して効率化を進めることが必要と考えられた。

そのため、まずは喫緊の課題であった東急百貨店の経営改革の一環として、同社100%子会社の株式会社ティー・エム・ディーと、札幌プラザ株式会社100%子会社の株式会社キューフロントの全株式を2002年12月に当社が買い取って当社100%子会社とし、2004年5月に株式会社ティー・エム・ディーの社名を東急商業開発株式会社に変更した。東急グループの商業施設運営の集約化の最初の一歩であった。2005年には小売業、商業施設運営業、オーナー業を「リテール関連事業」と総称し、商業施設運営業についてはさらなる集約化を推進していくこととなる。

図7-6-1 東急百貨店子会社の再編(2002年~2004年)
注:当社および株式会社東急百貨店の適時開示資料をもとに作成

7-6-1-3 [コラム]沿線住民への情報発信強化––「salus(サルース)」発刊

当社が「顧客基盤強化戦略による沿線活性化」を打ち出し、沿線に経営資源を集中させる姿勢を鮮明にし始めたのは2000(平成12)年4月の「東急グループ経営方針」が契機である。多摩田園都市を貫く田園都市線のみならず当社線は多くの乗降客を抱えており、東急総合研究所の調査から沿線住民の所得水準は他のエリアより高いことがわかっていた。こうした沿線住民に対して真に望まれるサービスを提供していくことで東急沿線が好きになり、東急グループ施設を日常的に利用していただける。東急ファンといえる顧客層を増やしていくことが、今後の成長戦略に不可欠と考えたからである。

当社は、沿線住民向けの情報発信を強化するため、2001年1月、東急エージェンシー、東急ケーブルテレビジョンと共同で、地域情報を発信するポータルサイト「salus(サルース)」(現、SALUS)を開設すると共に、紙媒体の月刊沿線情報誌「salus」を同年4月に創刊した。20~40歳代の女性をメインターゲットとし、ポータルサイトと連携しながら、沿線ならではのライフスタイルの紹介、沿線での暮らしをより豊かに彩る情報を掲載し、東急線各駅や東急ストアなどに配置して自由に持ち帰ることができるようにした。

salusはラテン語で「あいさつ」を意味し、人々が行き交い、出会う場所(駅)を象徴する言葉である。紙媒体の「SALUS」は現在も毎月20日に発行しており、配布部数はおよそ23万部/月となっている。

WEBサイト「salus」開設時のもの
紙媒体の月刊沿線情報誌「salus」創刊号

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