第7章 第4節 第1項 多摩田園都市の開発は成熟の時代へ

7-4-1-1 自然環境に配慮した56番目の土地区画整理事業、犬蔵地区が着工

多摩田園都市での区画整理事業は残りわずかとなり、犬蔵地区土地区画整理事業は、56番目の着手となった。たまプラーザ駅の北約1kmの川崎市に位置し、多摩田園都市における第1ブロックの西端にあたる地区で、施行面積約18haの内当社社有地が4割弱を占めていた。南西側に1969(昭和44)年に竣工した美しが丘の街が広がり、北側には既成の住宅地が迫っていた。無秩序な開発を食い止めるべく、土地区画整理事業の実施に向けた組合設立準備委員会を1990(平成2)年に発足し、10年を経て2000年3月に組合設立に至った。

図7-4-1 犬蔵地区位置図
出典:『清和』2004年6月号
造成前の犬蔵地区(2002年)

これまで多摩田園都市の開発においては、当社が調査設計、工事、換地といった、すべての業務を代行したうえで保留地を引き受けるという「業務一括代行方式」が採用されてきたが、同地区では「業務委託方式」が選ばれた。資金面については、組合が市中の金融機関から比較的低利で資金調達した。

同地区は、環境にやさしい、21世紀型の開発として「中高層住宅と低層住宅が調和した緑豊かな複合住宅市街地の形成」を基本理念に、「良好な住環境の確保」「防災性の高い都市構造の構築」「自然環境への配慮」の三つを基本方針として開発を進めた。

自然環境への配慮では、組合設立準備にあたって、川崎市の条例に基づき環境影響評価(環境アセスメント)を実施した。これは開発が環境に与える影響について調査・予測・評価を行うもので、1999年に報告書を取りまとめて公表した。同地区が鶴見川水系の矢上川の源流の一部にあたり、地権者の手入れが行き届いた田んぼにはゲンジボタルやホトケドジョウが生息する地域であったことを踏まえ、希少生物の生息地域の保全などを優先課題として進めることにした。地区の中央に計画した1号公園は、地域住民や保護団体との協議や地元小学校の協力を得ながら、緑や生物の保全と回復を図る「生物多様性モデル地区公園」として整備し、「宮前美しの森公園」と命名された。

宮前美しの森公園のビオトープ

また東名高速道路の東名川崎インターチェンジまで約900mという交通至便の立地であることから、都市計画道路2路線を整備した。

事業の意思決定は組合が行い、当社はあくまでも業務受託の立場であることから、従来以上に組合側との意思疎通を図り、設計や施工にあたっては周辺がすでに市街化していることに十分に配慮し、さまざまな工夫を行った。竣工は2006年3月で、換地後は約7.3haが当社の社有地となった。

多摩田園都市の土地区画整理事業は、その後は比較的小規模なものを残すだけとなり、この犬蔵地区の竣工は集大成といえるものとなった。

竣工後の犬蔵地区

7-4-1-2 多摩田園都市50万人超の街づくりに「日本都市計画学会賞石川賞」

五島慶太会長(当時)による1953(昭和28)年の「城西南地区開発趣意書」発表から数えて、多摩田園都市は2003(平成15)年に開発50周年を迎えた。都心部での人口過密が深刻化していた当時、多摩丘陵一帯の未開発地を「第二の東京」として整備しようという着想は大胆かつ斬新で、世間の耳目を集めた。この地域は都心から約40km圏の範囲内にありながら、開発が遅れ、交通の便は主要道路が大山街道1本のみであり、バス便も少なく、田畑や山林の入り交じった地であった。この約5000haの対象地域に40万人が居住する街づくりをめざした。都心に直結する鉄道網の整備を併せて行うことで早期の人口定着を促し、地元地権者と歩調を合わせて「業務一括代行方式」でスムーズに土地区画整理事業を進め、2003年にはめざしていた人口を大きく上回る人口54万人の一大都市となった。公共団体による住宅団地の開発は数々あったが、民間デベロッパーによるこれほどの大規模開発はほかに類を見ないものであった。

表7-4-1 多摩田園都市の人口推移
注1:『多摩田園都市 開発35年の記録』、『東急多摩田園都市開発50年史 資料編・年表編』などをもとに作成
注2:1975年までは各年1月1日、1980年以降は各年3月31日現在
表7-4-2 【参考】東急線沿線(沿線17市区)の人口推移
注1:2005年3月期 決算説明会参考資料をもとに作成
注2:東急沿線地域「東急線の通る17市区」と定義(品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区、町田市、神奈川区、西区、中区、港北区、緑区、青葉区、都筑区、中原区、高津区、宮前区、大和市)

こうした点が評価され、2003年5月に「東急多摩田園都市における50年にわたる街づくりの実績」という表題で、当社が2002年度日本都市計画学会賞石川賞を受賞した。1988年の日本建築学会賞、1989年の緑の都市賞(内閣総理大臣賞)の受賞に続く栄誉であった。また1972年に開始した苗木プレゼントによる緑化運動推進などの長年にわたる取り組みが評価され、2001年10月には都市緑化功労者国土交通大臣表彰を受賞した。

日本都市計画学会賞石川賞の受賞メダル

数々の名誉に輝いた多摩田園都市は、「いつか住みたい街」「住み続けたい街」として評価も得ており、港北ニュータウンをはじめ周辺地域の開発の進捗もあり、田園都市線沿線の世帯数、人口は時代と共に増加してきた。

なお多摩田園都市開発の50周年を記念して、開発の歴史を映像で振り返り、関係者や住民のインタビューなども盛り込んだDVD「東急多摩田園都市開発50年史」を制作し、土地区画整理組合の役員経験者、公立の小中学校や図書館などに配布した。また、記念ヘッドマーク付き電車の運行、記念パスネットの販売、沿線各地での写真展の開催などを行った。

東急多摩田園都市50周年の記念ロゴマーク
「東急多摩田園都市開発50年史」のDVD

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