第7章 第4節 第4項 鉄道の大規模改良工事に伴う駅上部開発

7-4-4-1 田園調布駅––商業施設の開業と旧駅舎の復元

「目蒲線の活用による東横線の複々線化」で鉄道施設の大規模改良工事が着々と進むなか、地上駅(盛土駅も含む)から地下駅や高架橋の駅へと変貌を遂げた日吉~目黒間における主要駅では、駅施設の竣工に続いて駅上部の開発を進めた。本章では、田園調布駅と目黒駅の駅上部開発に触れておく。

田園調布駅は、1995(平成7)年12月に複々線の4線地下化が完了し、1997年1月に駅舎部分が竣工。その後、駅前広場やバスターミナルの整備に加え、ビル事業部が主体となって、駅上部を利用した商業施設が建設された。

商業施設は5棟からなる分棟形式で、名称を「東急スクエア ガーデンサイト」とした。2000年4月に物販2棟を本館として開業。その後、現在のアネックス、南館を経て、2004年11月に北館が竣工し、グランドオープンとなった。「東急スクエア ガーデンサイト」の建物全体は、大正期から開発されてきた田園調布の美しい街並みに溶け込むように、大正モダニズム調のデザインに統一された。

東急スクエア ガーデンサイト

なお、時期が多少前後するが、旧駅舎の解体・復元にも取り組んだ。

田園調布駅は、エトワール式道路(放射線状に延びる道路に同心円状に伸びる道路を幾何学的に設計・配置した道路)の扇の要部分に位置する。駅を地下化するために、1990年9月に、旧駅舎(1923<大正12>年3月開業)が取り壊された。旧駅舎は、上高地帝国ホテルや川奈観光ホテルなどを手がけ、多摩川台地区(のちの田園調布)の街全体の設計にもかかわった建築家の矢部金太郎による設計。特徴的な二重勾配の腰折れ屋根(マンサード屋根)は近世欧州の民家がモデルといわれており、白い壁、赤い屋根の建物は、長年にわたって住民に親しまれてきた。地元から強い要望があったことと、当社発祥の地とも言える田園調布のシンボルであったことを踏まえて、旧駅舎をほぼ同じ場所に復元した。2000年1月には地元・田園調布会の主催により、駅舎復元記念祝賀会が開催され、多くの報道陣が詰めかけた。

復元された田園調布駅の駅舎

7-4-4-2 目黒駅––JR東急目黒ビルの開業

目蒲線目黒駅は、JR山手線目黒駅と貨物線の西側に隣接した地上駅であったが、地下鉄(営団<現、東京メトロ>南北線および都営三田線)との相互直通運転(以下、相直)に向けて、1997(平成9)年7月、地下駅に切り替えた。その後、JR山手線との連絡通路やテコプラザなどの駅施設を整えて、地下鉄側との相直開始を待ち受ける格好となった。

これと並行して当社のビル事業部は、駅上部の高度利用についてJR東日本と協議を進め、掘割状のJR山手線の上部に人工地盤を構築し、当社目黒駅の上部空間と一体利用した大型複合ビルを建設することを決定。両社合計で1万1000㎡の建設用地での共同事業である。1994年に着工し、2002年4月に「JR東急目黒ビル」としてグランドオープンした。直下で鉄道を運行しながらの工事という、困難な施工条件を克服しての竣工であった。

JR東急目黒ビル

JR東急目黒ビルは、地上17階・地下4階建てで、3〜17階をオフィス、1〜2階をJR東日本グループ運営のアトレ目黒とし、地下1階には東急ストアの「プレッセ目黒店」、地下2階に目黒区行政サービス窓口と銀行が入った。オフィスは当社とJRが約半分ずつを区分所有した。ちょうどオフィスの供給過剰が懸念されていた時期ではあったが、グランドオープン時には満室稼働となった。

目黒駅周辺は坂が多い地形だが、地上17階のJR東急目黒ビルは坂の上に位置しており、同地の新しいランドマークとなった。

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