あの駅で降りたら vol.18

「遅刻しているときにだけ多摩川が見えた 」あの駅で降りたら|文・生湯葉シホ

Urban Story Lab.

2026/9/15

東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。

今回は文筆家の生湯葉シホさんが、多摩川駅をテーマにエッセイを執筆。 学生時代、通学中に寝過ごして遅刻したときだけに現れた、地下鉄を抜けた先の眩しい車窓の風景。かつてどこか縁遠く感じていた多摩川駅へ、大人になったいま初めて自分の意思で降り立ち、まちを歩きます。

青々と茂る公園の緑やどこか懐かしいまちの中華料理店、そして視界いっぱいに広がる雄大な多摩川。記憶の情景と重ね合わせながら綴られたエッセイをお楽しみください。

生湯葉シホ
ライター・エッセイスト。東京都出身。著書に『音を立ててゆで卵を割れなかった』(アノニマ・スタジオ)、『はじめてたこ焼きを食べた日のこと』(中央公論新社)がある。一番好きな食べものは豚汁。
X:https://x.com/chiffon_06

暗いトンネルと、遅刻の合図に差し込む光

01.jpeg

電車がトンネルを抜けて地上に出る。その瞬間、アイマスクをとつぜん外されたときのように景色がひらけ、車両全体がまぶしいほど明るくなる。その明るさが取り返しのつかない遅刻の合図だった。

中学と高校の6年間、地下鉄に乗って電車通学をしていた。実家は東京の北西部、都営三田線の起点からほど近い駅にあり、通っていた中高一貫校は浅草線沿線だった。最寄り駅からラッシュ時の三田線に乗り込んでは40分近く電車に揺られ、三田駅で大量のサラリーマンとともに浅草線に乗り換えるのが毎朝のルーティーンだった。

15年以上経ったいまでも不思議なほど新鮮に思い出せるのだが、私はこの通学時間が嫌で嫌でしかたなかった。子どものころから夜型だったから、早起きして学校に行くのがまず嫌だった。けれどそれ以上に、地下鉄の車窓から真っ暗の風景を40分見続けなければいけないことが苦痛だった。

朝7時台、ベッドタウンから東京都心に向かう電車だ。当然混んでいるのだけれど、幸か不幸か、四方を人に囲まれて足がつかなくなるほどの大混雑ではなかった。本を広げて読むにはちょうど厳しいくらいの混み方だった。当時はまだ、地下鉄に乗っていると携帯がときどき圏外になるような時代だった。だから車内では本当になにもすることがなかった。さらには、通学に使っていた三田線はなぜかほとんど揺れなかった。カーブが少ない路線なのか、あるいは運転士の人の運転がうまかったのかもしれない。ガタンゴトンという電車らしい音もあまりせず、文字どおり「箱」が平行移動しているような独特の雰囲気があった。

毎朝、座席の前に立って吊り革に掴まり、iPodで音楽を聴きながら車窓越しに地下のトンネルの黒い壁を眺めていると、ガラスに反射した自分の顔がぼうっと浮かび上がって見えた。そういうとき、せめて景色くらいは楽しませてくれよと願わずにはいられなかった。

02.jpeg

しかし本当にときどき、真っ暗のはずの車両にはっとするほどの光が差してくることがあった。それが冒頭でも触れた地上区間だ。三田線は東急線との直通運転をおこなっているから、目黒駅を過ぎると自動的に東急の目黒線に切り替わる。東急線は目黒駅を発つとすぐさま地下から地上に出て、数十秒のあいだ明るい陽に照らされながら目黒川を渡る。それからまたしばらく地下に潜り、ふたたび地上に出ると、今度は緑に囲まれた住宅街のなかを走り抜ける。

私がそのひらけた景色を見られるときというのはつまり、電車を寝過ごしているときだった。毎朝たいてい、ターミナル駅である大手町や日比谷で人が一斉に降り、そこから三田までの数駅だけは座ることができた。寝つきのいい自分はその数駅のあいだにすっかり熟睡してしまうものだから、三田で起きられずにしょっちゅう目黒や武蔵小山、多摩川あたりで目を覚まし、電車が多摩川の鉄橋を渡るときに広がる眩しい川面を見て、「ああ、今日も遅刻だ」と悟るのだった。(余談だが、いつも同じ時間帯の電車に乗る親切な人たちが「〇〇学園の子でしょう」と先に起こしてくれることもあった)。

03.jpeg

寝過ごしたことに気づいて明るい車両のなかで顔を上げたとき、またやってしまった、と慌てるのはほんの一瞬で、それ以上に「朝だ」と感じた。いま思えば変な実感だ。家を出た時点でとっくに朝だったはずなのだから。でも本当に、心から「朝だ」と思った。水中で長いあいだ止めていた息を大きく吸い込んだような爽快感と、ようやく助かったという感触があった。そういうときに周りを見ると、乗客のまばらになった車内で窓の外に視線をやりながら佇んでいる人たちの顔も心なしか穏やかだった。その表情から、あ、この人たぶんいま会社をサボってるな、とわかるときもあった。

反対側、西高島平行きの電車に乗って三田駅まで戻る。そのころにはもう遅刻が確定しているから気が大きくなって、こうなったらなんでもいいやと思えていた。白状すると、3回に1回くらいは三田駅を通り越し、ふた駅先の御成門駅で降りて、東京タワーを眺めてから学校に行っていた。一度だけ展望台まで登ったこともある。

眺めるだけだった景色へ、大人になって向かう

04.jpeg

車窓の風景にあれほど助けられていたというのに、結局、それ以降の人生で目黒線に乗る機会はほとんどなかった。成人してからもしばらく実家のある板橋に住んでいたし、ひとり暮らしをするようになってからは東京の東側に根を下ろしてしまって、東急線エリアはどこか縁遠いものと感じていた。

だから東急線の、せっかくならよく知らない多摩川駅あたりを歩いてこのエッセイを書いてみようと思い立った時点では、三田線と目黒線が直通していることもすっかり忘れていた。マップアプリでルートを検索し、目黒駅に「目黒線接続 ※乗り換えなし」という表記があるのを見たときにようやく、遅刻しているときにだけ見えた車窓からの風景が蘇ってきた。

05.jpg

寝過ごすのではなくはじめて意思を持って目黒線に乗る。電車が田園調布駅を過ぎ、多摩川駅に入ってゆく。ゆっくりとドアがひらくと同時にシャワーのような蝉の声がサラウンドで降ってくる。ホーム越しに背の高い木々の広がる公園が見え、振り返ると反対側もまた一面、緑色をしている。駅を挟んで東西にふたつの大きな公園がそれぞれ広がっているらしく、どちらも行ってみようと決めて歩き出す。

東側にある田園調布せせらぎ公園は駅の出口のすぐ目の前で、芝生のある広場では子どもたちが走り回って虫とりをしている。日差しが強いから、大人たちはみんな手を庇にしてその様子を見ている。散策路を登っていくと足元をちょろちょろとヤモリが横切る。徐々に遠足のような気持ちになってきて、汗を拭くために立ち止まる。

考えてみれば学生時代はあれほど遅刻ばかりして、あまつさえ東京タワーを見に行ったりもしていたのに、なぜか一度も多摩川駅で降りたことはなかった。自分にとって目黒駅から向こうの景色はあくまで車窓越しの光景で、本編についてくる特典映像みたいなものだったから、そこにだけアクセスすることはできない気がしていた。

06.jpeg

公園からすこし離れて住宅街を進む。蝉の声が遠くなると辺りは一気にしんとして、閑静な、想像どおりの田園調布の風景が広がっている。古い洋館のなかで飼われている猫とベランダの柵越しに目が合う。軽く手を振るが無視される。

環八通りに出て町中華のお店に入る。隣の席の夫婦は大きな上海焼きそばをふたりで分け合って食べている。私も同じのを頼んで、しばらく店内のテレビで甲子園の中継を見る。店主が鍋を振る音だけが店内に響く。バイトの人はビールサーバーを洗浄している。やがて、ひとりで食べるにはやや大きすぎる焼きそばが運ばれてくる。

07.jpeg

来た道を戻って駅を抜け、今度は反対側の多摩川台公園へ行く。こちらの公園の隣には多摩川の河川敷があるはずだけれど、背の高い木々に隠れて川はなかなか見えない。階段を上ったり降りたりしているうちにベンチが置かれた展望台を見つけ、そこから正面を見下ろすと大きくうねる多摩川が視界いっぱいに広がっている。

なんだか絵がそのまま眼前に飛び出てきたような景色だと思った。木々の緑は車窓越しよりもくっきりと濃い色をしていた。

--

文/生湯葉シホ
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

掲載店舗・施設・イベント・価格などの情報は記事公開時点のものです。定休日や営業時間などは予告なく変更される場合がありますのでご了承ください。

Urban Story Lab.

まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。

同じタグの記事を読む