あの駅で降りたら vol.17

「あの日、若林でみていた夢」あの駅で降りたら|文・平井里枝

Urban Story Lab.

2026/6/9

東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。

今回は、編集者の平井里枝さんが世田谷線・若林駅をテーマに執筆します。 

2019年、結婚を機にはじめての二人暮らしを始めたまち、若林。

築45年のヴィンテージマンション、環七の喧騒、そして広い空を見渡せる屋上。 何事にも肩に力が入り、将来に悩んでいた20代の平井さんを包み込んでくれたのは、自分たちの在り方を大切にする、まちの人々の穏やかな姿でした。 あれから数年が経ち、母となった今。若林の夜を思い出すときに流れる、あの懐かしいメロディと、今も胸にある「夢」のつづきについて綴ります。

平井里枝
書籍編集者。1990年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、出版社で営業・編集業務に従事。これまでにエシカル・サステナビリティに関する本や絵本などに携わり、近年では短歌の入門書を担当した。好きなことは喫茶と筋トレ。

若林ではじまるあたらしい日常

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若林駅をおりるとすぐ、「若林踏切」がある。

都内でも有数の交通量で、ガラトンガラトン…とトラックが朝から夜まで行き交うような環七通りにある交差点。ここでは、そんな周囲の喧騒を忘れてしまうような、コトコトと路面を走る2両編成の世田谷線を見ることができる。電車が通り過ぎるのをゆっくり待つ車、自転車、人そして犬。忙しなさの合間にある穏やかな時間は、今もずっと変わらず好きなままだ。

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2019年秋。結婚を機に都内にある実家を出て、はじめて自分たちの家を借りたのが若林だった。

東京にわりと長く暮らしていても「世田谷線の若林」を知る機会はこれまでなく、おそらく周りもそうだったので、「下北沢と三茶の真ん中あたりだよ」と説明することも少なくなかった。

私たちが選んだのは築45年の45平米の部屋。いわゆるヴィンテージマンションの類で、わりと背丈のある私と夫が腰を痛めない高さのキッチンや収納棚、十分に足を伸ばせるお風呂があったのが最初の決め手。

おもに祖父母から引き継いだ深い茶色の民藝家具でつくられた小さな空間は、遠くないうちに夫の転勤があるかもしれないからとあまり物も増やせず、部屋にぽっかりできた意味のない余白を豊かにみせるために、当時習っていたいけばなの花材を持ち帰っては、ていねいな暮らし風に飾っていたのだった。

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このマンションには住居者共用の屋上があった。洗濯物はそこで干さなければならないルールがあったため、週末になるとえっちらおっちら布団を運び、シーツを干したあとにゆっくり外をみて過ごすことも多かった記憶がある。

はじめて屋上にあがったとき、環七の近くだと思えないくらい落ち着いていてゆるりとした空気が漂っていることに驚いた。

週末になると、近所の家からはバーベキューのにおい、子どもも大人も一緒になって遊ぶ声が風にのって運ばれてきて…「今日みたいな日は、お庭のある家に住んだら楽しいよね」「子どもができたら、家族みんなでそろってごはんが食べられるように働きたいね」なんて話をした。

すっかりお気に入りになった屋上から見渡す空は思ったよりずっと広くて、視界を遮る建物もなく都心をのぞむ景色が遠くまで開けていた。

居心地のいい人をつくり出す街

思い返すと、20代は就活にはじまり次は婚活…と、「趣味は悩むことですか」というくらい、どんなお題に対してもしっかり悩んだ。

おまけに世の中の流行りや提案にも影響を受けることが多く、29歳でこの地にたどり着くまでに遠回りもたくさんしてきた。
そういったなかで若林は、良い意味で流行が目にみえないところがあった。

古すぎず、新しすぎず。歩いている人たちの様子や装いは、自然に街に馴染んでいて、この土地の居心地のよさをつくり出していると思った。

これまで何事も肩の力が入ったまま挑んでいた日々のなかで、若林に生きる大人の姿が徐々に憧れになっていった。

たぶん、だけれども。居心地のいい人は自分の在り方がわかっていて、自分を大切にすること、日々の小さな営みを楽しむこと、変化もやわらかく受け入れることができる人なのだろう。

歩いて15分がちょうどいい

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若林に来てまもなく、世の中はコロナ禍に入った。ピリッとした日々の中で、私たちの暮らしにささやかだけれども確かな彩りを与えてくれていたのが、徒歩圏で出会った美味しいものたちだった。

まずは、環七沿いにある白い壁にパキッと映える赤いドアが目印のパン屋「ラ・ブランジェ・ナイーフ」。ここでは、朝食用の若林ブレッドを。それから、早く起きられた休日には淡島通り沿いのカフェ「yellow」でカフェラテとクロワッサン。そして、一番お世話になったのは梅ヶ丘通り沿いにある赤い屋根の食品館「信濃屋」。目利きの品で充実した店内は、買うものがなくてもつい立ち寄りたくなるし、実際よく通った。

思い出すのは、当時は午前1時まで営業しており、割引シールが貼られたスイーツを終電近くまで働いたあとの夫が買ってきてくれたこと。向かいにあるワイン館では、この頃全国的に品薄になっていたサントリーのウイスキーを発見し、お宝を抱えるように家に持ち帰ったのだっけ。

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厳密に言えば、「若林にある」ものではなく、もしかすると若林には多くの人が集まる何かがなかったかもしれない。でも、ちょっとそこまでと歩けば、隣駅の西太子堂や松陰神社、世田谷代田や三軒茶屋にだって着いてしまうのが若林の楽しいところであり、欲しいものまでのちょうどいい距離感だったと思う。

この頃になると家や近所で過ごす楽しみが増えた一方で、夫の帰りが次の日の早朝になることも多く、平日はひとりで長い夜を過ごすことも多かった。

まだ、見たい世界がたくさんある

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若林の夜を思い起こすとき、脳内にある音楽が流れていると気づく。一生懸命に記憶をたどると、映画『ティファニーで朝食を』(1961)の挿入歌「Moon River」だとわかった。

劇中ではオードリー・ヘップバーン演じる、華やかな世界に憧れる主人公ホリーが、アパートメントの窓辺に腰かけ、アコースティックギターを鳴らし、ささやくように弾き語る印象的なシーンだ。

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Two drifters, off to see the world
2人の流れ者が世界を見に旅立った


There's such a lot of world to see
見たい物が沢山あるの


We're after the same rainbow's end, waitin' 'round the bend
追い求めるのは同じ虹の向う 虹の上で待ち合わせましょう


My huckleberry friend, Moon River, and me
『ムーン・リバーと私』

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私たちの住む家の近くには若林折返所という東急バスの終点があった。

さらには、旧山手通りと環七通りを結ぶ全長約3kmの淡島通りの終着点。つまり、その先は行き止まりになっているということもあって、夜の停留所をおりて若林陸橋をのぞむと、白い街灯の円がぼんやりと浮かぶだけの何もない静かな空間が広がっていた。

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土曜日の夜、私たちはこの道をよく歩いた。特に予定のない休日にやることといえば、午後から都内各所のゴールドジムに出向き各自トレーニング。それから気になっていた銭湯で一息つき、夜はちょっと綺麗目な居酒屋に入って生ビールを飲むこと。それから、仕事のことや将来のことをすっきりするまで語り合うこと。

そんな一日の終わり、若林折返所からゆっくりと家路につく道からは、自宅の鉄製柵のバルコニーをのぞむことができた。賑やかな渋谷や三軒茶屋から15分ほどで辿り着く場所とは思えないほど、静かだった。

そのときに感じた、安らかで前向きな気持ち、ほんのり甘やかな気持ちは今も忘れることはない。

…あらためて歌詞を見返してみると、私にとってのこの歌は、若林で見た夢や憧れを肯定してくれる歌だったのかもしれない。

若林で見た夢のつづき

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そんな若林での暮らしをとても気に入っていたが、わずか1年半ほどで引っ越すことになった。夫の転勤に伴い移り住んだ京都では、好きだった世田谷線と近い趣を感じられる叡山電鉄が通る地を住まいに選んだ。再び東京に戻ってきてからの現在地は、若林につながる環七沿いにあって、今でも若林での経験が暮らしのものさしだ。

いつしか私たちの家族は4人チームになり、日々あたらしい世界を見せてもらっている。今夜も寝室ではホワイトノイズを大音量で流し、赤ちゃんがぐっすり眠る赤いライトを灯している。ようやく2歳と0歳を寝かしつけたら、またすぐ明日がやってくるのだろう。

それでもいつかは、いや次の土曜日こそ、また夢のつづきを話そう。

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文/平井里枝
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

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まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。

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