あの駅で降りたら

「なんでもないけど、なんかいい街。都立大学」あの駅で降りたら|文・市谷未希子

Urban Story Lab.

2025/6/7

東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。

今回は編集者・ライターの市谷未希子さんが、都立大学駅をテーマに執筆。32平米のワンルームで暮らしながら、「なんでもないけど、なんかいい」と惹かれてやまない街の魅力を描きます。

便利さに甘えてしまうのに、いつの間にか離れられなくなる“ふわっとした温かさ”とは? 都立大学駅と、東急東横線についてのエッセイをぜひお楽しみください。

市谷未希子
1989年⽣まれ。美容師、ファッションメディアの編集者を経て、フリーランスのエディター/ライターとしてファッションや美容、カルチャーなど幅広いジャンルで活動中。趣味は映画、ドラマ、ライブ鑑賞と食べ歩き。
Instagram:https://www.instagram.com/mikk0/

引っ越したくても引っ越せない、都立大学の魅力ってなんだろう。

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つい先日、自宅の2度目の契約更新をした。

32平米1Kの間取りは、引っ越したての頃からどんどん荷物が増え続けている私にとって、数年前からかなり手狭になってきた。前回の更新タイミングでも「引っ越したい」とぼやいていたのだが、あっという間に2年の月日が経ち、またもや更新してしまった。

引っ越したいのに引っ越せない最大の理由は、なんといってもそのアクセスの良さ。

私が住んでいるエリアは、東横線・都立大学駅まで徒歩8分、目黒線や大井町線が通る大岡山駅まで徒歩15分。徒歩3分のバス停からは環状7号線をまっすぐに抜ける新代田駅までの東急バスも通っている。

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編集者としてフリーランスになってから4年、自宅を拠点に毎日違う場所へと出かけていく今の生活において、この立地はなににも代えがたい環境なのだと心底思っている。

こんなにも絶賛しておきながら、「都立大学の思い出の場所はどこですか?」と聞かれると、言葉に詰まる。正直、近所で友人と会うことはほぼないし、行きつけの店もひとりで入れる牛丼やカレーのチェーン店くらいしかない。

だけど、“なんかいい” のだ。年齢層高めの大人たちが元気よく働くコンビニエンスストアも、ハキハキとしゃべるパートさんがレジを打ってくれるスーパーマーケットもなんだか心地がいい。遅い時間に帰ってきても、駅前の古い酒屋に電気がついていると安心する。通りにある定食屋や中華屋が今日ものれんをかけているとホッとするし、臨時休業の看板が目に入るとハラハラする。

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さらには駅から家に向かうまでの緑道は、桜が満開になる春も、緑の葉っぱが生き生きと揺れる夏も、枯葉舞う秋も、葉が落ちた枝の隙間からオリオン座が見える冬も、どの季節のどの風景も今の私の生活に欠かせないものになっている。

都会のなかで、普通の生活を支えてくれる場所が好き。

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ちなみに、私と東急線の歴史は、新卒で上京した20歳の頃にさかのぼる。初めての一人暮らしは、世田谷線の世田谷駅。代官山にある美容室に就職した私は、毎日30分かけて自転車で通勤していた。

数か月の店舗移動を除いて、約7年間代官山の同じ店で働いていたのだが、いち美容師アシスタントにとって、代官山は物価の高い街。ただでさえ、営業に練習に毎日忙しいので憧れの代官山ライフを謳歌していたかというと、そういうわけではない。

けれども、美容師をやめた今でも代官山は好きな街でホッとする。ついこの間も焼き鳥「大吉」やとんかつ「げん田」といった、美容師時代にご近所さんから教えてもらった店に友人と一緒に行ってみたのだが、皆口々に「代官山っぽくないね」と嬉しそうに言っていたのが印象的だった。

どこか下町のような雰囲気があって、粋な大将や面倒見のいい女将さんが店を切り盛りしている。その店を昔教えてくれたご近所さんの名前を出すと、「あー!あの店の!」と記憶を引っ張り出して、あたたかく迎えてくれる。

知らない人々の人生や生活を肌で感じられる街。

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住まいは世田谷から経堂、氷川台とさまざまな路線や駅を転々とし、2017年に都立大学に初めて住むことになった。当時は中学校の同級生とノリと勢いからルームシェアをしていた。若気の至りというのか、心のどこかで20代最後の冒険の気持ちで臨んだルームシェアは契約満了と合わせて解消。ちょうどその頃、美容師から編集の会社へと転職し、中目黒銀座商店街の外れでひとり暮らしを再開した。

商店街は活気があって、帰り道には食べたいものがなにかしら必ずある。個人店の八百屋も多く、軒先に並ぶ野菜を見ているうちに自炊欲が高まって、家でご飯を作って食べることも増えた。毎朝決まった時間に看板を出す時計屋の主人。店の奥が見えないほどの古本が積み上がった古書店。通りすぎる街並みには、人々の人生や生活が浮かび上がるような不思議な感覚があった。

当時からの行きつけは、東山にある「栃木屋」という焼き鳥屋。行くたびに親戚のような心地よい距離感で、私や友人たちのことをいじりながら迎えてくれるおっちゃんが大好きで、今でもときどき無性に会いたくなる。

いつもそばには東急線があった。

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その後、中目黒の別のエリアで懲りずにルームシェアを始めたり、会社を辞めてフリーランスになったりと、私の人生は上京したての頃からは想像もしない方向へ、あっちこっちへと船を漕ぐように進んできた

気づけば上京して15年。仕事やプライベートでいろんな街に出かけても、最後はこの沿線に帰ってくる。目にみえる華やかさや賑わいといった一面よりも、私が惹かれるのは “なんでもないけど、なんかいい” というふわっとした情景や体温なのかもしれない。

今日も緑道からくっきりと浮かび上がる冬の夜空を見上げて、そんなことをぐるぐる考えながら家路についた。

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文/市谷未希子
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

掲載店舗・施設・イベント・価格などの情報は記事公開時点のものです。定休日や営業時間などは予告なく変更される場合がありますのでご了承ください。

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まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。