
東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、ゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。
今回はアーティスト・作家として活動するモモコグミカンパニーさんが、三軒茶屋駅をテーマに執筆。
特別な思い出があるわけではないのに、なぜかたびたび降り立ってしまう、そんな不思議な魅力を持つまち。
学生時代に憧れた、輝く目の大人たち。
彼らの背中を追いかけながら、今も少し背伸びをして生きている自分。
“上京”を知らない東京人として見つめる、憧れと成長の物語をお届けします。
モモコグミカンパニー
9月4日生まれ。東京都出身。ICU(国際基督教大学)卒業。2023年6月29日の東京ドームライブを最後に解散したBiSHのメンバーとして活躍。メンバーの中で最多の17曲の作詞を担当。2023年9月から音楽プロジェクト(momo)を始動。
執筆活動やメディア出演を中心に幅広く活躍。著書に『御伽の国のみくる』『悪魔のコーラス』(ともに河出書房新社)、『解散ノート』(文藝春秋)、『コーヒーと失恋話』(SW)など多数。
用もないのに降りたくなる、憧れの三軒茶屋

たまに、用もないのにわざと三軒茶屋の駅で降りて散歩をしたり、カフェで作業することがある。駅の近くには、ドラッグストア、無印良品、ユニクロ、マクドナルド、スターバックス、ミスタードーナツ、31アイスクリーム。名前を聞いたことのある店なら大抵揃っていて、すずらん通りという居酒屋が並んだ風情のある街並みもある。生活雑貨から飲食店、遊ぶ場所まで、とにかくなんでもあるのだ。歩行者や自転車に乗っている人、車通りも多く、平日の昼過ぎでも賑わっている。しかし、不思議と騒々しさは感じない。
私は、三軒茶屋にこれといった縁やゆかりがあるわけではない。友達が住んでいるわけでもないし、行きつけのお店もない。仕事で訪れることもほとんどない。それなのに、時々この場所を訪れるのは、いつか三軒茶屋に住んでみたいというぼんやりとした憧れがあるからだ。
なぜ、三軒茶屋に住みたいと思ったのか。それは、私がBiSHに入った頃、三軒茶屋にプロデューサーが住んでいたことや、他にも「あの女優さんも住んでいるんだよ!」などと小耳に挟んだことがあり、なんとなく三軒茶屋は芸能人や文化人など、自分の地位を築いている、輝きを放つ大人が住む街というイメージが刷り込まれているからだ。もちろんこれは単なるイメージで、実際にはそういう人ばかりではないこともわかっているのだけれど。
東京にいながら、まだ“上京”できていない

私自身、生まれも育ちも東京で、いわゆる上京を経験していない。小学5年生から中学1年生まで親の転勤で新潟に住んでいたこともあるが、人生のほとんどの時間を東京で過ごしている。ちなみに、新潟に転校した際はクラスメイトに「東京人」とあだ名をつけられ、自分は東京の人間であることを妙に実感した。。
それから大学に入学したり、グループに入ったりと環境が変わる中で、上京してきた人の話をよく聞くようになった。そして上京組は、東京に来るのに何らかの憧れや夢を持って意気込んできているのが大半なのを知った。同時に、生まれ育った故郷に対し特別な愛情を持っているようにも見えた。それに対して私は、そんなふうに覚悟を決めたことがないし、地元を訪れてもここが故郷だという感覚も薄い。

大学時代、三鷹で一人暮らしを始めたが、実家はいつでも電車で帰れる距離にあった。だから、私は上京組と比べると、「自分の夢や目標を持って一人で生きていく」といった覚悟を決めるタイミングを逃してきたのかもしれない。そういう意味で、私にとって三軒茶屋はは、世間のいう「東京」に近いかもしれない。
実際、三軒茶屋に住もうと考えて、物件を何度か見にいったが、なかなか良い物件の空きがなかった。不動産屋さんが言うには、「三茶は一度住んだらなかなか人が引っ越さないから良い物件はたまにしか出ないんだよ」ということだった。この話を聞いて、「三茶はやっぱり良い街なんだ」と憧れが増す一方で、「ちょうど良い物件がなくてよかった」とホッとする自分もいた。それは、私がまだ「上京」することに躊躇っている、というか、今の自分が三軒茶屋に住むに値する大人になれているのかわからないからだろう。
憧れた大人の背中を追って

BiSHに入る前、私は自己啓発本ばかり読んでいるような学生だった。自分に自信がなかったし、将来への漠然とした憧ればかり膨らんでいく一方で、それを実行する覚悟を持つことはできていない、モヤモヤとした日々を送っていた。出身大学のICU(国際基督教大学)には、海外志向の学生や、自分のやりたいことが明確な学生が多い中、私は特に将来が定まっておらず周りに引け目も感じていた。
そんな私がグループに入った理由の一つは、プロデューサーの渡辺さんがとても楽しそうな大人に見えたからだ。普段すれ違う大人たちはみんな死んだような目をしている人が多かったし、大人になるということは何かを諦めることや社会の歯車に組み込まれること、そんな窮屈なイメージを持っていた。だからこそ、渡辺さんの存在は貴重だった。それから、BiSHのメンバーとして怒涛の8年間を過ごし、解散して現在に至る。

「解散」という言葉に対し、マイナスなイメージを持っている人も多いだろう。しかし、私はグループで解散が決まった時からずっと、その言葉に対しポジティブなイメージを持ち続けている。実際、解散して数年経った今も、他のメンバーやファンのことは手を伸ばせば触れられる距離に感じられるし、何か悩んだらイギリスにいる渡辺さんに電話で話を聞いてもらうこともある。物理的には、一つの束で括られていたものが外れただけで、各々が自分の好きな場所に飛び込んでいっているだけのこと、そんな感覚だ。
解散してすぐに、私は大手事務所に所属した。当時は、「元BiSHだから」という解散直後の注目や、それに伴うメディア露出も多かったと思う。しかし、2年以上経った今は、とにかく自分のやりたいことを貪欲に追い求めるべきだと考えている。だって、せっかく解散したんだから。前向きな解散にしていくのも、自分の今の歩みにかかっていると思うのだ。
過去の自分に支えられながら今を生きる

今年9月に、自費出版で詩集を出した。自費出版も詩集を出すことも、私にとって初めての試みであり、BiSH活動以前からずっとやりたかったことの一つだった。自費出版とは、文字通り自分でお金を出して、紙から何からこだわって作れるというものだ。これまでも出版社から何冊か本を出したことはあるが、たくさんの人が関わっているぶん、のプレッシャーを感じることがあった。多くの人に届けるために、サイン会やお渡し会をすることもあった。そのことが嫌だったわけではない。
けれど、自費出版では量は少なくても、自分のとことん好きなように作って、その代わり自分で責任を持って本を届けたいと思ったのだ。これまでは原稿作成までが私の仕事だったが、印刷会社、発送業者の手配やら何やら全部やることになる。起きたトラブルも全て自分の責任になり、これまでのプレッシャーとはまた別のものを感じた。もちろん大変だったが、その分、一冊の重みや、関わってくれた一人ひとりに感謝も湧くようになった。
あの頃、憧れを抱いた“輝く目の大人”は、ただ楽しく好き勝手にやっていただけではなかったことが、今になってよくわかってきた。そんな大人になるには、私が自費出版をしたときに経験したような、好き勝手やりながらも、それに伴う面倒や責任を一身に背負う覚悟と実行力が必要不可欠なのだろう。
もう自己啓発本は読まなくなったけど、大人になってもまだまだ迷うことだって、叶えられていないことだってある。というか、そんなことばっかりだ。だけど、そんな自分を裏で支えてくれているのは、輝く目の大人に憧れを持っていたあのころの自分だ。
大人になったからこそ、夢を持っていたい。そして、その一つひとつに毎回「上京」する気持ちで貪欲に挑戦していきたい。そうやって、故郷と呼べる思い入れのある場所や人との繋がりも増やせるように生きていきたいと思う。

今の私は、三軒茶屋に住むにふさわしいだろうか。輝く目の大人になれているだろうか。たまに三軒茶屋に降り立つと、そうやって想いを馳せる。しかし、よく考えると私は「三茶に住んでるんだよね」と言いたいだけかもしれない。それはつまり私にとって、「今、やりたいことやって輝いてるんだよね」とほぼ同義である。輝く目の大人になれるように、そんな大人になりたかったあの頃の気持ちを忘れないように、私は結局、三軒茶屋に住まないまま、三軒茶屋に憧れを持っている方がいいのかもしれない。
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文/モモコグミカンパニー
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)
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Urban Story Lab.
まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。








