あの駅で降りたら

『中目黒で育った、私の「普通」』あの駅で降りたら|文・好美日奈子

Urban Story Lab.

2025/6/7

東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、ゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。

今回は幼い頃から中目黒で育った好美日奈子さんが、中目黒駅をテーマに執筆。
「都会っ子だね」「おしゃれな街だね」。何気ない会話の中でそう言われるたびに感じるなんともいえない違和感や、日々変わっていく中目黒の街並み。そしていつまでも変わらない人の温もり。

中目黒で育ったからこそ感じる、「普通」とは。中目黒の記憶を辿るエッセイを、ぜひお楽しみください。

好美日奈子 
1997年東京都出身。旅行系ベンチャーで大学時代から働き、そのまま就職。その後、西アフリカのベナン共和国でEC事業の立ち上げに携わったのち、現在は「Live with nature. / 自然と共に生きる。」をミッションに掲げる株式会社Sanuで新規事業の立ち上げ、グロースに従事している。ワインと餃子と歴史が好き。

中目黒=おしゃれな街? ありふれた会話にあるちょっとした違和感

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「出身はどちらなんですか?」

中目黒で生まれ育った私は、こう聞かれるたびにいつも少し困ってしまう。

もし「北海道です」とでも言えたら、どんなに楽だろうか。

「僕もどさんこです!」とか、「旅行で行きました!」とか、そんな明るい展開が容易に想像できる。

でも、私の場合はこうだ。

「都内です。」
「どのあたり?」
「目黒区ですね。」
「目黒駅のあたり?」
「いや、中目黒です。」
「あー、おしゃれなところだ!都会っ子だなあ。」

そう言われるたび、私はいつもなんともいえない居心地の悪さと共に言葉を濁してしまう。

「いやいや、全然都会じゃないですよ」。これはさすがに無理がある。どう考えても都会だ。

「そんな、大しておしゃれじゃないですよ」。これも大しておしゃれでもない私がいえる言葉か?という気持ちになってしまう。

そんなことを考えているうちにタイムアップとなり、結局「はは、そうですかね?」なんて面白みもない曖昧な笑いで終わらせることになるのだ。

中目黒と六本木が、私の青春の中心だった 

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開き直って言うけれど、確かに私は正真正銘の都会っ子だと思う。

幼少期は野山を駆け回る代わりに母と幼稚園をサボって「銀ぶら(*銀座の街をぶらぶら散歩すること)」をしたし、祖母に頼んで渋谷のゲームセンターへ連れて行ってもらった。よくクリスマスプレゼントを買ってもらったのは、渋谷のさくらや(2010年に閉店した家電量販店)だった。小学校の卒業式のあと、同級生とお小遣いを握りしめて東横線の特急に乗り、横浜のみなとみらいへ遊びに行ったのが私にとって一世一代の大冒険だった。

私が通っていた中学・高校は六本木と麻布十番の間あたりにあったので、球技大会の打ち上げは六本木駅近くのTGI FRIDAYSだったし、どきどきしながら初めて校則違反の買い食いをしたのは中目黒駅前のスターバックスコーヒーだった。

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大学生のころ、渋谷橋の交差点を数えきれないほど運転して車の免許をとった。初めてできた彼氏とは目黒川でお花見をし、駒沢通りのデニーズで大喧嘩をした。

大人になって、知人が初めて渋谷や六本木に降りたときの思い出を語るたび、そして周囲の共感を聞くたび、どうやら自分はバックグラウンドが少し異なるらしいということにこっそりと気づいていった。

多くの人にとって渋谷は小学生が祖母と遊びに行くところでもクリスマスプレゼントを買ってもらうところでもなく、六本木は中学生が映画を見たりクレープを食べたりするところではないらしい。でも、だれがなんといおうと、私はそうやって育ってきた。

変わっていく街、変わらない温もり

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中目黒とその周辺の街は、こうして私という人間ひとりが元気にスクスクと成長する過程を、すっぽり受け入れ続けてきた。中目黒駅を出て、右へ行っても左へ行っても、その先をさらに右へ行っても左へ行っても、尽きることのない思い出が蘇ってくる。

しかし、そんな思い出の詰まった街も、時の流れの中で少しずつ変わっていく。

南改札を出てすぐ右手の2階にあったブックセンターが、つい先日閉業した。小学生の頃はマンガを立ち読みし、大学受験のときは参考書を買った。いつもそこにあったはずの本屋のシャッターに「3月24日をもって閉店!」と書かれているのを見つけたときには、思わず声が溢れた。

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気づけば中目黒高架下には飲食店が急増していた。「らんまん食堂」という唐揚げ屋も、その波の中で生まれ、消えていった店のひとつだ。

噛んだ瞬間にじゅわっと広がる上品な塩味、カリカリの衣。仕事がうまくいかない日も、小さな目標を達成した日も、私はここで熱々の唐揚げを頬張り、レモンサワーで流し込んだ。おじさんはときどき汗をタオルで拭きながら、いつも黙々と唐揚げをあげていた。アルバイトのお姉さんは行くたびに違う顔ぶれだったけれど、客に媚びないスタイルなのか、いつも淡々と働いていた。

おじさんともお姉さんたちとも、一度も会話らしい会話をしたことはなかった。だが、それでいいのだ。その絶妙なバランスで成り立つ空間を、私は心底愛していた。先日ふと店の前を通ると、そこには真新しい台湾料理屋の看板がかかっていた。心なしか唐揚げ屋のころより賑わっているようにさえ見えるのがさらに切ない。

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だけど、変わらないものも確かにある。

旧ブックセンターの前を抜け、セブン-イレブンをこえると、目黒銀座商店街に差し掛かる。ネーミングにはやや哀愁が漂うが、年々飲食店を増やしながら、今日も賑わっている。

かつてこの商店街で、小学生の私は「職業体験」と銘打たれた行事で店頭に立たせてもらったことがある。果物を試食できる八百屋や、せんべいを焼けるせんべい屋が人気だったが、私は抽選に外れ、ひたすら電気屋で値札を貼っていた。

先日ふと通りかかったとき、あの電気屋は今も変わらずひっそりと営業していた。客でもない小学生に熱心に家電の説明を聞かせ、何の役にも立たない小学生に「助かったよ」と笑いかけてくれたおじさんは、今も元気にしているのだろうか。

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実家と小学校の間に代々続くバイク屋がある。小学生の頃、よく自転車の空気を入れてもらっていた金髪のお兄ちゃんは、20年の月日を経て金髪のおじちゃんになった。ランドセルを背負った私が毎日元気に挨拶をしていたあの頃と変わらず、今日も「おはよ〜」と緩く声をかけてくれる。

学生時代から家族でよく行くイタリアンレストランでは、私の入籍日にディナーを楽しんだ。結婚したことをシェフに報告すると、普段はポーカーフェイスな顔を緩ませながらグラスワインをなみなみと注ぎ、何度もおめでとうと言ってくれた。普段あまり自分から客に話しかけたりしないのに、私の夫と終始嬉しそうに話していた。

中目黒を飛び出し、憧れた「外の世界」

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スピーディーに移り変わりながらも、相変わらず心地いい中目黒を離れる選択肢は特になく、私はそのまま都内の大学へ進学した。都立大学、中目黒、恵比寿といずれも勝手知ったるエリアでアルバイトをしながら、そのくせどこへいっても「知っている世界」が広がっているように思え、どことなく退屈しはじめていたように思う。

大学時代は海外旅行に明け暮れ、やがて西アフリカに住み、仕事をするまでに至った。

大人になり、様々なきっかけの中で、きっと多くの若者がかつて東京に憧れたのと同様に、そしてまったく逆に私は自然に憧れるようになった。渋谷も六本木も自由に歩ける私は、スキー板を履くとまっすぐ進むことさえできなかった。山に生えている、花屋で見かけない植物の名前をなにひとつ知らず、マウンテンバイクに乗ればすぐお尻が痛くなった。

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西アフリカ・ベナンに住み、仕事をしていた好美さん

自然の中で何もできない私にとって、自然の中で自由に動き回る人間は強くかっこよく思えた。

ノースフェイスやパタゴニアの服を買い、パンプスや厚底スニーカーを脱いだ。時間を見つけては山へいくようになった。恵比寿や代官山なら適当なTシャツでいけるのに、自然へいくときはなにを着て行こうか何日も悩む。緊張と共に早起きをして、少しでも雪が降るエリアならスノーブーツを履いて、警戒に警戒を重ねて出発する。山に登っても、海を眺めても、そこにあるのは刺激で、良くも悪くも落ち着くことはまだない。

それでも、多くの人がやがて都会へ溶け込んでいくように、私も最近は少しずつ自然に慣れてきた。寝袋を背負って少々難易度の高い山を登れるようになったし、スキーは中級コースぐらいならほんの少ししか怖がらずに滑れるようになった。キャンプに行けば自分でテントを立てられるようになった。それでもまだまだ、できることは米粒のようにほんのわずかで、できないことの方が圧倒的に多い。

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できないことだらけの居心地の悪さを刺激として楽しめるのは、わたしにふるさとがあるからだと、最近強く思う。

首都高で渋谷のセルリアンタワーを抜けたとき。池尻ジャンクションを降りて、山手通りに入ったとき。

私の脳裏には、変わらずそこにいるこの街の人たちが浮かぶ。
コーヒー屋さんのお姉さんの笑顔、手を振るバイク屋のおじちゃん、キッチンで手際よく料理をする母。

そしてようやく、緊張していた肩の力が解け、私はとてつもなく安心するのだ。
ただいま、中目黒。ここはどこにでもあるようで、どこにもない、「普通の街」だ。

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文/好美日奈子 
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

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Urban Story Lab.

まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。