駅境で会いましょう

〜洗足池駅・北千束駅・洗足駅。3つのセンゾクの境目はどこ?【後編】〜 駅境で会いましょう

Urban Story Lab.

2025/12/9

人にいろんな個性や特徴があるように、駅にも個性や特徴はあります。学生が多い駅や、親子連れが多い駅、サラリーマンが行き交う駅、大きな駅、古い駅、電車がたくさん停まる駅、静かな駅…そういった駅の個性は、街並みにも自然とあらわれるのではないでしょうか。

そして、そんな駅と駅の真ん中ぐらいには、どちらの駅でもなく、どちらの駅でもある、まるで海水と淡水が混ざり合った汽水湖のような「駅境」といえる場所が存在しているのではないか?

駅と駅のちょうど真ん中あたりはどうなっているのか、駅境を探してみたいと思います。

【前編】はこちら

西村まさゆき
ライター。移動好き。境界や境目がとても気になる。地理、歴史など社会科に関連する著書が多い。著書に『日本の路線図』(三才ブックス)/『たのしい路線図』(グラフィック社)/『ふしぎな県境』(中公新書)/『ファミマ入店音の正式なタイトルは大盛況に決まりました』(笠倉出版社)/『地図でめぐる日本の県境120』(イカロス出版)

【大井町線 北千束駅〜目黒線 洗足駅】北千束駅周辺を散策

名前にセンゾクを含む3駅の境目を探す旅。前回は「洗足池駅」(池上線)から「北千束駅」(大井町線)までを散策しました。後編ではさらに「洗足駅」(目黒線)まで歩き、駅境を味わいます。

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後編では、青エリアを歩きます/出典:国土地理院 地理院地図電子国土WEB(加工・編集済み)
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少し大きめのマンションなどもある

北千束駅から北に向かって、緩やかな坂を登っていきます。

北千束駅周辺も、前編で歩いた南千束の町と同じようにそこそこ大きな住宅が立ち並んでいますが、戸建てだけでなくマンションやアパートも目立ち始めました。これは、北千束駅周辺と洗足池周辺では用途地域が違っているからということになります。

洗足池駅周辺は第一種低層住居専用地域で、北千束駅周辺は第一種中高層住居専用地域となっています。

そんな北千束駅周辺ですが、昔はどんな様子だったのか、古い地図を見て見ましょう。

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現在の北千束駅の駅名が「いけつき」となっている/出典:今昔マップ(編集・加工済み)

北千束駅のところを見てみると「いけつき」となっています。実は、北千束駅が開業した1928(昭和3)年当時、駅名は池月駅でした。前編で発見した洗足池のほとりの名馬の名前が由来です。しかし、この池月駅は2年後の1930(昭和5)年には千束公園駅と改名されます。

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駅名が「せんぞくこうえん」となっている/出典:今昔マップ(編集・加工済み)

千束公園、つまり洗足池周辺の公園への最寄り駅…というつもりだったかもしれません。しかし近さでいうと、洗足池駅の方が公園に近い。なぜわざわざ千束公園駅を名乗ったのか。これは当時、洗足池駅が東急線ではなく池上電気鉄道の駅であったためでしょう。

池月という名馬伝説にちなむオシャレな駅名を命名したものの、千束公園への最寄り駅とは思ってもらえず、わずか2年でそのものズバリの駅名、千束公園を名付けた…というストーリーが、あったかどうかはわかりませんが、そういった経緯を想像してしまいます。

とはいえ、池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に吸収合併されますので、競合他社ではなくなるのですが、昔の駅名が今と違うのはそういった理由からでしょう。

洗足池は、現在ではボート乗り場がある程度ですが、かつては「チンカラ園」という遊園地があり、すべり台や動物園、そして公園にはピンポン台やローラースケート場、ブランコなどのアトラクションがあったといわれます。さらに、芝居小屋が来て喜劇を上演したり、池のボートはモーターボートで池を何周もできたようで、今とはかなり違った娯楽施設が揃っていたようです。

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昭和初期の洗足池の様子/池上町史編纂会『池上町史』より

【大井町線 北千束駅〜目黒線 洗足駅】目黒区洗足と大田区千束の境目とは?

さて、北千束駅がある大田区北千束と洗足駅がある目黒区洗足の境目を考える場合、複数の場所が考えられるかもしれません。

まずは環状七号線、通称「環七」です。

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環七。右側が北千束側、左側が洗足側

かなり大きな道ですが、洗足と北千束をわけるように通っていた細い道が、環七として整備されたのは、昔の地図を見比べるとおおよそ1950〜60年代のようです。

この環七沿線の商店などの町並みを挟んで、目黒区の洗足駅の方へ行ってみましょう。

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目黒区に入ると地名が洗足となる
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洗足駅こちらです

洗足駅前はスーパーや商店などが集中しており、ひっきりなしに人が行き交っているのですが、駅から少し歩くと、閑静な住宅街となります。

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洗足駅からすこし離れた住宅街

この小山七丁目交差点、このあたりがもう1つの境界といえるでしょう。というのも、上の写真に写っている交差点より奥が目黒区洗足で、交差点より手前が、品川区小山だからです。

目立つ境界ではありませんが、街路樹が目黒区側だけに植わっているのが、境界らしさを彷彿とさせます。さらに、この交差点から歩いて5分ほどの場所にある住宅街の路地に向かいます。

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北千束と洗足の境界はここ

そして環七の大通りから1本奥の道に「北千束」と「洗足」の境界がひっそりとあります。

千束と洗足の境目は、実質的な境界は環七。そして、行政界としての境界はこちらの区境…ということになるのかもしれません。

ちなみに、この洗足と北千束の境界から少し入った路地には、大田区北千束、目黒区洗足、品川区旗の台の三区境も存在しています。

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洗足と千束と旗の台が交わる場所

【目黒線 洗足駅】なぜ洗足池から離れているのに洗足なのか

さて、北千束と洗足の境目はこのように2つ存在したわけですが、ここで疑問に思うのは、なぜ、洗足池から離れた目黒区が「洗足」と名乗っているのか?

これは、かつての「洗足田園都市」の名残りといえます。洗足の町は、前回「田園調布」を巡った際にも触れた、田園都市株式会社によって開発されたまちだったのです。

田園都市株式会社は設立当初(1918(大正7)年ごろ)、田園調布(多摩川台)だけでなく、大岡山や洗足(当時は原や小山などと呼ばれていた場所)も合わせて3箇所の土地を大規模に買収し、開発を行っています。

田園都市株式会社は、区画した住宅地を「洗足田園都市」と名付け分譲し、都心(目黒駅)へ向かう電車も整備され駅も設置されました。それが「洗足駅」です。

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1958年ごろの洗足駅。まだ列車が地上を走っているが、1960年代に駅が地下化され、環七の踏切は無くなった
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1965年、洗足駅立体交差工事の様子

これは当時、洗足池にあった「郊外の風光明媚な行楽地」のイメージにあやかり命名したものでしょう。まだ池月駅(現北千束駅)や、洗足池駅が開業する前でした。

そして戦後、1968(昭和43)年には、その駅名にちなみ、駅周辺の住居表示が「洗足」となりました。つまり、目黒区洗足は、洗足田園都市の名前とそれに伴ってできた駅名が先にあり、それを由来として「洗足」という地名が後からつけられたのです。そのため、洗足池からは少し離れた場所に「洗足」の駅と地名が誕生した……というわけです。

【目黒線 洗足駅】“洗足”以前の様子はどうだったのか

そんな洗足駅から住宅街をしばらく北に歩くと、突然古い民家が見えてきます。

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宮野古民家自然園
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 民家の一軒家

こちらの古民家は宮野家屋敷といい、目黒区の指定有形文化財となっています。

武蔵野の雰囲気を残す屋敷林と共に、江戸時代(寛政期・1789〜1801年)に建てられたという母屋は、建てられた当時からその場所が変わっていない、移築されていない建物としてはかなり貴重なものです。実際、平成時代まで民家として人が住んでいました。

納屋には、明治大正頃から近代までの家具調度品や、品物が展示してあります。

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民具や家具などが展示されている
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洗濯板の横に、一槽式の洗濯機が
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ユニットバスの先祖のような桶の風呂

主屋も見学してみましょう。

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土間、板の間

土間、そして板張りの部屋で構成された昔の面影を残す主屋です。それがそのまま建築当時と同じ場所にあることが、すごいというほかありません。

この主屋が建てられた寛政期というと、今放送中の大河ドラマ『べらぼう』の時代とほぼ同じです。そこから幕末維新、関東大震災、太平洋戦争、高度成長期を経て平成、令和と今に至るまで残っているわけです。

ここで、洗足池のほとりに勝海舟が建てた洗足軒のことを思い出します。洗足軒は、おそらくこの一軒家とほぼ同じ雰囲気だったのではないか。そんな気がしました。

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前編に登場した洗足軒を思わせる

結局、3つのセンゾク駅の境界にはなにがあったのか

さて、ややこしい上に謎の多い「センゾク」でしたが、境界は一体どこにあったのか。

物理的な境界は環七。そして行政の境界としては、路地の中にあった区境…ということになるかもしれません。

しかし、野良の馬が徘徊するような武蔵野の原野が、湧水池にたまる水を利用して農地として開発され「千束」へ。そして、高級住宅街として開発されると「洗足」へと変わっていく。

空間的な境界だけでなく、時間的な変化もその名称に秘めているといえるかもしれません。そんな歴史の流れを感じさせる駅境でした。

参考資料
『池上町史』池上町史編纂会1932年
『江戸名所図会』斎藤月岑ほか(有朋堂書店版)1927年
『荏原名勝附地図』黒田壽太郎編1924年

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文/西村まさゆき
写真//Ban Yutaka
編集/菱山恵巳子

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