
東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。
第1回はライターのむらやまあきさんが、学芸大学駅をテーマにエッセイを執筆。東急線沿線に抱いていた憧れや、とあるきっかけで学芸大学駅に住むまで、そして住んでからのこと。
初めて学芸大学駅に降り立った日の思い出から、いまや日常の一部となった街の温かさまでを綴ったエッセイをお楽しみください。
むらやまあき
1995年長野生まれ。フリーランスのライター・編集者。インタビュー記事やエッセイの執筆のほか、演劇作品の公式パンフレットの編集も行う。2025年4月に私家本『耳たぶをなでる』を刊行。
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「ソフトクリーム嫌いじゃない?」
「大好き!なんで?」
「好きなチーズケーキ屋さんがコンビニとコラボしてソフトクリームを出すらしくて、一緒に食べたいと思って……」
「最高! 発売日に食べたいね」
初めて学芸大学を訪れたのは、2020年の冬のことだった。
新発売のソフトクリームを口実に、付き合ったばかりの恋人の家に初めて遊びに行くことになったあの日。私は丸の内線と副都心線(東横線直通)を乗り継いで、学大の街に降り立った。
当時、この街について知っていることといえば、かつて13個上の兄が東京赴任の際に住んでいたということ、そして駅名の由来になった「東京学芸大学」はここには存在しないこと、くらいである。
その日は、「鳩乃湯」という銭湯みたいな名前のこじゃれた居酒屋さんで、人生初のふぐのひれ酒を飲み、「ぽかぽかランド鷹番の湯」でゆるりと銭湯に入ったあと、例のソフトクリームを買うためにコンビニに寄った。しかし最初に入った店舗は、まさかの売り切れ。
「やっぱり人気なんだねえ」としょんぼりしつつ、もうひとつのコンビニをはしごして、残り数個だったソフトクリームをどうにかゲットした。
のちのち、「売り切れていたら悲しいから、本当はお昼に買っておいたんだよね」と、食べたのと同じソフトクリームを2個差し出しながら言われたときは、「この人はたぶん、いい人なんだろうな」と思ったことを、ぼんやりと覚えている。
このときはまだ、自分も学大で暮らすことになるとは、ほとんど想像すらしていなかった。
上京6年目、まだ知らない東京に出会う

それ以来、私は週末になるとたまに学大の街に遊びに行くようになった。何度か足を運ぶうちに思ったのは、どうやらこの街はちょっとおしゃれっぽいのかもしれないぞ、ということ。まず、歩いている人の雰囲気がおしゃれなのだ。
代官山のようなぱりっとした緊張感とはまた違う、力が抜けていて余裕のある感じ。平日の昼間でも私服の人がほとんどで、まだ明るいうちからテラス席でクラフトビールを楽しむ人がいるのも、この街では珍しくない光景だ。カフェでは、モデルのような外国人カップルが楽しそうに談笑していたりする。
そして、おしゃれな個人店も多い。学大は駅を挟んで、東にも西にも商店街が広がっている。チェーン店に負けじと、個人で経営する魅力的な飲食店や古着屋、書店などが立ち並ぶ。
ワインバーやクラフトビール専門店、タイ料理、スパイスカレー、ドーナツ、ネオ居酒屋、ビストロ……。飲食店のラインアップだけでも、当時一人暮らしをしていた東高円寺とは全然違う。やきとんとレモンサワーが好きで、高円寺や吉祥寺の赤提灯のお店を好んで通っていた私には、この街は眩しく見えた。
「目黒区ってこんな感じなのか……」
このとき、地元の長野から上京してすでに6年。板橋区、杉並区と経て、もうすっかり都会に慣れたつもりだったけれど、まだまだ知らない東京があるのだと知った。
近くて古い2DKからはじまった暮らし

2022年秋、「長野の田舎者には肩身が狭いぞ……」なんて思っていたきらきら目黒区・学大エリアに、私は引っ越してくることになった。理由は、「いろいろな偶然が重なったから」というほかない。
恋人と付き合ってすぐにフリーランスのライターとして独立した私は、編集者の先輩から下北沢に新しくできるシェアハウスに一緒に入居しないかと誘われていた。「エディター」として住みながら暮らしを発信する、半分仕事のような案件で、期間は1年限定。さんざん悩んだ末に、東高円寺を離れることに決めた。
一方、彼はべつの街で友人とルームシェアをする予定が、諸事情があり断念。引き続き、学大に住みつづけていた。そこで、私のシェアハウス生活が終了する1年後に同棲をしないかと提案してきたのだ。
1年後に家を失うことが確定している私にとっては、ありがたい誘いだった。いろいろ検討した末に、学大エリアに絞って探すことにしたのは、彼の職場が近かったというのが一番大きい。
基本的に私は働く場所を問わないし、取材に出ることを考えても、渋谷まで4駅、急行を使えば2駅で辿り着くアクセスの良さは魅力的だった。それに、1回くらい目黒区に住むという経験をしてみてもいいか、という気持ちも少しはあったと思う。(やっぱりおしゃれだから!)
友人が働く下北沢の不動産屋さんに協力してもらい、どうにか辿り着いた駅近の2DK。学大エリアの相場にしては安いぶん、築年数も見た目もだいぶ古い。けれど、ここで暮らすイメージが自然と湧いたのが最終的な決め手になった。
おしゃれで懐かしい。古きと新しきが混在する街

こうして私は、学芸大学在住・東横線ユーザーになったわけだけれど、住んでからわかったのは、この街は結構バランスがいいということ。
いわゆる“洗練されたおしゃれタウン”というわけではなく、古さと新しさが絶妙に混ざり合っているのだ。ノスタルジックな昭和の蕎麦屋やおでん屋もあれば、若い店主がひとりで営む喫茶店や、若者や外国人で賑わうおしゃれなビアバーもある、といったように。
飲食店が密集する「学大十字街」にしても、新旧さまざま。若者で賑わうネオ酒場と庶民的なお好み焼き屋さんが隣り合っていたり、デートに使われるようなおしゃれ焼き鳥屋の横からは、昔ながらのカラオケスナックで歌うおじちゃんの声が聴こえてきたりする。
ちょっと特別な日においしいものを食べること。インプットを得るために選書の面白い書店に行くこと。久々に会う友人におしゃれな手土産を買うこと。大きな公園でのんびりとくつろいだり、ボートを楽しんだりすること。
わざわざ電車に乗って出掛けずとも、この街ではどれも徒歩10分圏内で十分に叶う。
気づいたら街に入り込んでいた

なんとなく辿り着いた学大だけど、住み始めてから嬉しい誤算もいくつかあった。まずひとつは、街の仕事ができたこと。
まったく知らなかったが、学芸大学駅の高架下はリニューアルが決まっていて、2021年から「みんなでつくる学大高架下プロジェクト」なるものがスタートしていた。
“学大が好き”という共通項で集まった地域住民、お店、クリエイターたちが、この街の未来について語り合ったり、学大に縁のあるクリエイターだけでフリーペーパーをつくったり、公園でイベントを開催したりと、なんだかめちゃくちゃ楽しそうな動きがちょうど盛り上がってきたタイミングに、私は運よく引っ越してきたらしい。
1週間後には、ブックイベントの運営を手伝うことになり、街のキーマン(編集者)にも繋いでもらった。そして、あれよあれよと言う間に、ライターとしてフリーペーパーに参加したり、お店の取材記事やイベントレポートを書かせてもらったりするようになった。

もうひとつの嬉しい誤算は、近所に気の合う友達ができたこと。上京して以来、自分の住んでいる街で友達ができたのは、シェアハウスを除いて、たぶん初めてだと思う。
私よりも10歳くらい上の方々が多い学大で、同年代の仲間ができたのはとても嬉しいことだった。街中でたまたますれ違って「おお〜! お疲れさま!」と挨拶したり、「今暇じゃない?」と誘い合えるくらいの距離感。
「学大に住んでよかったな」と思う瞬間はいろいろあるけれど、結局のところ、こういうつながりができたことが一番かもしれない。
好きだけど、きっといつかは離れる

気づけば、この街に来て3年目に突入した。ついに高架下でもリニューアルが始まり、新しいお店が続々とオープンしている。そうしたお店の取材に呼んでもらっては、記事を書く。「めちゃくちゃよかった!」「お店の◯◯さんもすごく喜んでたよ」と言ってもらえると嬉しいし、そのたびに「この街で生きているなあ」と思ったりする。
たぶん私はもう、2年早くこの街に住んでいた恋人より学大に詳しい。そういえば、恋人も今では夫に変わった。目黒区で婚姻届を出し、変わらず古い2DKでふたりで暮らしている。
いろいろな人に話を聞いて感じるのは、学大が本当に好きで、街の未来を大切に考えている人がとても多いこと。在住歴10年越えの人が、大げさではなくめちゃくちゃいること。みんな余裕があって、人生を大いに楽しんでいること。
街について知れば知るほど、いいところだなあと心から思う。暮らしてみなきゃわからなかったこともたくさんある。一方で、やっぱり今の自分は、この街に似合わないなあとも感じている。「学大に住んでいます」とすました顔で言いつつも、足元は爪先立ちで背伸びをしているような、そんな感覚。

もうすぐ29歳。フリーランス生活も5年目に突入するけれど、一向に落ち着く気配はないし、締切に追われて日々呼吸を浅くしながら、どうにか生きている。本当は好きなときに街に繰り出して、好きなだけおいしいものを食べたいけれど、そんな贅沢ができるわけでもない。
特別なときは別として、1杯1,200円のクラフトビールを飲むなら、400円のレモンサワーを3杯飲みたいといまだに思ってしまう私は、余裕のある大人にはまだまだ程遠い。(さいわい、夫も同じタイプ)
2年暮らしてみても、やっぱり私の中で学大は、眩しい存在なのかもしれない。おしゃれでセンスがよくて、そのくせ親しみやすさもあって、たまに遊びに誘ってくれたら嬉しい先輩、みたいな。そうはなれそうにない私たちはたぶん、そのうち学大を離れるんだろうなと思う。犬も飼いたいし。
でもいつかその日が来たとしても、この街が好きなことには変わりないし、学大の明るい未来を願いつづけている。やっぱり、憧れの先輩にはずっとかっこいいままでいてほしい。そんなふうに思わせてくれる魅力が、やっぱりこの街にはあるのだ。
だからこそ、街のために自分にできることはやりますよ! という気持ちで腕まくりをしながら、今日も私は学大で生きている。
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文/むらやまあき
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)
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Urban Story Lab.
まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。