パン屋さんに入ったときにフワッと香る、甘くて香ばしい幸せな匂い。高揚感に包まれながら、たくさんのパンを前に「どのパンにしようかな」と、トングを持つ手もカチカチと踊る。
エッセイストの藤岡みなみさんが東急線沿線の一駅を歩き、パン屋さんを巡るこの企画。
3回目の舞台は二子新地。街歩きの中で感じた出会いや、話題のパン屋さん「ブレッドボックス」で感じたときめき、味わいをレポートしていきます。
藤岡みなみ
1988年生まれの文筆家。ラジオパーソナリティとしても10年以上活動するほか、ドキュメンタリー映画のプロデューサーなども務める。時間SFと縄文時代が好きで、読書や遺跡巡りって現実にある時間旅行では? と思い、2019年にタイムトラベル専門書店utoutoを開始。時間をテーマにしたイベントや書籍を制作している。著書にエッセイ集『パンダのうんこはいい匂い』、『藤岡みなみの穴場ハンターが行く! In 北海道』、『ふやすミニマリスト』などがある。学生時代パン屋さんでアルバイトをしていた。
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Instagram:https://www.instagram.com/fujiokaminami/
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のんびりパンを食べたい場所、個人的ランキング第1位は大きな川のそば。
多摩川河川敷にもほど近い二子新地駅にやってきた。
初めて降りる駅。
でもパン屋さんを目指して歩くと、不思議と場所見知りしない。
その街のパン屋さんに行くって、とっても親しみ深い行為だ。
地元の人ですよ〜という顔で歩く。
改札を出るとすぐにおいしそうなカレーの匂いがした。近くにインド料理店があるみたい。
今日はカレーパンを買うぞと心に決めた。
おおっと、インド料理屋さんだけじゃなくて
他にもおいしそうなアジア料理店がたくさん。
しかもなんかかわいい。
かわいい店がちらほらある。
かわいいでしょ〜!って自慢してる感じじゃなくて、
かわいさが滲み出ちゃってる系のお店。
愛らしい街だなぁ、二子新地。
5分歩いただけで、次に来た時に絶対行きたいお店がどんどんできてしまった。
散歩は街との約束を増やす。
今日の目的地が見えてきた!
なんとこちらのお店にはとっておきの秘密がある。
人気のパン屋さん「サンジェルマン」の工場で規格外や生産過剰となったパンを取り扱う、アウトレット店なのだ。
フードロス削減のため、関東近県に3店舗展開しているとのこと。
通常よりかなりお得なお値段でパンを買うことができちゃいます。
ありがたすぎる。
売られているパンはすべて袋詰めされているため、トングはなし。
今日も心のトングをカチカチ鳴らしながらパンを選ぶぞ〜。
お店にはお客さんがひっきりなしに訪れている。
常連さんらしき人たちは、迷わずトレイではなくカゴを手に取る。
モリモリ買う気満々だ!それを見て私もスイッチが入った。
飛ぶように売れていくパン。
店員さんが忙しそうに動き回り、どんどん補充してくれる。
ぜーんぶ安くて目移りしちゃう!
100円以下、しかも税込ってすさまじい。
人気ナンバー1は「エクセルブラン」という食パン。
ナンバー2は「シェフのカレーパン」らしい。
おおカレーパン!改札を降りた瞬間から絶対食べると決めていたよ。
バターチキンカレーパンも買う。
欲しいと思ったら躊躇なく買えるお値段。
いまほど物価高になる前の世の中にタイムスリップしたみたい。
それにしても、ちょっと欲張りすぎたか……?
あー、ほくほく。
これって新しいストレス解消法かもしれない。
むしゃくしゃした時は、ブレッドボックスで思う存分パンを買う。
夢をかなえてくださりありがとうございます。
夢(パン)がいっぱいつまったビニール袋を片手に散歩を再開。
すると突如、鳥居があらわれた。
思わずくぐって進んでみると……二子神社ですって。
そして右手を見ると……
えええ。
広い空にまっすぐ伸びるオブジェ。ここだけ空気が違う。
圧倒されながら説明を読むとこれは岡本太郎の作品で、母・岡本かの子に捧げた記念碑だという。
オブジェの前は広場になっている。
ここでパンを食べたい!
この場所に似合うパンってどれだろう。
「クランベリーショコラ」。
今食べるべきパンはこれな気がする。直感。
かたいパンって大好き。意志の強いパン。
チョコ生地にクランベリーとオレンジピールが練り込まれていて、洗練されたおしゃれな味。
言葉にできない芸術の複雑性ともシンクロする。
記念碑の名前は「誇り」。
たしかに白鳥のようで雷のようでもある白いオブジェからは、品格や誇り高さを感じる。見ていて背筋が伸びる。
歌人・小説家・仏教研究家などとして活躍した岡本かの子。川端康成の指導を受け、49歳で亡くなる数年前には小説を次々発表していたという。
息子から見てもかっこいい母だったということかな。
ふいに現れた芸術作品に心を洗われつつ、境内をまっすぐ抜けると
そこはもう多摩川河川敷なのだった。
ひゃ〜
開放的な場所に来るとますます浄化される。
岡本かの子も愛した多摩川のほとり。
ここでやりたいことは、パンパーティ。
だだっ広い河川敷でパンを食べる。この世の幸せはここにすべてある。
人生で最も大切なことは成功でも富でもない。
散歩とパンなのだ。
ぶたの鼻のような形をした「ぶたパン」、豚肉がやわらかくて私のほっぺたも柔らかくなる。
「皮付きおさつバター」は、練り込まれたさつまいも餡とちょうどいいタイミングで会えるのがうれしい。
カマンベールが香る「とろ〜りチーズパン」は、まろやかだけど力強い。
そして楽しみにしていた「シェフのカレーパン」。たしかにこれはただのカレーパンじゃない、シェフのカレーパンだ。ピリ辛でクセになる。「バターチキンカレーパン」も甘くてコクが想像していたより2段階くらい深い。次も絶対これ買う!
最後はシュガーコーティングされたドーナツで童心にかえる。
砂糖の歯触りの向こうにあるじゅわっとした甘みに思いっきり甘えたい。おかあさーん。
あれ?
そういえばこれのどこが、規格外なんだろう。
どのパンも美しくて美味しくて、アウトレット品とは全く思えない。
パンの誇りを全く失っていないのだ。
秀逸なパンと、立派な文学碑、圧巻の景色。品格があり輝かしい。
のんびり歩いて食べているだけの私。
だけどこんないい1日を過ごせた自分のことだって、誇らしく思えてくるのだった。
<取材協力>
BREAD BOX ブレッドボックス 二子新地店
住所/神奈川県川崎市高津区二子1-10-1
電話番号/044-712-0112
営業時間/10:00〜16:00
定休日/なし(1月1日~1月3日は休み)
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文・写真/藤岡みなみ
編集/ヒャクマンボルト
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Urban Story Lab.
まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。