あの駅で降りたら vol.14

「自由が丘では、安心して自分の名前を手放せる」あの駅で降りたら|文・藤井そのこ

Urban Story Lab.

2026/2/24

東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。

今回は、ライターの藤井そのこさんが、自由が丘駅をテーマに執筆します。

かつては新生活のために少し背伸びをして家具を選んだり、ライターとして仕事で駆け回ったりした街、自由が丘。
当時は「何者か」になろうと必死で、街の風景に複雑な思いを抱くこともあったといいます。
けれど、母として生活の一部をこの街で過ごすようになった今、かつての緊張感は消えていました。肩書きや名前といった「鎧」を脱ぎ、ただの母として街に溶け込む心地よさと、その変化について綴ります。

藤井そのこ(ふじい そのこ)
1984年福島県いわき市生まれ。大学卒業後アパレル業界を経て、2014年にライターへ転身。インタビュー、ライフスタイルの取材・執筆をおこなう。歌人・服部真里子『あなたとわたしの短歌教室』(山川出版社)では、編集協力・生徒役として参加。その取材はすべて、自由が丘の「マイアミガーデン」でおこなった。短歌が趣味。一児の母。
Instagram:https://www.instagram.com/fujii_sonoko/

上京。「アド街」に導かれて

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上京するまでの間、かなりのテレビっ子だった。
生まれ育った福島県いわき市では、当時「テレビ東京」が鮮明に映らなかったため、オーディション番組『ASAYAN』を見るために砂嵐のなか目を皿にした。同じようにして、もうひとつ見ていた番組がある。まちやエリアを切り口に見所をランキング形式で紹介する『出没!アド街ック天国』(以下、アド街)だ。東京に憧れていた私は、原宿でも渋谷でも代官山でもないまちを知れることにワクワクした。生意気にも「アド街のランキングは信頼できる」と感じていたように思う。なぜなら、映る料理がおいしそうだし、取材される人たちがめっちゃ嬉しそうだから。すべてのランキングは道標としてありがたい。一歩目を踏み出す“いい感じ”の風向きを示し、まずは行ってみるという気持ちにさせてくれる。

18歳、上京するにあたり家を探すことになった。もちろん参考にしたのは、アド街の記憶の断片&なにかで見た「住みたい街ランキング」である。大学は西荻窪にあった。そこで当時、住みたい街ランキング1位に君臨し、PARCOとカフェがある吉祥寺で東京暮らしをスタートさせた。けれど……バイト帰りの露出狂出没により、吉祥寺暮らしは3年で終了。アド街と犬猫ちゃん以外が出没するなよ。その後は武蔵関駅、結婚後に浅草駅へと移り住む。

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東京暮らし8年目、東横線・学芸大学駅へ引っ越すことにした。住みたいマンションがあったことが一番の理由だが、私たちの生活には利便性が必要だと気づいたこと、私自身が会社員からフリーのライターへの足掛かりを得られたことも背中を押した。

東横線沿いに住んでみたかった。アド街が教えてくれたように、電車に乗ってわざわざ足を運びたい店もあれば、商店街もあるユニークなまちが多いからだ。自分の住むまちに、特別と日常がどちらもあるなんて素敵。それに自転車でどこへでも行ける。正確には “あえて自転車で行きたい”という感じ。新しい古着屋ができたことも、ハンバーガー屋が改装することも、たいてい自転車に乗っているときに知る。楽しい。気持ちいい。行動範囲が広がっていく。そんな理由で、今も東横線沿いに暮らしている。

自由が丘で未来への妄想をふくらませていた

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自由が丘を初めてしっかり歩いたのは、学芸大学駅へ越してからだった。
新居に合う家具を探すためだ。「IDÉE(イデー)」で家具の目星をつけ、4階にあったBAKE SHOPで四角いキッシュを食べる。古書棚で見つけた長田弘の『深呼吸の必要』は今でもたまに読み返すし、そのときに買った紫色の一人がけソファは、14年経った今も愛用している。それまで、ほとんど訪れたことがなかった自由が丘でちょっと背伸びして、未来への妄想をふくらませた。

ほぼ同時期、ライターとしてさまざまなまちを駆け回っていた。自由が丘が、お母さんの集うまちだとこのとき初めて認識する。私が携わることになったのは、主に子育て中の女性が読む雑誌で、誌面づくりに協力してくれる素敵な読者さんを探すことが最初の使命。毎日のように六本木、表参道、二子玉川、自由が丘などのまちを訪れては声をかけ、名刺を差し出した。不審者がられないか心配だったが、お母さんたちはみんな耳を傾けてくれ、その優しさのおかげで今に繋がるたくさんの経験をさせてもらえた。

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数年後、読者さんに話を聞くために、以前にも増して頻繁に自由が丘を訪れるようになっていた。お子さんの習いごとの合間に時間をもらったりして。私は不妊治療を始めた頃で、このあと3年半にわたり治療が続くなんて思いもせず、“子どもが生まれたら自由が丘に通うようになるのかなあ”なんて、ぼんやり考えていた。自由が丘との距離は近くなる一方、うらやましさもどかしさも仕事への熱意も含んだ、複雑な気持ちを抱えていたように思う。

安心して自分の名前を手放せる居場所

2022年、私は母になった。
ここまでの間に都立大学に住まいを移し、1駅ぶん自由が丘に近づいている。息子が1歳の秋だったろうか、ピーコックストア自由が丘店の跡地に商業施設「de aone(デュ アオーネ)」ができた。まじで「心強い」の一言に尽きる。気の利いたキッチン用品が見つかるAKOMEYA、子どもも一緒に行ける鼎泰豊、ウッドデッキが敷き詰められた屋上テラスも本当にありがたかった。休日、歩き始めたばかりの息子を放ち、駒沢公園とde aoneのデュアルライフを送ったのも懐かしい。今、駅ビルや商業施設をおとずれるたびに心からほっとしている自分がいる。

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仕事面では2025年末、歌人・服部真里子さんの著書『あなたとわたしの短歌教室』(山川出版社)に編集協力として携わらせていただいた。その取材のすべてを、自由が丘駅前にあるピザとパスタの店「マイアミガーデン」でおこなっている。服部さん、編集の平井さんと人生の大事な部分をやりとりした時間は忘れられない。服部さんの言葉は、読者のすべてを肯定してくれるはずだ。私もそうしてもらったように。

そして、息子は3歳になった。

毎週木曜日、習いごとのために電動自転車を走らせ自由が丘を訪れている。昨日自転車を漕ぎながら、私が息子を生かさなければと必死だった日々は過ぎたんだと思った。親がやらせようと決めた習いごとなんて息子自身は気分がのらない日もあるし、駐輪場の近くに「おもちゃのマミー」があればトミカを買いに寄りたいに決まっている。3歳から放たれるまっすぐな意志に揺さぶられ、おいおい勘弁してよと毎週思う。

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乳幼児期はあったかもしれない手綱が、あたり前だけど今はもうない。というか、そんなものは最初からなかった。母になった自分が自由が丘のまちへ溶け出していく。輪郭がなくなる。だけど、それでいい。
かつていろいろな気持ちを抱えていた自由が丘だからこそ、今、喜んで自分であること、自分の名前を手放せる。『誰かのお母さん』という匿名の存在に埋没できるのだ。

憧れのまちで肩肘の張る日々はもう終わって、今はただ、このまちの雑踏に紛れることが心地いい。名前を手放し、役割に溶け込むたびに、私はもっとも純粋な「私」を確認する。住むことはないかもしれないけれど、居場所であることは揺るがない。

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文/藤井そのこ
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

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まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。

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