
東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。
今回は編集者・書店経営者の小谷輝之さんが、石川台駅をテーマに執筆。
上京後、いくつかの土地での暮らし、そして仕事や生活スタイルの変化を経て、気がつけば石川台という場所に住み続けて15年。“何もない”と感じるというこのまちに、小谷さんがいまも暮らす理由とは?そこにある愛着、共感とは?
石川台駅についてのエッセイをぜひお楽しみください。
小谷輝之
出版社勤務を経て、2022年4月、東京・梅屋敷に新刊書店「葉々社」を開業。本屋を運営しながら出版も行っており、これまでに『平岡瞳 卓上カレンダー2023』『ねこと一緒に、今日もいい日。』『ウネさんの抱擁』『日常の言葉たち』『私的な書店─たったひとりのための本屋─』『「好き」な気持ちが私たちを救う』『ウォートン怪談集』『ロングパドル人間模様』『アンナ・リーサ』を出版。著書は『本をともす』(時事通信出版局)
Instagram:https://www.instagram.com/youyousha_books/
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大阪から東京に出てきて30年。大阪には23歳までしかいなかったので、東京での生活のほうが長いことになる。20代、30代のころは目の前にそびえる高い山のような膨大な仕事をただひたすら、こなすことに必死だったため、時間の経過が早いとか遅いとか、そんなことを気にする余裕もなかった。
新卒で入社した会社はテレビ雑誌を発行している出版社で、在職中はずっと編集の仕事に携わっていた。週刊誌のため毎週必ず入稿と校了があり、毎日何かしらの締切があった。とにかく忙しかった。

いま暮らしている東京・大田区の石川台にたどり着くまで、4回の引っ越しを経験した。東京・練馬から神奈川・藤沢本町、藤沢本町から南藤沢、南藤沢から東京・石川台、石川台から石川台へ。それぞれの居住年数は、2年、7年、6年、15年。石川台には東日本大震災のあった2011年に越してきたため、15年の歳月が過ぎ去ったことになる。これほど長くこのまちで暮らすことになるとは、当初は予想もしていなかったが、あらためて考えてみると、なぜ、私はこのまちにこれだけ長く暮らしているのだろうか。

初めてのひとり暮らしは、東京・練馬の武蔵関からスタートした。土地勘もなかったため、家探しは大学の先輩に相談し、先輩の家と同じ沿線の場所を選んだ。家の近所にはあちらこちらに畑があり、無人の野菜販売所が点在している、のどかな景色が広がっていた。2階建てのなんの個性もない、どこにでもあるようなアパート。その家が私の東京生活の拠点となった。
子どものころから本が好きだったことに加えて、編集という仕事柄、取材や記事制作のための資料も多く、6畳ひと間の部屋はあっという間に本だらけになった。結局、一度も契約を更新することもなく、もっと広い部屋で暮らしたい気持ちと、江ノ島の近くで暮らしたい気持ちが合わさり、神奈川県の藤沢市への引っ越しを決断した。
藤沢の部屋はとても広かった。家の目の前には芝生の空き地があり、時折、子どもたちが遊んでいる声が聞こえてきて、近くの引地川沿いには桜並木があり、春には花見を楽しんだ。通勤には片道90分程度かかっていたのだが、時間それ自体はそれほど苦痛ではなかった。通勤時間中は、電車のなかで本を読んだり、物事を考えるための時間に充てることができていたので、長時間の通勤時間は、むしろいい方向に作用していた。
そんななか、2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生。当時の南藤沢の自宅は、上階からの雨漏りが激しくなり、継続して住めない状態になってしまった。

次の引っ越し先を検討するにあたり、優先した項目は、交通の便がいいことだった。とくに旅が好きな私にとっては、新幹線に乗りやすく、空港までのアクセスがしやすいまちが理想的だった。池上線は、その希望をかなえてくれる路線で、品川駅にも羽田空港にも短時間でアプローチできる。そんな理由のみで、なんとなくたどり着いたのが、石川台というまちだった。

石川台で最初に暮らしたマンションは築年数が古く、夏は暑くて冬は寒い家だった。ただ、4階の窓から東雪谷方面に広がる平和な景色を眺めるときだけは、この家を選んでよかったなと思える瞬間だった。
石川台は"ない"まちである。

希望ヶ丘商店街という名のメインストリートがあるけれど、落ち着いている。コンビニと郵便局とドラッグストアと歯医者とスーパー。あとは何だっけ。これだけ長く暮らしているまちなのに行きつけの店もほぼない。
本屋があれば足繁く通うのだが、駅前に存在した昔ながらの本屋はつい最近閉店してしまった。唯一、定期的に通っているのは住宅街に突然現れる「タバネルブックス」だけだ。チェコやフランス、イタリアなど、ヨーロッパの国々の絵本を中心にして独自に仕入れを行い、唯一無二の存在感を放っているこの店の店主に会いに行く。顔を見るだけで安心できる場所が自分の住むまちにあることは、心の安定にもつながる。

ちょっとにぎやかな場所を必要としたときは、隣駅の雪が谷大塚に行く。ここは小売の商店も多く、活気がある。もうひとつの隣駅は洗足池だ。駅前には文字通り池が広がり、黄色いくちばしのスワンボートが浮いている。ちなみに私は、まだ一度もボートには乗ったことがない。

加齢と正比例するように物欲がどんどんなくなり、本屋と出版社を運営しながら生計を立てているいまは、本と旅が生きがいだ。編集者時代は、仕事と本はそれぞれ別の存在で、両者のあいだには明確な区切り線が引かれていたが、現在はその区切り線が取り除かれ、仕事と本の境目がきわめて曖昧になった。以前は本を買うために仕事をしていたのが、いまは本を買うことが仕事になってしまった。
たまにオンラインショッピングでもしてみようかと、サイトにアクセスするものの、欲しいものが見つからない。洋服も靴もカバンも基本的にはダメになるまで同じものを使用し続けるため、買い替えまでの期間が異常に長いのだ。たまに仕事のギャランティとしてアマゾンギフトカードをもらうこともあるが、金額を使い切るまでに時間がかかる。欲しいものがないからだ。自分のための何かにお金を使えばいいのにと、自分でも思うときがときどきあるのだが、欲しいものがないのだからどうしようもない。
2022年4月に書店「葉々社」を開業するにあたり、どうあがいたところでお金が儲かることはないだろうなと思っていた。ただ、お金の面はそれほど大きな心配事ではなかった。なぜなら、お金のために本屋と出版社を始めたわけではないからだ。生活はもともとが質素なものだったので、現状維持ができれば十分であると考えていた。

石川台は"ない"まちである。
住み始めてから15年が経ったいま、そう思う。
けれど、それがいいのではないかと最近感じている。

刺激や雑音が少なく、帰宅するとほっとひと息つけるような安らぎの場所。人混みにイライラすることもなければ、人気店の行列に並ぶこともない。不必要なものを買わされる誘惑もないし、夜中までネオンがギラついて心を乱されることもない。そういう性格のまちだからこそ、そこで暮らす人々もまた落ち着いた心持ちで日々の生活を穏やかに営むことができているのではないだろうか。もちろん、私もそのうちのひとりだ。


何もないように感じるけど、実際にはあるのかもしれない。心の安定をもたらす居心地の良さは、目には見えないものだから。信号待ちをしているときに交差点の向こう側に広がる茜色の夕焼けや、春の陽気な雰囲気を演出する呑川沿いの桜並木、自転車で本屋に通勤しているときに鼻腔をくすぐる金木犀の甘い香り。これらは私にとって、これからの人生をこのまちとともに歩んでいくうえで欠かせない存在だ。

石川台は、まちがこちら側に過度に主張してこなくて、選択肢はつねにこちらが握っているような場所であると感じている。
この感覚は、何かに似ているなと思ったら、本屋を開業するにあたり、私が大事にしようと決めたことと同じだった。
“本がお客さんに対して過度に主張せず、お客さんのほうがつねに選べる状態に店を整えておくこと”
“ない”からこそ、私はこのまちが好きなのだ。
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文・写真/小谷輝之(葉々社)
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Urban Story Lab.
まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。







