
東急線沿線のまちは、そこに暮らす人や訪れる人の数だけ、さまざまな表情を見せてくれます。今回登場するのはトンツカタン森本さん。学生時代を過ごした二子玉川駅での日々を振り返りながら、エッセイで綴っていただきました。思い出の地での撮り下ろし写真とともにお楽しみください。
トンツカタン森本さん
1990年、東京都出身。プロダクション人力舎のお笑い養成所・スクールJCA21期を経て卒業後、同事務所に所属。バラエティー番組での MCやゲスト、ラジオのパーソナリティー、雑誌でのコラム連載などマルチに活躍。自身のYouTubeチャンネル「タイマン森本」も好評。著書に『ツッコミのお作法―ちょっとだけ話しやすくなる50のやり方』(KADOKAWA)。
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初めて電車で登校したのは小学校4年生の時だった。
僕が通っていた学校は、二子玉川にある幼小中高一貫の男子校のインターナショナルスクールで、駅からすこし歩くと現れる、アスリートが過酷な走り込みをする時に使うような傾斜の坂道を登った先にある。
それまでは学校から出ているスクールバスで通学をしていたのだが、同級生たちが続々と電車通学に切り替えていき、さすがにタイムリミットが来たと観念したかたちで“卒バス”をした。
ただ座っていればよかったバスに比べて快適さは雲泥の差だったし、高校卒業までこのハードな通学路が待ち構えていると思うと気が遠くなった。が、それと同時に大人への第一歩を踏み出せた気がして、乳酸の溜まった足の感覚さえ誇らしかったのを覚えている。

初めは駅と学校の往復をするのみだったが、月日が経つにつれ、徐々に行動範囲が広がっていった。放課後に河川敷で多摩川をぼーっと眺めながらなにをするでもない時間を過ごしたり、駅前のファストフード店でトランプの大貧民をやりすぎて怒られたり、隠れ家的なクレープ屋さんに足繁く通った結果、若くしてシュガーバターの美味しさに気付いたりと、アフタースクールの二子玉川をこれでもかというくらい満喫した自信がある。
すこし大貧民にお熱だった時期があること以外は、我ながら穏やかな学校生活を送っていたのだが、唯一にして最大のヤンチャをしたのが高校3年生の春だった。その日の午前中、いつも妙に情報通なクラスメイトのひとりが「おいみんな、今日の昼過ぎに近くの河川敷でルーキーズ撮るらしいぞ!」と、当時放送されていた二子玉川が舞台の学園ドラマ『ROOKIES』の撮影があることを教えてくれた。

こんな滅多にない大チャンス、見に行くほかないと思ったが、どうしても授業を抜け出さなきゃいけない時間だ。周りの同級生たちが続々とサボることを表明していく中、持ち前の「とにかく角が立たないように日々を過ごす」という、のちに芸人になるとは思えないポリシーを持つ僕が日和っているのを見かねた友人が、背中を押してくれたおかげで決心がついた。
こうして僕らはよりによって道徳の授業をサボり、ロケ地の多摩川緑地で佐藤隆太さんと市原隼人さんを肉眼で見ることができた。その後こっぴどく怒られるんだろうなとビクビクしながら学校に戻ると、意外にもなんのお咎めもなかった。高3にもなって道徳をサボるような連中に、かける言葉もなかったのだろう。

あっという間に小学4年生から高校3年生までという、当時は永遠にも思えた8年間が、愛おしい思い出たちと引き換えにあっけなく過ぎ去っていった。案の定、学校を卒業してから二子玉川に行くことはなくなった。運命がそれを避けているかのようにめっきりと。

それから15年の月日が経ち、そんなことさえ忘れていた2023年のこと。事務所の大先輩、おぎやはぎ矢作さんが息子さんを僕と同じ学校に入れたいと言ってくださり、校内を見学できるスクールツアーを予約したと教えてくれた。そして続けざまに「でも仕事でどうしても行けなくなってさ、代わりに奥さんと森本で行ってきてくんない?」と聞かれたので、二つ返事で引き受けた。思いがけぬかたちで母校を訪問する予定ができた。
そして迎えた当日、渋谷駅からひさしぶりに田園都市線に乗り込んだ。そのまま用賀駅までは地下区間なのだが、次の二子玉川駅に着く少し前からトンネルを抜けて地上に切り替わる。わざとらしいくらいの晴天からくる強い日差しが車内に差し込んだ瞬間にすこしだけ早まった鼓動は、初めてこの景色を見た小学4年生の時とよく似ていた。
駅に到着し、あの頃の面影を残したホームから改札を抜けると、見知らぬ光景が広がっていた。というのも、僕が足を運んでいなかった期間に二子玉川駅は大規模な再開発を経て様変わりしていたのである。作りはたしかに二子玉川駅なんだけど、僕の知っている二子玉川駅ではまるでなくなっていた。スケールの小さい『猿の惑星』かと思った。
追想にふけるどころか、いつも使っていた出口がなくなっていてしばらくさまよって遠回りをした先に、あの坂が待ち構えていた。

なにも変わらない、あのままの坂だった。
いつの日か億劫でしかなくなった坂道を一歩一歩噛み締めるように進んでいくと、記憶の封が剥がされていくように思い出が蘇っていく。この傾斜と教科書の重さに耐えきれず、リュックからキャスターバッグに変えて対策したこと。どハマりしていたセブンイレブンのお好み焼きパンを食べ歩いてたら落としてしまって泣きながら片付けたこと。
そして極め付けは当時お付き合いしていた、音楽家を目指していた彼女が照れくさそうに送ってくれた自作の楽曲を、iPodに入れてひたすら聴いていたこと。シンセサイザーの素朴なメロディーが、まるでイヤホンをしているかのように鮮明に聞こえた。あの時みたいに、足取りが軽くなっていつの間にか坂を上り切っていた。
学校に到着すると、これまた大規模な改修を経てまったく知らない場所になっていた。それもそのはずで、僕らが卒業した年にはもう工事に取り掛かっていたのだ。しかし、それがどんな仕上がりになるかまでは気に留めていなかった。てっきり建物がキレイになる程度かと思いきや、校舎から道路を挟んでグラウンドだった場所に新校舎が建設されていて、それらを繋ぐ連絡通路まで出来ていた。平成の学生が思い描く未来の学校みたいだった。
見慣れない母校にソワソワしていると、新校舎の入り口で矢作さんの奥様が下のお子さんを抱っこしながらこちらに手を振っていた。心強いOBとして呼ばれたのに、初登校みたいな面持ちだったからさぞ不安になったことだろう。合流し、いざスクールツアーの受け付けに向かうと、職員の方に「未就学児を連れての参加はお断りしています」と止められてしまった。実際に授業をしている風景を見学したりするため、生徒たちの邪魔にならないようなルールになっていることを失念してしまったのである。思いもよらぬ事態に奥様が矢作さんに電話したところ、
「じゃあ森本にだけ行ってもらおう」
と、独身で子供もいない人間によるリニューアル母校の見学が決定した。致し方ない状況だし学校側の許可も得ているにしろ、本来ならばまごうことなき不審者である。
ツアーが始まり、案内されるところはやはりことごとく初見。旧校舎も大幅に改装されており、まるで違う世界線に迷い込んだかのようだった。想定していた類の感情はひとつも引き出されず、気持ちを切り替えてとにかくこの学校の良さを矢作家に伝えようと熱心にメモを取りつづけた。
すると、壁にズラーっと写真が飾られている場所へと引き連れられた。よく見ると小学生の集合写真だ。
「こちらは歴代の生徒たちのクラス写真です」
そう聞くや否や、すかさず額縁の下に西暦が書かれたプレートを見て、自分の小学生卒業年を探した。最新の2023年の卒業生から目的である2002年まで遡っていくのはさながらタイムスリップのような感覚だった。
ものの数秒で21年前に戻り、目線を上げるとそこにはみんながいた。今でも連絡を取り合ってるあいつも、単独ライブを観にきてくれたあいつも、いつしか疎遠になってしまったあいつも、みんないた。すべてが変わっていたと思っていた母校で、この四角形の中だけは変わらないままだった。
君が思い描いてた大人にはなってないかも知れないけど、こっちは思い描いてた以上に楽しいよ。

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文/トンツカタン森本
写真/Ban Yutaka
編集/菱山恵巳子
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Urban Story Lab.
まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。










