
東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。
第5回はエッセイスト・岡田悠さんが、二子玉川の河川敷で凧揚げに挑むひとときを描きます。
正月に実家で見つけた古い凧の記憶から、忙殺される日常の中でふと立ち止まり、風を待つその瞬間に感じた自由と安らぎや、都会の片隅に広がる、温かな風景とともに紡がれる物語をぜひお楽しみください。
岡田悠(おかだ ゆう)
1988年兵庫県生まれ。著書に南極や近所での旅行記を収録した『0メートルの旅』(ダイヤモンド社)のほか、『10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい』(河出書房新社)、『1歳の君とバナナへ』(小学館)。
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忙しない日々で、ふと凧が上がったときの喜びを思い出す
凧を揚げたくて、二子玉川に来た。
きっかけは、正月に関西へ帰省したときのこと。実家で古い凧を発見したので、子どもと公園で揚げてみることにした。僕が凧を持ち上げ、子どもが糸を操る。だけどうまくコントロールできず、落っこちてしまう。子はすぐに飽きて砂場へと移り、熱心に砂山をつくり始めた。
手持ち無沙汰になった僕は、ひとりで凧を揚げた。風を探して縦横無尽に走り回っていたら、じっとりと汗ばんできて、すっかり身体が温まった。いい運動になるし、微妙な力加減で、上がったり下がったりするのが面白い。意外と奥深いかも。
ジョギングは続かなかったから、凧を趣味にするのも良さそうだ。凧が高く揚がると、あの凧は自分が揚げたのだと、誇らしさすら覚える。「ほら、揚がったよ!」と嬉々として子に伝えたが、見向きもされなかった。
そんな正月を過ごしたあと、東京の自宅に戻ってきてからは、溜まった仕事に忙殺されていた。朝起きて、子どもたちを保育園に送って、出社して、働いて、帰宅してからはご飯、お風呂、寝かしつけ。そのまま自分も一緒に眠ってしまって、深夜に夜泣きで起こされる。怒涛の日々がしばらく続いた。
10年前、まだ創業間もない今の会社へ入社したときは、働くのが楽しくて仕方なかった。「働いて、成果を出して、事業が大きくなる」というサイクルの中毒になっていた。
ただ子どもが生まれてからは、どうにも全力で働くのが難しくなった。しんどいというより、もどかしかった。仕事が中途半端になるくらいなら、いっそ退職してしばらく育児に専念しようかと、真剣に考え始めていた。
ある日、寝不足のまま保育園に子どもを送り届けたあと、雲ひとつない青空を見て、実家で揚げた凧を思い出した。そして東京でも揚げたいと思った。空の向こうの向こうまで、凧が見えなくなるくらいに、高く揚げたい。
すぐにネットで凧を注文した。そして2週間後の木曜日に有給を申請し、会社のカレンダーに「🪁」の絵文字を描いて予定が入らないように時間を押さえたた。カレンダーに凧が揚がった。
川を眺めながら風を待つ
凧揚げの場所は、二子玉川に決めた。
二子玉川は、東京都世田谷区の端っこにある街だ。そばには多摩川が流れていて、橋を渡った先は神奈川県になる。
この街の魅力を、一言で説明するのは難しい。たとえば駅を出て西側には、高島屋をはじめとして、百貨店やブランドショップが立ち並んでいる。むかしはこの景色の印象が強かったから、二子玉川は「ちょっとお高くとまった街」だと偏見を持っていた。しかしすこし街を歩いてみれば、それは一面的な見方に過ぎないことがわかる。
まず、子どもが多い。特に東側はどこもかしこも子どもだらけで、夏でも冬でも元気に走り回っている。少子化って本当か?と疑いたくなるほどである。どの店に入っても子ども向けメニューがあったり、エレベーターはベビーカーが何台も入れる広さだったりと、子連れに向けた街づくりが徹底されているからだろう。たぶん世田谷区中の子どもが、二子玉川に集結している。
また百貨店エリアの裏側には、実は昔ながらの商店街もある。おはぎ屋や老舗の町中華が立ち並び、レトロな雰囲気を味わえる。このように二子玉川は、いくつもの顔を持った多面的な街なのだ。その日の気分に合わせて、いろんな過ごし方ができる。
だがやはり、なんと言っても二子玉川の最大の魅力は、川である。ひとたび河川敷に出れば、駅前の喧騒はすっとたち消え、ぽっかりと大きな空の下に、多摩川が悠々と流れている。
特に平日に訪れると、河川敷には人がいない。どこまでも芝生の緑と、川の青だけが広がっている。人ではなく、川に合わせて時間が流れていることを、はっきりと肌で感じられる。渋谷から電車ですぐこれる距離に、こんな空間があることが不思議に思える。
だから近場で凧を揚げるなら、二子玉川がいいと思った。凧を揚げるのにふさわしい大空が、この街には広がっている。
そして木曜日の朝。二子玉川の河川敷に到着すると、風が芝生の匂いを運んできた。いい風だ。凧揚げ日和である。この日のために、3種類の凧を用意した甲斐があった。
1つめはクラシックな三角形の凧。2つめは「奴凧(やっこだこ)」と呼ばれる伝統的な凧で、髭面の男が描かれている。正月飾りにも使われる和凧だ。
そして最後に、「龍七連凧」なる中国の凧。龍の字が刻まれた小さな凧が、7つ連結されている派手な凧だ。これは構造が複雑だから、糸が絡まないよう広げるだけでひと苦労である。
龍七連凧と格闘していると、「お待たせしました」と遅れて人がやってきた。せっかくだからと、知人を誘っていたのだ。知人Kはフリーライター、知人Tは漫画家で、2人とも平日に都合がつけやすい。普段は居酒屋に集まる知人と、凧を持って河川敷に集まるのは、なんだか楽しい。
Kが「凧、持ってきましたよ」と紙袋をごそごそやる。中から出てきたのは、なんと僕と同じ龍七連凧だった。完全に被った。龍七連凧が被ることってあるんだ。さらにもう2人の漫画家Tは、「今から凧を作ります」と言い始めた。作りますってなに?凧を買う暇がなかったから、これから竹串とゴミ袋で、凧を自作するという。平日の昼に集まれる大人は、変わった人が多い。
3人で河川敷に座った。僕とKは龍七連凧の糸を慎重にほどき、漫画家Tは凧の制作を進めた。なかなか凧揚げが始まらない。ただ多摩川のゆったりとした空気が、そんな遠回りを歓迎しているように思えて、缶コーヒーをすすりながら、ダラダラと作業を続けた。そしてようやく凧の準備が終わって、いざ揚げようとしたところ、まるで図ったように風がやんだ。完全なる凪が訪れた。
風がなければ、走ればいい。そう言って漫画家Tが、完成した自作の凧を掲げて走り始めた。だが10メートルほど走ったところで、竹串が折れて凧が崩壊。強度が足りなかったらしい。
僕も続いて奴凧を揚げてみたが、確かに走れば揚がるものの、風がないので走り続けなければ落ちてしまう。すぐに息が切れ、奴凧は頭から墜落し、半分に折れた。凧の寿命とは、かくも儚い。
いったん凧を揚げるのを諦めて、3人で河川敷に座り込んだ。全力疾走したから、太ももの筋肉がぱんぱんに張っている。息が苦しい。自分の心臓の鼓動が聴こえてくる。でも悪くない気分だ。揚がらなかったのに、僕らは謎の充実感に包まれていた。「風が来るまで待ちましょうか」とKが言ったので、川を眺めながら風を待つことにした。
上流から下流へ、ただ単調に進んでいるように見える川の流れは、じっと眺めていると、実は変化に富んでいることがわかる。川の中央には中洲があり、底には石が沈んでいる。それらにぶつかった流れは複数に分岐して、迂回したのち、また大きな流れに戻っていく。川の中に、いくつもの小さな川が生まれては消えていった。
「凧って漢字、めちゃくちゃ凧ですよね」
ふとKが言った。
「かぜかんむりの中に入ってる【巾】、あれ岡田さんの持ってきた、奴凧の形じゃないですか?」
「完全に同じ形だ」
「たしかにそのままだ」
「それで言うと、凪って字もすごいですよね」
「かぜかんむりに止まる、ってそのまますぎ」
どうでもいい話を、さほど盛り上がることもないまま、ぽつりぽつり続けた。
「それにしても風、来ないっすね」
「でも風を待つのって、なんかいいな」
「サーファーが波を待ってるみたいですね」
こんなふうに、最後に風を待ったのは、いつのことだろうか。日々に追われていると、風速を気にするのは台風のときくらいだ。だがどんな日にも、こうして風が吹いていない時間帯と、吹いている時間帯がある。その変化を感じ取れなくなったのは、いつからだろうか。
ぽちゃんと魚が跳ねた。魚を狙って、ウミネコが低空を旋回していた。全力疾走で熱った僕の身体を、優しい風が撫でた。
…ん?風?
風吹いとるやん!!!!!
いつの間にか風が吹いていた。僕らは慌てて立ち上がった。僕とKは龍七連凧を、漫画家Tは僕の三角凧を手に取り、一斉に駆けた。
しゅるしゅると糸がほどける音がして、凧は揚がった。風を正面に受けながら、あっけないほど簡単に上昇していった。みるみる天を登って行く。さっきまでの苦労はなんだったんだ。三角凧ひとつと、龍が14匹、二子玉川の空を泳いだ。
橋の上から小学生たちが、「凧だ!」と叫んだ。広い空を、気持ちよさそうに飛ぶ凧を見て、こんなふうに暮らせたら、と思った。
二子玉川の空に、いい風は吹いているだろうか
それ以来、二子玉川駅で降りたら、凧のことを思い出す。いい風が吹いているだろうか、と河川敷へ足を伸ばしたくなる。子どもだらけの広場を通り、百貨店を過ぎて、昔ながらの商店街を抜けると、また広い空が見えてくる。
今日は平日だが、仕事はない。悩んだ末に、週3日の勤務体系に変更させてもらったからだ。給料は結構下がったけど、これくらいの頑張り方が、いまの自分には合っている。仕事を全力で頑張るか、頑張らないか、二者択一でなくてもいい。この街にいろんな顔があるのと同じように、その時にあったリズムを、使い分けながら働いていくことにした。
河川敷には、弱い風が吹いていた。寝転がると、むせかえるような草の匂いに包まれた。そのうちまた、強い風も吹くだろう。風向きを見ながら、いい風が来たら凧を揚げて、風のない日はただ寝転がる。そんなふうにして、日々を過ごしていきたい。
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文/岡田悠
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)
写真/Ban Yutaka
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