7章
100年の歩み 19982004
「東急グループ」
中核会社としての
課題と責任


Chapter7
1990年代初頭に始まるバブル崩壊は日本経済に深刻な打撃を与えたが、その傷口の深さが明らかになるのは、1997(平成9)年11月に金融機関の破綻が相次いでからである。バブル景気時の、地価や株式の上昇を前提とした過剰な貸付が不良債権化したことが主因とされ、これ以降、金融機関は融資を手控えると同時に債権回収を急ぎ、余剰資産を持たない企業はたちまち苦境に陥った。
東急グループにおいても多くのグループ会社が過大な融資を受けて事業拡大を図っていたこともあり、バブル崩壊後には返済困難な有利子負債を抱えた。金融機関による債権回収は当事者会社のみならず、実質的な親会社と見なされた当社にも及び始め、東急グループの中核を担う当社は、否応なしにグループ再建の課題を背負うこととなった。
もう一つ、大きな環境変化となったのが企業会計制度の大改革(会計ビッグバン)である。国内では2000年3月期以降、連結会計、退職給付会計、金融資産や不動産資産の時価会計などが順次導入され、グループ業績が露わになる連結決算への移行を迫られた。
こうした中、当社は、2000年4月に「東急グループ経営方針」を発表、毅然としてグループ再生に取り組む姿勢を明らかにし、グループ会社の再編成による「選択と集中」に臨んだ。とくに早急な対応を要していたのが巨額の有利子負債への対応で、社長の清水仁ならびに2001年6月から新社長に就いた上條清文の下で、これを順次処理すると共に各社の業績回復を図ることで財務内容の健全性を高め、株主や投資家からの信頼を回復することにあった。
事業ごとの動き
聖域なき改革で危機を乗り切る
一連の「選択と集中」では、すでに1998年から着手していた東急建設の再建に見通しを立てたほか、重複事業の統合、子会社のグループ外への売却、完全子会社化による業績の改善など、資本政策を含めた抜本的な構造改革を、当社のガバナンスにより断行した。その中には優良な事業や資産を売却するなど苦渋の決断を伴うものもあったが、2004年ごろにはようやく健全性の回復にめどをつけ、新たな成長へと向かうに足りる経営基盤を確立するに至った。この間に東急グループの陣容は約500社から300社余りまで減少、大きな痛みを伴う改革となった。
1998年から2004年までは、今から振り返れば、東急グループが存亡の危機に瀕していたと言ってもよい時期であった。当社の連結決算では2001年3月期と2004年3月期に当時過去最大規模の当期損失を出したが、これでほぼ膿を出し切った格好となったことから、翌年度からのV字回復をめざしていくこととなった。
鉄軌道事業
鉄軌道事業では、輸送力増強を契機とする主要路線の大規模改良工事により、鉄道ネットワークの広域化と速達化を進めた。東横線の混雑緩和を目的とした「目蒲線の活用による東横線の複々線化」関連では2000年9月、目蒲線から系統分離した目黒線が目黒~武蔵小杉間で営団南北線・都営三田線との相互直通運転を開始した。これと併せて目黒駅付近〜洗足駅付近間の立体交差化工事を継続して進めたほか、複々線化の延伸に相当する武蔵小杉〜日吉間で線増工事に着手。複々線化はいよいよ最終段階を迎えることとなった。目蒲線の運行系統分離により、目黒線と共に新たに東急多摩川線が誕生した。
東横線では、2004年2月に横浜~桜木町間を廃止し、横浜側でみなとみらい線との相互直通運転を開始したほか、渋谷側では地下鉄13号線(現東京メトロ副都心線)との相互直通運転化を決定、渋谷〜代官山間の地下化工事に着手した。また「大井町線の改良・延伸による田園都市線の複々線化」では新たに大岡山〜大井町間を工事対象区間に加え、大井町線全区間での急行運転を可能にすることとした。田園都市線では、横浜市営地下鉄3号線(ブルーライン)に連絡するあざみ野駅を急行停車駅にし、こどもの国線を通勤路線化して新駅を設けるなど、全般的に利便性の向上に取り組んだ。
このほか鉄軌道事業では、駅や車両のバリアフリー化、一部路線でのワンマン運転開始による業務効率化を進め、自動改札機の導入完了に伴って駅業務の重点を接客サービスに置き、サービス向上に努めたことも特徴である。












沿線での開発事業
沿線地域の開発事業では多摩田園都市の土地区画整理事業が終盤を迎え、販売できる土地が減少したため、ストックからフローへの転換を志向した。だが不動産賃貸の市況は未だ回復途上にあり、当面は建売住宅販売や個性的な賃貸マンションの供給などで付加価値向上をめざした。また、鉄道工事の進捗を受けて目黒や田園調布で駅上部の開発を進めたほか、南町田や青葉台では商業施設を拡充、沿線の魅力向上に努めた。







渋谷での開発事業
1990年代初頭から本格化した渋谷駅周辺の開発では、二大プロジェクトとして建設を進めてきた渋谷マークシティとセルリアンタワーが相次いで竣工。また、駅中心地区では東横線と地下鉄13号線との相互直通運転決定を契機に再開発の機運が高まっており、当社は東急百貨店東横店の改築や東急文化会館の跡地開発も視野に入れ、渋谷区が中心となって進めていた街づくりのマスタープラン策定協議に参加、駅中心地区の将来のあり方について、行政や地権者と共に検討を進めた。

ホテル・リゾート事業
2000年当時、東急グループの国内ホテルには当社が運営する東急インチェーンと東急ホテルチェーンが運営するホテルの2系統があり、それぞれの旗艦ホテルとして、渋谷エクセルホテル東急とセルリアンタワー東急ホテルが開業を迎えた。あわせて、国内ホテル事業を構成する両チェーンについは統合に向けて歩を進めることとなった。リゾート事業でも「選択と集中」の一環でゴルフ場やスキー場を売却、バブル景気時の拡大路線を軌道修正する動きが続いた。

流通事業
流通・サービス分野では当社が「選択と集中」の一環で東急百貨店を完全子会社化、東急ストアを連結子会社化(のちに完全子会社化)し、商業施設運営では運営主体となるグループ会社の整理統合に着手した。当社は2000年発表の「東急グループ経営方針」以降、経営資源を沿線に集中させる方針を鮮明にし、沿線地域での主たる収益源となる小売業(リテール事業)を、「鉄道」「開発」に次ぐ第三のコア事業として育成することで、新たな成長につなげることを展望した。
