渋谷駅周辺再開発が本格化する直前の2005年に立ち上がった情報発信サイト「渋谷文化プロジェクト」。その原点には、東急文化会館の閉館をきっかけに芽生えた、“渋谷の文化を次の時代へつなぐ”という想いがあります。そして、2012年に東急文化会館の跡地に建てられた渋谷ヒカリエにクリエイティブスペース8/(はち)が誕生しました。今回は、両プロジェクトの立ち上げに携わった担当者と、その系譜を引き継ぐ現在の担当者の2人に、20年にわたる取り組みと渋谷文化のこれからを聞きました。
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文化の記憶を未来へ手渡す
──「渋谷文化プロジェクト」の誕生
─20年続く情報発信サイト「渋谷文化プロジェクト」は、東急文化会館の閉館後に構想が始まったと聞きました。まずは立ち上げの背景について教えてください。
小林 2005年に渋谷の街づくりを担う部署へ異動した当時、渋谷は大きな転換期にありました。2003年には、戦後の娯楽・文化の中心地として親しまれてきた「東急文化会館*」が閉館。さらに2008年に開通する副都心線の工事や、副都心線と相互直通運転する東急東横線の地下化も決まっており、駅周辺では本格的な再整備が始まろうとしていました。そこから2012年の「渋谷ヒカリエ」開業まで、街は長い工事期間に入っていきます。
ハードが大きく変わっていく時期であっても、渋谷の魅力は絶やしてはいけない。音楽、映画、演劇、ファッション、アートなど、多様な表現が常に生まれ続けてきた街の“文化の蓄積”を、未来につないでいく取り組みが必要でした。「工事中で何もない街」に見せないため、ソフト面でできることを前倒しで実行し、街を盛り上げていく。そうしたミッションのもとで生まれた企画の一つが「渋谷文化プロジェクト」です。
当時、当社では「渋谷カルチャープラットフォーム構想」を発表していましたが、“渋谷の文化とは何なのか”は明確に定義できていませんでした。そこでまずは、「渋谷の文化は施設ではなく、人がつくるもの」という前提に立ち、多様なカルチャーの担い手を丁寧に掘り起こし、記録していくことから始めました。
- *東急文化会館
1956年(昭和31年)開業の文化施設。渋谷駅前(東口)のシンボル的存在として知られた。
─立ち上げ当初は、どのような取り組みをされていたのでしょうか。
小林 私が担当した最初の半年間は、“渋谷の文化をつくる人”へのインタビューに注力しました。現在「100+KEYPERSON」として100名を超えるキーパーソンがアーカイブされていますが、その流れをつくったのがこの時期です。シネマライズ*の頼光裕さん、カフェ・カンパニーの楠本修二郎さん、ネットエイジ*の西川潔さんなど、渋谷を動かす面白い人たちの言葉から、この街を読み解く多くのヒントが見えてきました。
その後の担当者たちも、街の変化を前向きに楽しみながら、文化情報を地道に発信し続けてくれました。工事で街が不便になる時期も、「渋谷には面白い場所がある」「今の工事現場をエンタメとして楽しもう」という姿勢で情報発信を続けてきた。結果として、メディアとして街の魅力を途切れさせない“文化のインフラ”であり続けたのだと思います。
- *シネマライズ
スペイン坂にあったミニシアター。1986年6月6日開館、2016年1月7日閉館。
- *ネットエイジ
現ユナイテッド株式会社
20年の記録が育てた、渋谷を動かす人と文化のつながり
─20年にわたって情報を発信し続けるなかで、プロジェクトの役割にどのような変化がありましたか。
武田 2025年春にチームへ異動してきましたが、これまで10人以上の担当者がバトンを繋いできたと聞いています。アーカイブを読み込むほど、「20年間積み重ねてきた記録の厚み」に圧倒されました。文化やビジネス、イベントの情報を欠かさず拾ってきたことで、多角的に“渋谷の変化”を捉えることができる。まるで地層のように街の変遷が見えてくる点は、他にない資産だと感じています。
本質である「街の変化を丁寧に紡ぐ姿勢」は変えず、2024年にはリニューアルを実施しました。再開発が一段落し、街のステークホルダーが多様化する中で、サイトのテーマカラーを東急カラーの赤に変更。あえて企業としての姿勢を打ち出し、情報発信を強化しています。ターゲットも見直し、「渋谷で働く人のためのメディア」と明確にしました。
─20年の蓄積は、渋谷の街にどのような影響を与えてきたのでしょうか。
小林 インタビューをきっかけに人がつながり、新しい企画が動き出すこともありました。サイト自体はあくまで“きっかけ”で、後任の担当者がオフラインの活動へ育ててくれたケースも多かったと思います。また東急文化会館の跡地である渋谷ヒカリエの開発コンセプトを考える上でも、大きな示唆になりました。
武田 開発計画に直接結びつくというより、文化イベントや人の交流を生み出す土壌になってきた、という感覚が近いですね。再開発で街が整っていく一方、個人店や小さなイベント施設が減り、偶然の出会いや文化が生まれにくくなる側面もあります。その中で「渋谷に行けば何かしら新しい刺激が得られる」と思ってもらえるように、新たな体験が得られる場所やイベントを発信し続けることで人々と街との関わり方を更新してきたのではないでしょうか。
クリエイティブスペース8/誕生の背景
──多様性を受け止める“余白”をつくる
─渋谷ヒカリエのクリエイティブスペース8/の誕生にも影響を与えたそうですね。
小林 東急文化会館の跡地をどう生かすかは、開発チーム全体にとって非常に大きなテーマでした。映画館やプラネタリウム、レストラン街まで内包した東急文化会館は、複合文化施設として渋谷の多様性を象徴する存在。そのDNAを引き継ぐ形で、渋谷ヒカリエでは商業・オフィス・劇場などの文化施設という多様な用途を縦に重ねる、挑戦的な複合構成を採用しました。
クリエイティブスペース8/は、その中でもさらに用途を細かく混ぜた、渋谷ヒカリエを象徴する実験的なフロアです。「渋谷文化プロジェクト」を通して多くのキーパーソンと出会い、渋谷の文化は“人の活動そのもの”だと実感していました。だからこそ、その活動を育て、新しい挑戦が自然に生まれる環境をつくりたかった。ギャラリーやカフェ、イベントスペース、ワークスペースといった用途が混ざり合い、クリエイティブが連鎖的に生まれる“余白”を意識して企画しました。
インキュベーション施設*として東京都との都市開発上の取り決めもあり、「人材育成とは何か」という問いにも向き合いました。多様な人が新しい挑戦を始められる可能性を広げるため、“目利き”となるパートナーに参画してもらい、才能を選び、育て、発信できる場所を目指したのです。ナガオカケンメイ*さんやコクヨさんなどのパートナーが決まっていくにつれ、フロアの輪郭が少しずつ見えてきたのをよく覚えています。
- *インキュベーション施設
起業家や創業初期の企業を支援するため、安価なオフィススペースの提供と専門家による経営・事業支援をセットで行う施設
- *ナガオカケンメイ
D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役会長。「クリエイティブスペース8/」にて47都道府県の「らしさ」を紹介する「d47 design travel store」、「d47 食堂」、日本初の地域デザイン物産美術館「d47 MUSEUM」をプロデュース。
かつての渋谷には、小さなライブハウスや路上表現はあっても、誰もが立ち寄れる“開かれた発信の場”は意外と少なかった。「クリエイティブスペース8/」は、明確な目的がなくてもふらりと立ち寄り、偶然文化に出会える場所。その偶然性こそが、渋谷らしさの一つだと感じています。渋谷ヒカリエが「情報発信拠点」だとすれば、「クリエイティブスペース8/」は「渋谷らしい方法で、新しい価値を社会に発信し、問いかけていく場所」。渋谷で何かが生まれるときの、一つの舞台になれたのではないでしょうか。
イノベーションを生む街の装置として
──20周年とこれからの渋谷文化
─現在の「クリエイティブスペース8/」には、どのような変化がありますか。
武田 立ち上げ当初から「シブヤらしいこと」「交流すること」「人を育てる」など8つのコンセプトを掲げ、企画・運営を続けてきました。一方で、立ち上げメンバーや初期テナントが入れ替わるなかで、「クリエイティブスペース8/」らしさをどう継承し、時代に合わせて更新していくかが課題だと感じています。
その一方で、再開発に伴い、施設や用途を超えた新しい連携は確実に増えています。「クリエイティブスペース8/」での出会いが、渋谷スクランブルスクエアや渋谷キャストでの企画に繋がったり、イベント来場者が他施設へ回遊するなど、人の動きが街全体ににじみ出している感覚があります。トークイベント後の懇親会から次の企画が生まれるなど、偶発的な出会いが次のアクションにつながる流れも広がっていると感じます。
─2025年に「渋谷文化プロジェクト」は20周年を迎えました。この節目をどう捉え、今後にどんな可能性を感じていますか。
武田 昨年12月に開催した記念イベントでは「渋谷のこれまでとこれから」をテーマに、歴代担当者として小林さんにも登壇いただき過去20年間の「渋谷文化プロジェクト」のアーカイブをもとに「これまでの渋谷」を振り返り、また近隣の学生に登壇いただき「これからの渋谷」に期待することについてトークセッションを行いました。イベントを通じて20年分の記事を読み返し、歴代担当者の話を聞く中で、街が絶え間なく変わり続けていること、そして街の情報を記録し、継続して発信し続けることの意義を改めて実感しましたね。
小林 渋谷の歴史を俯瞰する良い機会でしたね。かつては小規模な企業や個人のプレーヤーが多かった印象ですが、大企業のオフィスが増え、人の回遊範囲が広がり、外国人も増えた。地域、行政、大企業、ベンチャー、学生など、多様な人たちが「渋谷」というキーワードでコラボレーションする場面が増え、街のエネルギーは確実に高まっています。現在の担当者は大変なことも多いと思いますが(笑)、ぜひ面白がる姿勢を大切に、発信を続けてほしいですね。
武田 最初は「文化を記録・発信する場」として始まりましたが、今では人と人をつなぐハブのような存在になりました。これからも文化の蓄積を受け継ぎ、未来のまちづくりに生かしていきたい。過去に開催していた「渋谷文化プロジェクト」を起点としたリアルイベントの復活も構想しています。今後も渋谷のメディアとして、再開発の進捗状況はもちろん、2030年以降の渋谷の街の未来に至るまで、渋谷の変化を見つめ、その魅力を発信し続けていきたいですね。