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伝えたいことを研ぎ澄ました
未来の渋谷を提示する展覧会
――「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」が開催された経緯を教えてください。
前川 この展覧会は、2023年に島根県益田市で開催された「建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」の“渋谷版”として企画されたものです。開催のきっかけは、益田に足を運んでくださった、渋谷の再開発に深く関与している商店会メンバーの方たちに「ぜひ、このような展覧会を渋谷でもやってください」と言われたことでした。「渋谷駅中心地区デザイン会議」で内藤と旧知の仲であった方々からの働きかけがなければ、このプロジェクトは実現しなかったと思います。約1年の準備期間中に「渋谷で開催する意味」を問い直し、コンセプトの練り直しから取り組んだので、巡回展ではなくまったく別の展覧会と捉えていました。
益田での展覧会は、実現したプロジェクト(Built)に加えて、内藤の学生時代の作品も含め、諸事情で実現していないプロジェクト(Unbuilt)も含めた展示内容でしたので、展示プロジェクト数は80点ほどにのぼりました。渋谷の展示総面積が1,000平米程度と益田の半分程度で、かつ会場の渋谷ストリーム ホールが3フロアに分かれていたこともあり、内容を再構成しました。
――どんな点を変えたのでしょうか。
前川 プロジェクト数を計45点と半分強に絞り込み、「渋谷と益田」というテーマに特化したフロアを設けました。最大のポイントは、駅を中心に再開発が複数進行している渋谷の街の完成形が見られる1/200スケールの全体模型を新たに制作し、展示に加えたことです。事情によって正確に表現できなかった部分もありますが、大型開発がひと段落する頃、渋谷は概ねこうした姿になる、というイメージを体感していただくことを目指しました。建築設計が技術的な側面から始まって、最終的に建築物の完成を目指すのに対し、展覧会の設計は、建築の専門外の人々に対して“既存の情報の何を伝えたいか”を研ぎ澄まし、シンプルに伝える点が異なり、なおかつ難しい部分になります。失敗すれば、すぐに来場者数や反響の内容などに結果として現れるので、建築とはまた違う慎重さが求められ、気の抜けない仕事でした。
ちなみに、展覧会名に「場外乱闘」と付けたのは、内藤が“渋谷は多様な人々を受け入れる、良い意味で雑然とした街である”と解釈していることが背景にあります。まちの隅々まで完全に整理し切られることなく、常に更新し続ける――その様子は場外乱闘のようであり、渋谷らしいということで、このネーミングとなりました。
渋谷ストリーム ホール4階のエントランスから6階までの展示会場を回遊形式で楽しむ
開催までの
タフな日々で実感した
「まちづくりは団体戦」
大木 私は2025年4月に中途採用で入社し、最初の仕事として、この展覧会の開催に向けた調整業務をアサインされました。配属は渋谷の開発の部署だと聞いていたので、「そんな仕事もあるのか!」と最初はびっくりしました(笑)。人事異動もあり、私を含めて担当のほぼ全員が転入者という状況の中、とまどっている暇がないほどさまざまな業務に取り組むことになりました。内藤事務所の方々を交えた定例会議の運営をはじめとして、運営業務をサポートいただく各社との調整、展覧会公式サイトのディレクション、ポスターなどの校正・入稿、協賛企業や地元商店街など関係者の皆様をご招待する記念行事の準備、司会台本のチェック、東急社内への展覧会開催告知、来場者アンケートの設計…など、まさに“なんでも屋”状態で、来る日も来る日も目の前に来たボールを打ち返していました(笑)。
前川 大木さんには開催の直前、展示物の設営までお手伝いいただきましたよね。展覧会の準備中、私たちはキービジュアルや模型、フロアプランなどのソフト面を制作・提供し、東急さんサイドにはそれらを用いて広告や運営を担当していただきました。
大木 開催に向けて走り続けたタフな約4ヵ月間を通じて、内藤事務所をはじめとする関係者の方々とのつながりがぐっと深まりました。入社したばかりの私にとっては、本当にありがたいことでしたね。今回、実行委員長を引き受けてくださった小林幹育さんが「まちづくりは一人の力では成し得ません。渋谷に関わる一人一人がこの街の未来像を描き、団体戦として協働することが何より大切です」とおっしゃっていたのですが、社内外の多くの方々に支えていただき、協働で成し遂げたこの仕事の経験を通じ、おぼろげながらその意味を肌で感じることができたと思っています。
執念にじむ
“建築家の仕事”が
1万9,000人の心をつかんだ
――展覧会の開催でご苦労されたことは何でしょうか。
前川 通常、展覧会では適宜、専門業者さんにアウトソーシングするのですが、今回、展示のほとんどは“内藤廣建築設計事務所 設計施工”として、ほぼ内製で対応した点が特に大変でした。益田での展示台の再利用、最終的な質の向上、さらに外注では急ぎの対応が難しい直前の修整を可能にできることが、内製とした理由です。そのためギリギリまで制作が押してしまい、東急さんをお待たせしてしまうこともありました。模型のサイズは非常に大きく、例えば東京メトロ銀座線渋谷駅の模型は幅1.4m×奥行き6mの1/20スケールで、7分割して制作しました。また、3.4m角におよぶ都市スケールの模型も制作しました。
大木 完成した模型の数々はどれも本当に精密で、写真や動画では伝えきれない迫力がありました。実は内藤事務所のみなさんは、渋谷での展覧会の準備と並行して、紀尾井町での別な展覧会*の制作も進めていらっしゃいました。限られた人数、限られた準備期間の中、二つの展示の準備を同時に進めるのは並大抵のご苦労ではなかったはずですが、その両方を見事100%のクオリティでやり遂げる前川さんたちの仕事ぶりには本当に頭が下がりましたし、建築家としての揺るぎない矜持を感じました。それは、展覧会を見に来てくださったお客様の心にもしっかり届いていたと思います。
- *紀尾井町での別な展覧会
「建築家・内藤廣 なんでも手帳と思考のスケッチ in 紀尾井清堂」
7月1日(火)から9月30日(火)、紀尾井清堂にて開催された。紀尾井清堂を設計した内藤廣氏の約40年分の手帳を年代別に公開。その他、旅先でのスケッチや思考の概念図、図面や写真などをふんだんに展示。会場が通常は非公開であることもあり、こちらも連日の大盛況だった。
迫力ある模型は、前川さんをはじめとする事務所スタッフはもちろん、学生アルバイトたちの“手”によって生み出された
展覧会には最終的に総計1万9,000人を超えるお客様にご来場いただき、会期終盤には連日1,000人以上の方が押し寄せるほどの大盛況でした。アンケートによれば、学生の方が来場者の約3割を占めるなど、とりわけ若い世代の方に多くお越しいただきました。フォロワー数万人、数十万人というインフルエンサーの方がSNSで発信してくださったことなども要因と捉えていますが、私はそれ以上に、展示の随所ににじみ出ていた内藤事務所のみなさんの執念こそが、展覧会の成功に不可欠だったと思っています。
前川 ありがとうございます。建築物の竣工写真や図面はもちろん強いインパクトを放ち、見る人の心を揺さぶるのですが、完成後の“ある瞬間”を切り取っています。その点、今回の展示は模型の精巧さ、リアリティーもさることながら、制作過程で発生したさまざまなエピソードが、内藤(赤鬼と青鬼)のコメントとともにストーリーとして添えられていた点が評価され、多くの方々に足を運んでいただいた要因になったと考えています。
話題が話題を呼び、会期終盤は来場者であふれかえった
「まちは、多くの人々の小さな積み重ねでできている」
展覧会を通じて
このメッセージを届けられた
――この展覧会が、渋谷のまちづくりにおいてどのような意味を持つ存在になってほしいと考えていますか。
前川 いつの間にか自然発生的にできあがっていくもの……それが一般の方々がイメージしている、まちの概念だと思っています。でも、もちろんそうではなくて、運営事業者の異なる多様な用途の建築物と、その周囲の公共空間や鉄道施設などいろいろな要素が、それぞれの歴史や背景、理由に基づいて計画的に配置・再生されています。「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」は、そのフレームを表現できていました。この展覧会が、渋谷、ひいてはすべてのまちが、多くの人々の小さな積み重ねで出来上がっているというメッセージとして残り続ければ良いと思っています。
また、これは個人的なことなのですが、私は育ちが渋谷でして、20年以上を過ごした我がまちの未来像を示すプロジェクトに直接関わる機会を得られて、とても幸せでした。両親も見に来てくれましたよ(笑)。この展覧会を通じて、建築設計が人々の人生や思い出に触れる素晴らしい仕事であると再認識することができました。
大木 今回お越しくださったお客様が、将来再開発が進んだ渋谷に降り立った時にふと、「そういえばあのとき、ストリームホールの展覧会で渋谷の未来像に心を躍らせたな…」と思い出す。そんな風に、この展覧会が、渋谷の過去を振り返り、そして次の将来を思い描く「標(しるべ)」になってくれたらいいですね。
――最後に、今回の展覧会開催のために協働したことで得た収穫を教えてください。
前川 建築事務所だけでは実現不可能な、イベント運営や広告展開などの領域でプロの協力を得られ、そのノウハウや成果を実感できたことが大きな収穫だったと思っています。特に、渋谷ストリームと渋谷スクランブルスクエアをつなぐ通路上の「渋谷ストリームデッキ目玉壁シート」の広告や、渋谷駅、センター街の大型ビジョンなどでの広告展開は、建築を志す学生やファンだけでなく、一般の方への情報発信として大きな役割を果たしたと思っています。また、協働できる機会があればうれしいですね。
大木 ありがとうございます。私の収穫は、デベロッパーとしてさまざまな再開発事業の旗振り役となる一方、ときにはいちキャストとして陰ながらまちづくりを支える、という当社のスタンスを知れたことです。今回の展覧会に当社は「事業推進」という立場で関わらせていただきましたが、「東急のイベント」として意識したお客様は決して多くなかったのではと思います。当社が「黒子」になることでまちが盛り上がり、結果として渋谷や東急線沿線の価値向上につながればいいよね、というのが、多くの社員の共通理解になっているんですよね。手前味噌ですが、泥臭くも素敵な社風だと思っています。入社前は、東急に対してキラキラしたイメージを持っていたのですが(笑)、良い意味で裏切られました。今後、不動産開発はもちろん、鉄道事業など、さまざまなシーンで建築事務所さんと仕事をする機会があると思いますが、前川さんたちとの協働経験を糧に、一歩一歩取り組んでいきたいと考えています。
展覧会に携わった内藤廣建築設計事務所のスタッフたち(上段左より:仮屋さん、松田さん、坂田さん/下段左より:小田切さん、前川さん、東急 大木、山﨑さん)。
また、当日欠席だったスタッフの佐藤さんに加え、総勢数十名のアルバイトの学生たちが、模型制作に尽力した