あの駅で降りたら

「“わたしのはじまり”の場所、祐天寺」あの駅で降りたら|文・ひらいめぐみ

Urban Story Lab.

2025/11/18

東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。

今回は、作家・ライターのひらいめぐみさんが、祐天寺駅をテーマに執筆します。

どこかのんびりとした空気が流れる祐天寺駅前。
コインランドリーで朝マックを食べるおじさんとの出会い、パートナーと通った寿司屋や町中華など、日々の暮らしのなかで、まちへの愛着が少しずつ育まれていきました。
そして、文章を書くことをはじめたのも、このまちだったといいます。

久しぶりに祐天寺を訪れたひらいさんが思い出したのは、駒沢通りを歩いていたあの頃の自分。
書くことでつながり、祐天寺でひらかれていった“わたしのはじまり”を、そっとたぐり寄せます。

ひらいめぐみ
1992年生まれ、茨城県出身。作家・ライター。7歳からたまご(の上についている賞味期限のシール)を集めている。著書に『転職ばっかりうまくなる』、『ひらめちゃん』(ともに百万年書房)、『おいしいが聞こえる』(角川春樹事務所)。
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山手線の駅を塗りつぶし、書くことでつながる夜

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深夜0時過ぎに帰宅して、いつも駅前の東急ストアで買う半額のうどんをかき込んだ後、電気のついていない寝室で、わたしは山手線の駅の中にある「四角」をぬりつぶしていた。ベッドにPCをのせて駅名を検索し、漢字の四角くなっている箇所を探す。どうしてそんなことをしていたのか、自分でもよくわからない。ただ、何かを数えることで、心を保っていた気がする。

寝室は駒沢通りに面していて、車が走る音、歩きながら帰宅する若者たちの声が、ほどよいBGMになっている。山手線には、ぬりつぶせる漢字が使われた駅名が多い。「五反田」なら「五」で1つ、「反」で1つ、「田」で4つ、合計6つだ。日暮里なんて11か所もある。ひとつひとつ駅名のぬりつぶせる箇所を数え、ブログサービス「note」の下書きにまとめていく。

どんな経緯で山手線をぬりつぶしはじめたのか、正直あまり覚えていない。上司からパワハラを受け、連日深夜に帰宅し、いつ心がぽっきりと折れてもおかしくない状態だった。もしかしたら、とっくに折れていたのかもしれない。ただ、つらいだけの毎日にしたくなかった。それで、文章を書くようになった。文章を書いているときだけは、「たのしい」と思える。

記事を書き終えてPCを閉じると、深夜1時をまわっていた。明日も仕事なので、シャワーを浴びてすぐに寝ないといけない。外にはまだ、人の気配が行き交っている。

コインランドリーおじいさんとの出会い、祐天寺が好きになる

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山手線でもっともぬりつぶせる箇所の多い日暮里から、祐天寺へ引っ越してきたのは、2019年の秋ごろだった。当時恋人だった現夫・のぞむくんと同棲をすることになり、お互いに通勤しやすい場所を探したところ、祐天寺が候補に上がった。しかし祐天寺はおろか、東横線に降り立ったこともほとんどない。運良く良い物件を見つけ、内見してその場で即決。どんな街かは掴み切れなかったが、各駅停車の駅ならではのこぢんまりした感じが気に入った。地名に「寺」がつくのも、なんとなく治安が良さそうでいい。

実際、祐天寺は治安が悪くなく、急行の止まる駅ほどにぎやかでなく、ほどよく落ち着いている街だった。最低限のものが一通り揃うような街に住んだこともあったが、祐天寺にないものは、隣の駅の中目黒か学芸大学まで行けばたいていは調達できる。しかも、どちらも徒歩で行ける距離だ。最初は新刊書店や100均がないのを不便に感じていたが、住むにつれて、むしろ徒歩圏内でいろんな街に行けることの便利さにありがたみを感じるようになった。

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 引っ越して数日経った頃、本屋のバイトへ出勤するため駅へと向かうと、途中にあるコインランドリーでおじいさんが洗濯をしていた。よく見ると、洗濯機を台にしてマックを食べていた。コインランドリーで朝マック!椅子もテーブルもない、大人2人が入るといっぱいになるくらいの小さなコインランドリーを使いこなしている街の達人を見て、もうすでにこの街のこと好きかもしれない、と思った。急行が停まらず、駅前も騒がしくない祐天寺は、なんだか暮らしに“余白”がある街だった。おじいさんの過ごし方も、その空気を象徴しているように思えた。それ以来、おじいさんがコインランドリーで朝マックを食べる光景を目にするのが出勤日の日常風景になった。

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半年ほど経ち、この街にも住み慣れてきた頃、わたしは本屋から商業施設へと転職した。2020年の3月、コロナウイルスが流行し始めた頃だった。渋谷方面へ向かう電車はいつもぎゅうぎゅうだったのに、車内はがらがらになり、暗黙のルールでひと席ずつ空けて座るようになっていた。さらに転職して出勤時間が変わったことで、コインランドリーでおじいさんを見かけることもなくなった。

お気に入りの店と、ふたりの暮らしと、駒沢通り

コロナが蔓延してから臨時休業するお店もあったが、変わらず営業を続けている店もあり、仕事で疲れて自炊がほぼできなかったわたしは、のぞむくんと一緒にいろんなお店へ行った。当時はふたりともそこまでお金がなかったけれど、フリーランスになったばかりののぞむくんは、ときどきまとまったお金が入ると「寿司を食おう!」と言って、「紋ずし」に連れて行ってくれた。

このお店で、赤酢のシャリの存在を知った。カウンターに並んで座り、おいしい、おいしいと感動しながら食べていると、大将らしきお店の人が魚の説明をしてくれる。なかでもおもしろかったのが、ホタテの話だ。「ホタテってねえ、水の中で飛ぶんですよ」。聞く話によれば、開いた貝殻を閉じる勢いで、水の中をぴゅーんと飛ぶのだそうだ。貝といえば岩に貼り付いていたり、砂の上や下でもぞもぞしているとばかり思っていたので、俊敏に飛ぶホタテが全然イメージできなかったが、どうやらほんとうらしかった。家に帰ってYouTubeで調べてみたら、想像の5倍速い勢いで飛んでいた。

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「来々軒」も通っていたお店のひとつだ。駅の近くにはマクドナルドや牛丼チェーン店などがあるが、ありとあらゆるチェーン店を差し置いても、来々軒の提供スピードはダントツで早い。ホタテの飛ぶスピードと競えるくらい早い。注文を言う前から作っていたのではないか?と疑ったことは一度や二度ではない。

「ラーメンをください」と言った数分後には、目の前にラーメンが置かれている。そして、とにかく量が多い。食べ終わる頃には「次は少なめで頼もう」と思うのに、おいしそうな料理名が並ぶメニューを眺めているうちに、「今日はたくさん食べられるかも」と錯覚してしまう。なにを頼んでもおいしいお店が駅の近くにあるのはありがたかった。

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あの頃のわたしと、駒沢通りで再び出会う

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祐天寺での暮らしを振り返ると、駒沢通りを歩いていたときの情景ばかりを思い出す。お昼ごはんを食べに、学芸大学のカレー屋さんまで行った休日のお昼過ぎ。考えごとをしたくて、中目黒駅から歩いて帰った夕方。思い立って代官山の蔦屋書店まで出かけに行った夜。初詣をしに、明顕山 祐天寺へ行った深夜。駒沢通りを歩いていると、どこにでも行けるんじゃないかと錯覚しそうになる。仕事のしんどさが日に日に増していき、逃げ場がないと感じていてもどこか楽観的でいられたのは、駒沢通りが日常にあったからかもしれない。

パワハラを受けていた会社を退職し、もう一社で会社員を一年と少し経た後で、フリーランスになった。その間に、祐天寺を離れ、別の街へと引っ越しをした。独立してからはライターとして取材記事や企業のメールマガジンなどの仕事をしながらエッセイの本を自主制作し、それ以降出版社から本を出したり、エッセイの寄稿をしたりしている。

新刊が出るタイミングで、そろそろちゃんとしたプロフィール写真を用意できるようにしておこうと、友人であり、一緒に仕事をしたこともあるカメラマンの土田凌くんにお願いをすることにした。土田くんは快く引き受けてくれて、「どこか撮りたい場所はある?」と訊いた。地元、今住んでいる街、いちばん住んだ期間が長かった街。引っ越しは何度かしているので、いくつもの街が候補として浮かぶ。何日も考えて、だけどここしかないだろうと思った。自分の文章を書きはじめた、はじまりの場所。

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駅からいくつものお店が並ぶ通りを抜けて、お肉屋さんの角に入り、住宅が並ぶ道を歩いていくと、駒沢通り沿いに見える、白いマンション。自転車のスピードで走り抜ける鼻歌、窓に当たる木の枝と葉っぱが擦れる音、すりガラスに反射する車のランプ。文章だけで食べていくことなんて想像もしてなかった昔のわたしと、今のわたしが、駒沢通りで交差する。報われるとか報われないとかじゃなく、儲かるとか儲からないとかじゃなく、ただ、たのしいからと書きつづけてくれたあの頃のわたしがいて、今のわたしがいる。ありがとう。歩きつづけてくれて。自分のこと、諦めないでいてくれて。土田くんがカメラのシャッターを切る音が響いた瞬間、俯きながら歩いていた昔のわたしが、ぱっと振り向いた気がした。

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文/ひらいめぐみ
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

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まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。

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