麺day

すする度に感じられる自然素材の旨味。矢口渡で「もちもちワンタン麺」を味わう

Urban Story Lab.

2025/7/29

麺をすする行為はまるで深呼吸のよう。静かに息を吸い、リラックスして麺をすする。そして「ふぅ〜、美味しい」とひと息つく時間が、日常の疲れを和らげ、心に新たな活力をもたらしてくれるのです。

ラーメンに、そば、うどんなど、東急線沿線の街角には、疲れた心にそっと寄り添う「麺」のお店が数多くあります。
本企画「麺day」では、そんなリラックスできる麺料理とのひと時をテーマに、東急線沿線の麺にまつわるお店をショートストーリーでご紹介します。

高橋まりな
三度の飯より酒が好きなライター。主戦場は赤提灯酒場。1人でも多くの人と盃を交わすための我が人生。合言葉は「約束はいらない、酒場で会おう」。
X:https://x.com/f_y_takahashi

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心地よい街並みの中で、主人公が訪れる麺のお店と、そこで味わう小さな幸福を皆さんにお届けする「麺day」。第4弾となる舞台は矢口渡駅。ライター・高橋まりなが麺をすすり、想像をふくらませながら文を綴ります!
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白く透き通ったラーメンのスープ。きらきらと輝くそのスープをひと口飲むと、幾重にも重なった出汁の深い味わいが、ぐっと私の心を掴む。
打ちたての自家製麺は、何度見ても惚れ惚れしてしまう、しなやかで美しいストレート麺。
私の「麺day」、今日も始まります。

穏やかな商店街を抜け、多摩川の河川敷で心地よい風を浴びる

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私は、大田区の「矢口渡(やぐちのわたし)」で生まれ育った。

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一風変わったこのネーミングは、1949年頃まで駅の近くにあった多摩川の渡し船のひとつ「矢口の渡し」に由来するらしい。

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長年この街に住んでいるので、すれ違う人は見知った顔ばかり。「こんにちは!」と挨拶をして、個人商店やスーパーが立ち並ぶ「矢口の渡商店街」を抜ける。

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こうして約15分ほどてくてく歩くと辿り着くのが、多摩川の河川敷だ。ここは、私のお気に入りスポット。犬を連れて散歩する人や、鳥の群れ。その時々によってさまざまな光景と出会えるのが面白い。

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人々の何気ない生活の縮図が垣間見えるので、なんとなくパワーが欲しいとき、よくここに来る。晴れていても曇っていても、川沿いの風を浴びると自然の息吹を感じられ、心が穏やかな気持ちに満たされる。身近だが、特別な場所だ。

まろやかな出汁の旨みに、しなやかな自家製麺。具材が詰まったワンタン

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「こんにちは」
「おお、いらっしゃい」

河川敷の散歩を終えると、ついつい立ち寄ってしまうラーメン屋さんがある。
それがここ、「中華soba いそべ」だ。

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いつものように食券を買い、いつものメニューを注文する。
でも、いつもとひとつだけ違うことがある。それは、今日をもってこの地を離れること。

昔、「タクシーの運転手が、乗客のさまざまな人生の話を聞きながら夜の街を走る」という映画を観たことがあった。ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキと、移り変わる街の風景と人間模様。その作品の影響で、「国内を飛び越えて、もっといろんな人の考え方に触れる機会をつくりたい」と思い続けてきた。そこで、20代最後の挑戦として、ワーキングホリデーに行くことを決めたのだ。

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思い返せば、中学生から高校生、高校生から大学生、そして大学生から社会人になるまで。
私の人生のそばには、常にこのラーメン屋さんがいてくれた。それは私だけではなく、矢口渡に住む人ならば皆同じではないだろうか。

そんな「中華soba いそべ」の店主は礒部さん。その始まりは、50年以上前に遡る。礒部さんのお祖父さまは元々、新橋で中華料理屋「寶萊軒(ほうらいけん)」を営んでいた。その後、礒部さんのご両親が矢口渡にお店を受け継ぎ、お父様が亡くなったのを機に、ラーメン専門店としてこの地でリニューアルオープンを果たしたそうだ。つまり、礒部さんは3代目店主。今は、ご夫婦2人でお店を営んでいる。

「ラーメン屋さんって、女性が入りづらいときもあるじゃない?だから、女性をメインターゲットにしたラーメンをつくりたかったんだよね」

昔、礒部さんはこうも言っていた。そういえば、10席ほどの店内は全員女性で埋まっていることも少なくない。店内は、まるで料亭のような清潔感が漂っており、一瞬ラーメン屋さんだということを忘れてしまう。

「お待たせしました」

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「いつもの」ラーメンを前にすると、毎度のことながら嬉しい気持ちになる。私の定番(そしていそべの定番メニューでもある)、『白旨 特製ワンタン麺(1,150円 税込)』。

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てるてる坊主型のワンタンは、二度挽きした豚肉に生姜の風味が効いた「肉」と、包丁で叩いてプリプリ感を残した「エビ」の2種だ。どちらも具材の旨みがぎゅっと閉じ込められており、ワンタンのもちもち食感が癖になる。

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醤油は、薄口醤油ではなく小麦を主原料とした「白醤油」を使っており、まろやかな風味と独特な甘味が感じられる。丸鶏、豚内モモ、鰹節、うるめ節、羅臼昆布、干し椎茸......化学調味料は一切使わず、自然の食材から旨みを抽出した出汁は、礒部さんがこだわり抜いた努力の結晶だ。

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麺は中華料理屋時代から続く伝統を受け継いだ自家製麺。北海道産の小麦だけを使用しており、歯切れの良い食感の麺は、端正な味わいのスープと相性抜群!

トッピングされた柚子や糸唐辛子、豚と鶏のチャーシューと合わせ、何層にも折り重なった旨みが訪れる。毎回、新鮮に「万歳!」と言いたくなる気持ちを、ぐっとこらえる。

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スープは飲み干せるほど美味しいのだが、少しだけ残しておいて、『しめごはん(150円 税込)』にかけて、お茶漬け風に。

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柚子の爽やかな残り香や、白醤油のふくよかな甘味がギュッと詰まった鮭茶漬けの完成!ご飯にたっぷり出汁をかけていただくと、すごく贅沢な気持ちになれる。

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罪悪感なくごくごく飲み干せるスープと共に、ご馳走様でした。

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お店はちょうど、閉店の時間。

「今日も美味しかったです」

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もうしばらく食べられなくなる味。そんな時、礒部さんとの何気ない会話が脳裏に浮かぶ。

「僕は、50代半ばからラーメンの道を踏み出したんだよ。『残り少ない人生、新しいことに挑戦してみたい』ってね。池尻大橋の『八雲』っていうラーメン屋さんでいちから修行を始めたの。自家製麺にはずっとこだわりつつ、研究を重ねて自分ならではの味をつくっていった」

「そこから、本当にいろんなお客さんに出会えたんだ。『ここにいそべがあって良かった』って言葉をくれた人もいてね。嬉しいことだと思うよ」

その言葉は、イキイキと厨房で働く笑顔が素敵な奥様の表情や、他のお客さんがラーメンを食べる表情、何より礒部さんの様子から、ひしひしと伝わってくる。

きっと、新天地ではうまくいくことばかりじゃない。慣れない地でホームシックになることがあるかもしれないし、新しい課題が出てくることもあるだろう。

それでも、ちょっと先の小さな楽しみがあれば、きっと頑張れる。どうにか、なる。いそべの温かいラーメンを食べて、ほかほかの湯気に包まれる特別なひと時が、私には待っているのだから。

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いろんな人に会って、話を聞いて。いそべのラーメンの出汁のように、何層にも重なる深みを蓄えて、また食べにこよう。そのときは、ちょっぴりパワーアップした私でいられますように。

いつまでも手を振ってお見送りをしてくれる、礒部夫妻。ふたりの背後を、きらきらと輝く西日が照らしていた。

※店主の礒部さんへの取材を元に、実際のエピソードを脚色しています。

【店舗紹介】

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中華soba いそべ

2016年1月15日にラーメン専門店として開店。池尻大橋の名店・八雲で修行を重ねた店主・礒部亨氏が手がける中華そばが名物。4種の醤油を使ったキレのあるコク深い味わいの「黒旨」と、白醤油の甘みが効いた「白旨」が基本メニュー。他に、レモンを絞り、薬味をつけながらいただく爽やかな味わいの「特製つけsoba」も。

・住所:東京都大田区多摩川1-20-14
・電話番号:03-3759-2568
・営業時間:月・金 11:30〜14:30 火・木・土・日 11:30〜14:30, 18:00〜21:00
・定休日:水曜

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文/高橋まりな
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

掲載店舗・施設・イベント・価格などの情報は記事公開時点のものです。定休日や営業時間などは予告なく変更される場合がありますのでご了承ください。

Urban Story Lab.

まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。