
東急線沿線の駅にまつわる人やお店、エピソードを、東急線沿線にゆかりのある方々にエッセイ形式で執筆いただく本企画「あの駅で降りたら」。
今回はライター・編集者の早川大輝さんが、世田谷線・世田谷駅をテーマに執筆。
1年ほどの仮住まいのつもりで選んだそのまちは、気づけば日々がじんわりと染み込んで、離れがたい場所になっていました。
世田谷線の駅の距離の短さやレトロな車両、商店街の素朴なにぎわい。都心とは少しちがう時間の流れが、静かに暮らしたい人の心にすっと入り込んでくる。
“出ていくつもりだったまち”・世田谷駅と、そこで見つけた穏やかな日常についてのエッセイをお届けします。
早川大輝
1992年生まれ。フリーランスの編集者・ライターとして活動しながら、最近はYouTubeのディレクターも。企業のオウンドメディアのほか、ドラマ・お笑いなどのエンタメや食にまつわるコンテンツ制作を行う。餃子の食べ歩きが趣味。
Instagram:https://www.instagram.com/uron_oolong/
人混みが嫌いな人間が、なぜか住んでいた下北沢
初めて一人暮らしをした街は下北沢だった。
当時、転職した会社が下北沢にあったことが直接の理由ではあるものの、演劇が好きだったこともあり、小劇場が多い下北沢に住むことには何ら不自然なことがなかった。
ただ、それは趣味の話であって、見た目が馴染んでいたつもりはなかったのだけど、「下北沢に住んでます」と伝えると8割くらいの確率で「めちゃくちゃ下北沢ぽいですね……笑」と返ってくる。下北沢の駅前で待ち合わせをすると、友人が僕と間違えて全くの他人に話しかけているシーンを何度も見かけた。それくらい下北沢という街に馴染んでいたからなのか、自分でもいることが自然すぎて、気付いたら6年も住んでいた。
そんな下北沢も、2022年前後になると再開発によってさまざまな商業施設がオープンしたことで人の流れが変わり、なんだか僕には居心地が悪くなってきた。もともと若者が多い街ではあったけど、コロナ禍を挟んだからか、街にイキイキとした若者が溢れるようになった光景に想像以上に面食らってしまったのだ。
ああ、自分はもう若者ではないのだなと、当時31歳で思うにはまだ早かっただろうけど、兎にも角にも、僕は逃げるように下北沢から出ていくことになった。そもそも人混みは嫌いだし、下北沢は住む場所じゃなくても良い、とブツブツ言いながら。
そうしてたどり着いたのが、世田谷線が通る、世田谷という街だった。
世田谷線に乗ってみたかった
本当は下北沢より人が少なくて、交通の便も悪くない、かつ程よく文化的な空気のある街がいいなと思い、世田谷代田から梅が丘、豪徳寺、経堂で部屋を探していた。
勘の良い人ならこの時点で気づいているかもしれない。この期に及んで僕は、「交通の便」も「文化的な空気」も下北沢から拝借しようとしていた。往生際が悪い。でも、6年も住んだ好きな街だし、何よりも下北沢は交通の便が良すぎた。編集者として、さまざまな街や会社に取材に行くため、3路線が使えて、かつ新宿にも渋谷にも10分以内で出れる立地は手放すには惜しかったのだ。
ところが、そんなことを考えていた僕も、世田谷線の存在にまんまとやられてしまうことになる。出会いは、小田急線エリアからその近隣エリアまで範囲を広げ、世田谷線沿いの物件を内見しに行ったとき。
世田谷線は、三軒茶屋駅と下高井戸駅をつなぐ路面電車で、端から端まで乗っても約18分しかかからない。駅に降り立って初めて気づいたが、各駅の距離が短すぎて、ホームから次の駅のホームが視認できる。さすがに近すぎるなと、笑ってしまうくらい。
2両編成しかないこぢんまりとした電車が、前の駅から向かって来る様子をのんびり眺めて待つ時間は、素朴だけど贅沢だなと思った。
世田谷線は何よりも、かわいいに尽きる。青や緑、赤や黄色など車両ごとに異なる全10色のレトロなカラーリングに加えて(幸福の招き猫電車というラッピング電車もある)、コロンとした車体のフォルム、それが2両編成で駅間距離1キロメートルもない路線をゆっくり走っているのだ。その穏やかさたるや。
すっかりときめいてしまった僕は、「世田谷線に乗ってゆっくりと生活する時間を、人生の中で一度くらい経験してみたい」という気持ちが沸き起こり、世田谷線沿いに住むことを決めた。
世田谷 of 世田谷
「え? 世田谷っていう駅があるの?」
「超おしゃれタウンに住んでるんですか……?」
「世田谷区世田谷」に住んでいると伝えると、返ってくる言葉。みんな、世田谷区のことは知っていても、世田谷のことは知らないのだ。なぜか、世田谷区にまつわるイメージを凝縮したものが「世田谷区世田谷」にあると想像する人が多い。
正直なところ、世田谷という街はまったく都会的ではない。そもそも世田谷線には都会的なイメージがない。けれども、世田谷駅を中心に上町駅や松陰神社前駅までを含むこの生活圏には、チェーン店が極端に少なく、個人店が点在している。ふと、知らない道を歩いてみると新しいお店を発見できる、という楽しみが常にあるので、決して刺激が少ない街ではない。
12月から1月にかけて「ボロ市」という大きなイベントが4日間開催される。世田谷という街が人でごった返す日だ。朝、まちから賑やかな気配がする、という理由で目が覚めたのは初めてのことで。初めこそテンションが上がって見に行ったが、「ボロ市通り」という通りに隙間なく人を敷き詰めたような光景に「人混み嫌いセンサー」が正常に作動して「1回でいいかな」と思った。
それ以来、ボロ市の期間になると、朝から世田谷を脱出している。世田谷に住んでいるのにボロ市に行かない人間なんて、少数派なような気はするが、別にそういう人が住んでてもいいだろうとも思っている。
それに、ボロ市の開催期間以外は、世田谷が人にあふれることはほとんどない。人混みができることはほとんどなく、かといって人が全くいないわけでもない。このバランスが、ちょうどいい。
世田谷線沿いは駅間距離の短さのおかげで、5〜10分も歩けば次の駅に着く。三軒茶屋で飲んだ日なんかは、酔い覚ましを兼ねていつも歩いて帰るのだけど、静かな世田谷通りをだらだらと歩く時間が、結構気に入っている。
しかも、世田谷は高い建物がないので景色の抜けが良い。マンションの5階にある僕の部屋は、遠くまで広く抜けている、その眺望が決め手の一つだった。
本当は1年くらいで出ていくつもりだったけど
世田谷に暮らし始めて半年もしないときに、当時5年弱付き合っていたパートナーと別れた。世田谷という街にも慣れてきた頃だった。
一緒に行こうと思っていたお店がたくさんあって、食べてほしいと思っていたものがたくさんあって。それらは全部叶わなかった。
「行った旅行も思い出になるけど、行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか」っていうドラマ『カルテット』のセリフを思い出し、まあ確かにね、これは後悔じゃなくて、これもこれで楽しい思い出だよなと思い直す。
それくらい、世田谷は良い街だったのだ。大切な人を呼びたいと思うくらいには、世田谷という街を気に入っている。
本当は1年くらいで出ていくつもりだった。世田谷線沿いで穏やかに暮らすということはやれたし、不便というほどではないけど便利ではないこの街に、ずっといるつもりでやってきたわけではない。
ところが、住んでみると世田谷は、思っていた以上に穏やかで、居心地の良い街だった。深夜遅くまでやっている居酒屋は少ないけど、その数少ない選択肢からどのお店にするか選ぶのは楽しいし、実は深夜遅くまでやっているカフェがあるのは助かる。お客さんが来ないと20時でも閉めてしまうマイペースでゆるいお店もあるけど、僕はそのお店の店主さんも店員さんも好きだし、何よりも料理が本当に美味しい。そうやって、好きなお店、通ってしまうお店がどんどん増えていった。
また、不思議なことに、偶然、両手で数えきれないくらいの知り合いが近所に住んでいる。これは住んでみてから知ったことで。おかげで、生まれて初めて、ご近所付き合いというものをしている。フードコーディネーターをしている友人と、フォトグラファーをしている友人とは、定期的に飲み会を開き、「世田谷会」と称して、たまにゲストを呼んでいる。松陰神社前に自身のお店を開いた友人のところには散歩がてらよく顔を出すので、この前は「お客さん全体の中で2番目にお店に来てくれてる」と言われた。
近所に新しいお店ができたら、みんなで情報を共有し合う。今までは近所で起こった出来事を誰かに話すことなんてあまりなかったけど、いまは共通言語を持つ知り合いがたくさんいるので、街の情報を自然とキャッチするようになった。
いつか離れることすら楽しみにして
先日、今の部屋を更新した。僕は1年くらいで出ていこうとしていた街に2年住み、まだ住もうとしているらしい。
大きな事件は起きないけれど、小さな変化はたくさんある。そんな街の空気感が、自分の気質と合っているのかもしれない。淡々と、淡々とした生活がここにはある。
今でも演劇を観に行くときは下北沢に行くけれど、それ以外の用事で行く機会はグッと減った。それでも、たまに行くと「まあ、やっぱ好きな街だな」とは思う。きっと「好き」という気持ちは案外、自分の中だけじゃなくて外にも保存されていて、拾い上げると「やっぱり好きだったな」と思い出せるもんなのかもしれない。それは感傷とかではなく、純粋な感情が冷凍保存されたようなものとして。
世田谷からもいつかきっと、出ていくときが来る。いまは居心地が良すぎて出る気が起きないけど、なんとなく、ずっとはいない気がしている。それでも、世田谷で過ごしている今の感情が、街のあらゆるところにすでに落ちていて、これからも増えていくのだろうと思う。いつの日か、またそれを拾い上げる日のことを楽しみにして、まだまだ世田谷での生活を、穏やかに過ごしていく。
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文 /早川大輝
写真/Ban Yutaka
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)
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Urban Story Lab.
まちのいいところって、正面からだと見えづらかったりする。だから、ちょっとだけナナメ視点がいい。ワクワクや発見に満ちた、東急線沿線の“まちのストーリー”を紡ぎます。