駅境で会いましょう

〜田園調布駅と多摩川駅の境目を歩く〜駅境で会いましょう

Urban Story Lab.

2025/7/22

人にいろんな個性や特徴があるように、駅にも個性や特徴はあります。学生が多い駅や、親子連れが多い駅、サラリーマンが行き交う駅、大きな駅、古い駅、電車がたくさん停まる駅、静かな駅……そういった駅の個性は、街並みにも自然とあらわれるのではないでしょうか。

そして、そんな駅と駅の真ん中ぐらいには、どちらの駅でもなく、どちらの駅でもある、まるで海水と淡水が混ざり合った汽水湖のような「駅境」といえる場所が存在しているのではないか?

駅と駅のちょうど真ん中あたりはどうなっているのか、駅境を探してみたいと思います。

西村まさゆき
ライター。移動好き。境界や境目がとても気になる。地理、歴史など社会科に関連する著書が多い。著書に『日本の路線図』(三才ブックス)/『たのしい路線図』(グラフィック社)/『ふしぎな県境』(中公新書)/『ファミマ入店音の正式なタイトルは大盛況に決まりました』(笠倉出版社)/『地図でめぐる日本の県境120』(イカロス出版)

田園調布駅と多摩川駅の間に何があるのか

田園調布といえば、高級住宅街。というのは言うまでもないですが、その隣駅が多摩川駅だとはあまり意識されてないかもしれません。田園調布駅と多摩川駅の真ん中あたりはどんな感じなのでしょうか。田園調布駅と多摩川駅まで町を歩きつつ、その境目を探してみましょう。

まずは田園調布駅にやってまいりました。

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田園調布駅(旧駅舎)こちらです

1923(大正12)年、東急電鉄の前身である目黒蒲田電鉄の「調布駅」として開業した田園調布駅。建設当時の駅舎はヨーロッパの古い民家を模して作られました。1990(平成2)年、この旧田園調布駅舎は、駅地下化により取り壊されたものの、地元の要望により2000(平成12)年に復元されました。

旧駅舎の前には噴水のあるロータリーがあり、そこに詳しい経緯が書いてあります。

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田園調布の由来が記された石碑

2024年から使用が開始された新一万円札の肖像に採用された渋沢栄一。田園調布の街の成り立ちは、彼を抜きにして語ることはできません。

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渋沢栄一

大正時代、第一次世界大戦の大戦景気により、東京に人口が集まり始めました。さらに、物価が高騰し始めると住宅価格も上昇し、東京の都心部だけでは住宅が足りなくなってきます。

当時の東京都心部であった東京市(現在の千代田区、中央区、文京区、港区、江東区、台東区、新宿区の一部)から外側の郡部(現在の世田谷区、足立区、江戸川区、杉並区、板橋区など)に向かって、人々は住宅を求め、住み始めるようになります。

しかし、農村部を性急に整えただけの宅地は、上下水道や道路といったインフラの整備が追いつかず、決して良いとはいえない住環境でした。

そこで、渋沢はイギリスの都市計画家エベネザー・ハワードの提唱する「ガーデンシティ」の考え方を取り入れた「田園都市」の建設を構想します。

ハワードの唱える「ガーデンシティ」とは、過密な都心部周辺に住職接近した衛星都市を建設する……といった都市計画の考え方ですが、渋沢のいう「田園都市」は「農村と都会を折衷した田園趣味の豊かな街」を意味していたといわれます。

渋沢はこの田園都市構想に共鳴する人たちを集め、1918(大正7)年に田園都市株式会社を設立。都心部につながる鉄道路線の整備と田園都市の理想に基づいた宅地の開発に取り組みます。

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田園調布の町並みを眺める

田園調布の街は、東横線の線路によって東西に別れていますが、西側はサンフランシスコの都市計画などを参考にした「エトワール(フランス語で星)」とよばれる半円形の街路によって区切られています。

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駅から西に向かって真っすぐ伸びる通り
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南北の道はゆるやかにカーブしている

分譲が行われた当時、敷地に建てる建物にも「建築についての希望」という規則を示し、そのなかで「他人の迷惑となるような建物を建造しない」「障壁を設ける場合も瀟洒雅なものにする」「高さは3階以下」「建物敷地は宅地の5割以内」など、無秩序な建物が建築されないよう気を遣いました。

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街路樹と緑が豊かな障壁をもつ住宅

また、購入した土地での商売も制限したので、特に田園調布駅西側には、現在もロータリー周辺の数件の飲食店を除くと商店はほぼありません。

谷に沿って開かれた住宅地

大きなお屋敷が静かにたち並ぶ田園調布駅周辺ですが、住宅地の奥に入っていくと、かなり大きな公園が見えてきます。

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宝来公園横の急坂

その横に急な下り坂が見えます。公園自体も全体的に西側に向かって下り坂になっています。

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公園の下側から上を望む

ここは、丘の上にあった駅からかつて川があった谷底につながる崖の上に作られた公園です。

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川があったと思しき谷底
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円形の道路に沿って谷が確認できる

この谷筋に従って、多摩川駅まで歩いてみましょう。

このあたりは、崖に沿って平行に道が作られているので、駅前の地区とは印象が変わり、1階にガレージ・2階に玄関がある作りの建物が多く見られます。

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崖に沿って建てられた住宅
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玄関とガレージを結ぶ道

1階のガレージと2階の玄関を結ぶ道は、こんな急階段です。
田園調布のお屋敷といえば、広い庭に立派な家……のイメージがありますが、このあたりまで来ると、建物の様子が変わってきます。

しばらく歩くと、大きな教会が見えてきました。

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カトリック田園調布教会

カトリック教会として1930年代に設立された教会ですが、建物自体は1955(昭和30)年の建造だそうです。

教会の脇から東横線の線路に向かって、多摩川駅の方へ進みます。

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カトリック教会横の交差点

カトリック教会横の坂を下りきると、街並みがなんとなく変化したように見えます。

看板や電柱の広告が出ている。というのがまずひとつ。そして、生垣や塀といったものがない建物が建っている。というところでしょうか?上記の写真だと、左側の街並みにそんな雰囲気があるように見受けられます。

これは、用途地域が変わっていることも大きいかもしれません。

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写真の十字路(真ん中の十字)は、用途地域の境界だった

写真でいうと、道路を挟んで右側が「第一種低層住居専用地域」で、左側が「第一種住居地域」です。

第一種低層住居専用地域は、店舗や事務所の建設は不可で、建物の高さや建ぺい率も規制されています。
一方、第一種住居地域は、店も事務所も規模の小さいものならばOKで、建物の高さや建ぺい率も住居専用地域に比べると規制がゆるくなっています。

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用途地域の境界線

まさに、ここが田園調布駅周辺の街並みと、多摩川駅周辺の街並みの境界のような場所と言えるのかもしれません。

多摩川駅に田園調布が多い?

というわけで、多摩川駅までやってきました。

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多摩川駅です
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田園調布せせらぎ公園

多摩川駅の東側には田園調布せせらぎ公園という大きな公園があります。この公園は1979(昭和54)年まで営業していた「多摩川園」という遊園地の跡地です。古い地図を見ると、多摩川駅の名前が「多摩川園前」だったことが確認できます。

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「たまがわえんまえ」となってる地図

遊園地だったころの面影ははっきりわからないのですが、公園内に残る長い階段が「大山すべり」という滑り台跡だと言われています。

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1955年撮影の大山すべり
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大山すべり跡と言われている階段

ところで、多摩川駅周辺を注意深く見てみると「田園調布」を名乗っているものがけっこうあります。

くだんの田園調布せせらぎ公園はもとより、町内会の名前も田園調布。病院も田園調布、そしてよくよく見てみると、そもそも住所も「田園調布」なのです。

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田園調布せせらぎ公園も「田園調布」
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町内会の名前は「田園調布協和会」
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多摩川駅にある「田園調布中央病院」
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そもそも住所が田園調布一丁目です
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田園調布駅周辺に田園調布を名乗る建物はあまりない

田園調布駅に田園調布を名乗る建物が少ないというのは、一般に「高級住宅街」と認識される田園調布三丁目周辺には、戸建ての住宅ぐらいしかないからなのではないでしょうか。
大正時代に田園調布株式会社が分譲した土地は、現在の田園調布三丁目周辺。田園調布一丁目や田園調布本町は、周辺の地主が田園調布の分譲に合わせて整備した宅地でした。

住所の「田園調布」という地名は、「田園調布駅」という駅名に合わせて1932(昭和7)年に名付けられたもので、元々このあたりは「中丸」や「旭野」などと呼ばれていました。

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左側が造成前の地図。調布村、中丸、旭野などの地名が見える(今昔マップ)

つまり、住所でいうところの「田園調布」においては、実は境目はない。ということになるかもしれません。

神社と古墳

大正時代以降に造成され、新しく人が住み始めたイメージが強い田園調布駅周辺に比べると、多摩川駅周辺は、古くから人が住んでいたのではないかと思わせるスポットがいくつかあります。

まずは「多摩川浅間神社」です。

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多摩川浅間神社の入口

鎌倉時代初期の創建と言われ、源頼朝を追ってやってきた北条政子が、身につけていた正観世音像をこの丘に祀ったことが縁起として伝えられています。

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多摩川浅間神社こちらです

かなり急な階段を登りきると、眼の前に多摩川の広々とした風景が広がります。

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武蔵小杉のタワマンがよく見える
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丸子橋もよく見える

実は、多摩川浅間神社のこの展望台。2016年の映画『シン・ゴジラ』で、自衛隊が指揮所を設けた場所です。あの丸子橋を映画内ではゴジラがポーンと投げて破壊していたわけです。

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境内の自動販売機がシン・ゴジラ仕様となっています

さて、この多摩川浅間神社ですが、地形がよく分かる地図で周辺を見てみましょう。

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多摩川駅周辺の地形(赤色立体図を使用)

多摩川浅間神社は、国分寺崖線とよばれる崖の先にありますが、その後方が線路によって大きく削り取られているのがわかります。その後ろには四角いプールのようなものが見え、さらにその後ろに前方後円墳形の盛土があります。これは亀甲山古墳という前方後円墳です。そしてその北西側、崖の尾根には、連なるように丸い盛土がいくつか続いています。実はこちらも円墳であり、多摩川駅周辺の丘にはこのような古墳がいくつも残っています。

実際にその場所に行ってみます。

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前方後円墳の前にあるプールのようなものは、水生植物園です
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亀甲山古墳。木が生い茂っており、ただの山にしか見えないけれど、ここが古墳です
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亀甲山古墳の案内
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古墳のある丘の尾根に連なる古墳のひとつ。見落としてしまいそうなぐらい小さい

亀甲山古墳は、地形図で見ると立派な前方後円墳に見えますが、実際その場所に行くと、木が生い茂っており、何が何やらわかりません。

とはいえ、なんとなく前方後円墳っぽい盛り上がりだな。ということはぼんやりと感じとることができる気がします。

このあたりに集中している古墳から出土したものを展示している、多摩川台公園古墳展示室を訪ねてみます。

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室内に大きな古墳のレプリカが
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古墳の大きさについてなかなか面白い展示があります
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大仙古墳や応神天皇陵(上段)と亀甲山古墳(右下)の比較。無情ですね

日本で1番大きい大仙古墳や2番目に大きい応神天皇陵に比べると亀甲山古墳はこんなに小さいわけです。とはいえ、4世紀から5世紀ごろに前方後円墳をここに建造できるほどの力を持った人たちが、古代の多摩川や田園調布周辺にはいた……ということは確実に言えるでしょう。

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亀甲山古墳から出土した埴輪

今回は高級住宅街のある田園調布駅と、神社や古墳のある多摩川駅の2つの駅を歩いてみました。

田園調布という地域は、古代には川の侵食でできた崖の尾根に盛土をして、権力者を埋葬し、古墳を作っていた場所でした。その時代から1400年以上の時間が経つと、今度は土地を整理して道を作り、家を建て、社会的な地位のある人々が住むための高級住宅街へと変貌したわけです。

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街路樹で先が見えないぐらい緑に囲まれた田園調布駅

田園調布駅と多摩川駅。

距離にして数キロほどの距離で、電車に乗っても数分で到着してしまう距離の2つの駅。しかし、整然と計画された街路の中に立派な住宅が静かに立ち並ぶ田園調布から谷筋にそって南に進むと、街並みはガラリと変わり、古い神社や古墳がある庶民的な街へと変貌する。それでも住所としてはどちらも同じ田園調布。

街並みの雰囲気の境目はあるのに、地名の境目はない。なんともふしぎな気持ちになれる、そんなエリアでした。

淡水が海水にゆっくりと代わる汽水湖のような雰囲気が、田園調布の街にあるのかもしれません。

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ライター/西村まさゆき
カメラマン/高山諒(ヒャクマンボルト)
編集/菱山恵巳子(ヒャクマンボルト)

掲載店舗・施設・イベント・価格などの情報は記事公開時点のものです。定休日や営業時間などは予告なく変更される場合がありますのでご了承ください。

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