チャーハンの優しい味と、店主夫妻の人柄に誰もが癒される。西五反田の町中華「鳳龍」の魅力
- 取材・文:多田慎介
- 写真:北原千恵美
- 編集:藤﨑竜介(CINRA)
Share
「コロナ禍にふらっと立ち寄った町中華。仕事もなくなり絶望の淵で食べたハム入りチャーハンはいまでも忘れられません」
縁線図鑑の「ご縁投稿」(*1)に、そんなメッセージが届いた。
投稿主が推す町中華とは、東急池上線の戸越銀座駅から歩いて10分ほどの場所にある「鳳龍」(住所は西五反田)。鈴木満さん・幸子さん夫妻が50年以上にわたって営む、味わい深い小さな店だ。
投稿主の「絶望」の詳細については、残念ながら本人と連絡がつかないので知ることができない(*2)が、この店が人を元気づける良質な料理を提供するのは確からしい。10代のころから通い続け店主夫妻を「パパ」「ママ」と呼ぶ大倉考裕さんもまた、この店のイチ押し料理の1つにチャーハンを挙げる。
地域の人々をつなぎ、初めて訪れた人も笑顔にしてしまう鳳龍。夫妻と大倉さんの親しみに満ちた語らいから、多くの人に長く愛されるこの店の魅力を掘り下げてみよう。
*1 縁線図鑑では、人と人の縁を感じられる魅力的なお店の推薦を受け付けています。投稿はこちらから
*2 心当たりのある方はご一報ください
「ただいま〜」「おかえり〜」。家みたいな安心感がある場所
——鳳龍は50年以上も、西五反田で営業していると聞きました。
そうですね。開業したのは、1971年の9月です。夫は秋田から就職のために上京して、数年会社勤めをしてからこの店を開きました。
幸子

当時、僕は26歳。22歳のときに会社を辞めて、池袋、銀座、五反田などいろいろな場所の中華料理店で修業したあとに、独立しました。 西五反田に店を開いたのは、修業時 代によく近くにきていたことも影響しています。
満

私はたまたま同じ秋田の出身でね、高校を卒業したあとに上京して夫と出会ったんですよ。
幸子

へえ、創業時の話は僕も初めて聞きました。
大倉

——大倉さんはこのエリアで育って、10代のころから鳳龍に通っているんですよね。
ええ。きっかけは高校時代に始めた剣道でした。もう20年以上前ですね。 僕がお世話になった地元の道場にはお2人の娘さんも通っていて、よく稽古が終わったあと、先生が生徒たちを鳳龍に連れてきてくれたんです。
大倉

でも私たちは、その前から大倉くんのことを知っているのよ。大倉くんのご両親は以前、戸越銀座でパン屋さんを営んでいたんです。そのころからのつき合いでね。
幸子

うん。彼が幼稚園児のころから見てきたんだよな。
満


あ、そうなんだ(笑)。僕の記憶だと高校時代が最初なんだけどね……。
大倉

——いずれにせよ、高校を卒業してからも通い続けたわけですよね。
はい。大学時代は、とくに頻繁でしたね。「パパ、ママ、ただいま〜」って、ふらっとご飯を食べにきて。
大倉

「おかえり〜」ってね(笑)。
幸子


家に帰ってきたような安心感があるんですよ。気を遣わないで、勝手に空いている席に座って。それに地元のお客さんが多いので、ここにくればだいたい知り合いがいるんです。剣道仲間がいたり、同級生の親御さんがいたり、消防団のつながりで顔なじみの人がいたり。
大倉


——どんな話をすることが多いですか。
やっぱり地元の話よね。お祭りの話題とかが多いかな?
幸子

たしかに! 近くの神社の例大祭の日は神輿(みこし)を担ぐんですけど、そういうイベントの話は盛り上がりますね。ちなみに、当日に神輿を担いで鳳龍の前を通ると、パパとママが「お〜い、ちょっと休んでいきなよ!」って声をかけてくれるんです。
大倉

僕も昔は、お祭りの世話人をやっていたんです。さすがにもう神輿は担げないけど、伝統を受け継いでくれる若い人たちを応援したいんですよ。ここでみんなでご飯を食べて、お酒を飲んでもらってね。
満

以前は店内に広い座敷スペースがあったので、ここで休憩しながら酔いつぶれちゃう人もいましたね(笑)。
大倉

チャーハンは5歳児も魅了。「激辛」が人気のスタミナラーメンはやみつきになる味
大倉さんのイチ推しは、鉄板メニュー「スタミナラーメンと半チャーハンのセット」。彼が10代のころから愛するソウルフードであり、多くの常連客を惹きつけてやまない鳳龍の看板的存在でもある。
——大倉さんにとって、鳳龍のチャーハンの魅力とは。
絶妙な味の加減がたまらな いんですよね。具材は焼き豚とかハムとか一般的なものなんだけど、何度食べても飽きない。縁線図鑑に「忘れられません」って投稿があったのも、わかる気がします。
大倉



材料には、そこそここだわっていますよ。豚肉は豚肉用、鶏肉は鶏肉用の調達ルートがあってね。仕入れ先とは、かなり長いつき合いになっています。
満

チャーハンは子どもたちにも人気でね。いまは最年少だと5歳のファンもいるんですよ。あの子、うちのチャーハンを食べると、とってもご機嫌になるのよね。もう、かわいくて(笑)。
幸子

あとは、このスタミナラーメン。ちょっと辛いやみつきになる味で、食べる手が止まらない……。スタミナラーメンと半チャーハンのセットは、「いつもの!」と注文する人も多い、この店の定番ですね。
大倉



スタミナラーメンには、辛さの段階を設けています。豆板醤たっぷりの「激辛」は、お昼どきのお客さんが多いときはあえて出さないんですよ。食べると咳き込んでしまうくらい辛いから。
幸子

——え、そんなに辛いんですか!?
「激辛」はすごいですよ〜。僕はいつも「普通」にしています(笑)。
大倉

——ところで、鳳龍にはたくさんのメニューがありますが、どうやって生まれるのですか。
僕自身が外で食べる美味しい料理から、着想を得ることが多いですね。スタミナラーメンの場合は、銀座にいい中華料理店があってね。そこで出される辛めのラーメンに感動して、通い詰めているうちにレシピが固まっていったんです。
満


鳳龍の定休日のたびに、行っていたもんね。銀座だけじゃなくて、味噌ラーメンの味を知るために北海道にも何度も訪れていたし。
幸子

——研究熱心なんですね。
ほんとそうね。
幸子

現場で本物の味に触れないと、わからないんですよ。
満



ボヤ騒ぎ後の片づけもメニュー表の制作も、地元の常連客がサポート
高度成長期に産声をあげ、バブル崩壊や新型コロナウイルスなど時代の荒波に揉まれながら、50年以上走り続けてきた鳳龍。店主夫妻は、どんな思いでこの店を長く営んできたのだろうか。
——長い 歴史のなかで、大変なこともありましたか。
いろいろ、ありましたよ。でも「どうしようもないほど大変だった」というのは、意外とないかな。毎日ひたすら一生懸命にやってきたから、忘れていることもあるのかもしれないけど(笑)。 店の歴史の話でいうと、街の風景はずいぶんと変わりましたね。開業したころは、このあたりは住宅街じゃなくて、工場がたくさんあったんです。
幸子

いまとは、だいぶ風景が違ったみたいですね。
大倉

そう。有名な自動車メーカーの工場もあってね。当時は午前中から大口の出前注文が相次いで、毎日「25人前ください」「うちは30人前」といった感じで。2人だけじゃとても対応しきれないので、アルバイトさんなどに手伝ってもらいながら、注文に応えていました。私も嫁いでまだ数年だったし、とにかく必死でしたね。
幸子

ある時期は、大きな製薬会社の本社も近くにあったよね。従業員さんたちが社員食堂のように毎日通ってくれたし、ときには社長さんも高級車で店の前に乗りつけて食べにきてくれて。
満


そういえば、その会社は後に都心へ移転したんですが、それから10年以上経ったあと「原点に帰って鳳龍で大宴会をやりたい」と連絡をくれたんですよ。人数を聞くと、もう店に入りきれないくらいの数で……。 なので「お願いだから、戸越銀座にあるほかのもっと大きな店でやってよ!」って1次会はお断りしちゃったんだけど、十数人が2次会で鳳龍にきてくれたんです。昔は若手だった人が偉くなっていて、「みんな立派になったのね〜」って。
幸子

——鳳龍の歴史を表すエピソードですね。50年以上続けてこられたのは、なぜでしょうか。
やっぱり、近所の人たちが助けてくれたからだと思いますよ。
幸子

そういえば数年前に鳳龍でボヤが起きてしまったときも、近所の人たちで力を合わせて対応しましたよね。
大倉

あれはありがたかったね……。忙しくしていたときに、厨房の火が大きくなり過ぎてしまってね。すぐに収まったんだけど、後片づけが少し大変で……。
満

みんなが手伝ってくれたから、わりと早く復旧できたんだよね。
幸子

常連さんは、みんな優しいね。普段も、食べたあとに食器を片づけてくれる人が本当に多いんですよ。
満

席に置くメニュー表も、ある常連さんがつくってくれたんですよ。写真撮影、デザイン、印刷の発注など、何から何までやってくれて。
幸子


鳳龍が地 域のつながりの場になっていて、みんなにとってなくてはならない場所だから、自然と手伝いたくなるんでしょうね。
大倉

町中華好きの10代が、ネットの評判を見て訪れることも
——西五反田や平塚(戸越銀座駅がある地区名)など、近隣エリアにはどんな思いがありますか。
工場街から住宅街に変わって、ファミリー向けのマンションが増えましたね。昔は高くても3階建てくらいまでだったけど、いまでは大きなマンションがたくさん建ってね。
幸子

首都高速ができてからは、ずいぶん便利になったよね。
満

便利で人気があるから、マンションが増えるのかもしれないね。有名な戸越銀座の商店街も、武蔵小山のアーケード街もあるし。駅がたくさんあって高速道路の出入り口もあるから、本当に住みやすい場所だと思いますよ。
幸子


昔ながらの小さな個性的な飲食店が残っているのも、魅力だと思います。その代表格として、鳳龍にはずっと頑張ってほしいですね。常連さんたちはみんな、同じ気持ちで応援していると思います!
大倉

——そうした常連さんとの縁が続いていく限り、鳳龍はこの場所でやっていけそうですね。
この年齢になるとね、欲を出すんじゃなくて、小さくてもいいからなるべく長く続けていきたいと思っていますよ。
幸子

僕ももう80代ですから、健康第一で無理せず続けていければ何よりですね。
満

遠くへ引っ越しても通い続けてくれる人、親子4代にわたって通ってくれるご家族など、さまざまなお客さんがいます。うれしい限りです。
幸子


最近では高校生の若いお客さんたちが、品川区外から自転車できてくれたんですよね。「ここ、ネットで町中華の名店として紹介されてるんですよ!」って教えてくれるんだけど、私たちはネットをあまり見ないからわからないの(笑)。でもそうやって通ってくれるお客さんがいる限りは、頑張らないとね!
幸子

うん。お客さんたちのためにも、自分の体のためにもね。店をやめたら張り合いがなくなっちゃうから。
満

いまは日曜・月曜が休みだけど、そのうち週3日の休みにさせてもらうかもしれない。それでも、続けていきたいですね。
幸子

僕はパパとママが続けてくれているだけで、うれしいですよ。こんなに居心地のいい場所は、ほかにないから。
大倉


満さんは、じつは1964年の東京オリンピックで聖火ランナーを務めた貴重な経験の持ち主。店内に飾られた当時の記念品は、長く長く走り続ける鳳龍のシンボルにも見える。寡黙ながらも優しい眼差しの満さんと、お話好きで気さくな幸子さん。2人のあたたかさに触れながら味わうチャーハンは、きっとあなたのことも元気にしてくれるはずだ。

Share



