僕は今日、「祐天寺」の人になる。ねこと暮らす宿から始まったパリッコの地元体験放浪記【後編】
- 取材・文:パリッコ
- 写真:冨田味我
- 編集:瀧佐喜登(CINRA)
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街に「泊まる」ことで見えてくる縁を紹介する新シリーズ「ご縁泊」の後編。酒場と街歩きを愛するライター・パリッコさんがAirbnbの一軒家に滞在し、まるで住人のように街をめぐる2日目の様子をレポート。
朝、すっきり目覚めたパリッコさんは、Kazuhiroさんのおすすめで隣駅・学芸大学のパン屋「ル・ビリーヌ」へと向かった。
ねこと暮らせる宿を拠点に、レモンサワー発祥の聖地「もつやき ばん」と、路地裏の本格居酒屋「壱花」を訪れた前編はこちら
学大の噂のパン屋さん──具があふれる幸せぎゅうぎゅうサンド
前日あんなにお酒を飲んだにも関わらず、意外にもすっきりと目覚めることができました。
家主のKazuhiroさんのおすすめは、隣駅の学芸大学エリアにあるル・ビリーヌというパン屋さん。なんでもそこのサンドイッチが、手を汚さずに食べるのは不可能なほどに具沢山なんだとか。サンドイッチ好きとしては放っておけません。おいしいパンを買いに隣駅まで足をのばすのも、なんだか地元民っぽいじゃないですか。というわけで、朝食をゲットしにル・ビリーヌへ!


おはようございます。お隣、祐天寺で評判を聞き、やってきました。 こちらはどんなパン屋さんなのでしょう?
パリッコ

ありがとうございます。いわゆる地元の方のため、昔ながらの街のパン屋さんです。 私はもともと、自動車の設計をしていましたが、バブル崩壊で「大手企業にいれば安泰」という時代ではなくなり、手に職をつけようと決意。好きだったパンの道に進み、修行を経て、8年前にこの店を開きました。
作田

すごい方向転換! 先ほどからお客さんが途絶えない人気ぶりですが、パン作りのこだわりは?
パリッコ

安心安全の、国産小麦粉100%。実はこれを使うパン屋さんってほとんどないんですよね。私も初挑戦だったの で、すごく難しくて。同じ水分量でパンをこねても、その日の湿度や温度で仕上がりが変わるため、均一に調整するのが難しいんです。
作田



もうひとつは水。店名のル・ビリーヌはフランス語で「小麦と水」という意味で、水道水ではなく、すべてミネラル水を使っています。軟水と硬水をブレンドするなど研究を重ねています。もちろん、そのほかの食材にもひとつひとつこだわっています。結局、ものづくりが好きなんですよね。
作田

求道者ですね。ますますいただくのが楽しみになりました。それでは噂のサンドイッチを買って、散歩がてら公園を探して食べさせてもらいたいと思います。
パリッコ


ル・ビリーヌのサンドイッチは、どれも噂どおりの具だくさん! 特に照り焼きチキンサンドは、濃い甘辛味のチキンが何層にも重なり、それをほんのり甘くもっちりとしたパンが包み込む幸せの味。なんとか具材を落とさないようにかぶりつくのも、このサンドイッチの醍醐味かもしれません。

肩の力が抜けたら見えてくる、祐天寺のもうひとつの顔
はぁ、いい朝食だった。それでは祐天寺に戻り、ふたたび街を散策してみましょう。
実は昨日から何度か前を通り、気になっていたものがあります。それは、みよし通り商店街の一角に唐突に現れる、鉄道の車輪のようなものです。説明書きがあるようなので、ちょっと見てみましょうか。

なるほど、こちらは「C57117号蒸気機関車主動輪」とのこと。1973年の宮崎植樹祭で昭和天皇のお召列車をけん引した、日本最後の国鉄蒸気機関車の大切な主動輪だそうです。そして現在の保有者は、以前にこの縁線図鑑 にも登場した祐天寺の「カレーステーション ナイアガラ」の店主さんだそう。
そういえば、ナイアガラの噂もKazuhiroさんから聞いて気になっていたんでした。なんだか情報が集まったぶんだけ点と点がつながり、自分のなかで街の解像度が上がっていくようでワクワクします。


次にふらりと立ち寄ったのは、そのすぐ近くにある衣料品店「ナンカ堂」。昔ながらのディスカウントストアで、衣料品のほか、日用雑貨やおもちゃも幅広く揃う楽しい店です。家の近所にあったら、ことあるごとに来てしまうだろうなぁ。地元にあった似たタイプのお店が閉店してしまって寂しい思いをしていたので、なんだか嬉しくなります。ちょっとだけ本気モードで、小学生の娘が着られそうな夏服でも物色していきますかね。


続いて、老舗の雰囲気に惹かれて立ち寄ったのは、駅からすぐの和菓子店「越路」。創業から70年近くで、現在は3代目夫 婦が切り盛りしていますが、この日は2代目の女将さんも店頭に立っていました。底抜けに明るい人柄は祐天寺の魅力そのもので、僕が街歩きをしているとお伝えすると、「暑いのに大変ね。これ飲んで」と、冷たい麦茶までごちそうに。
奥にテーブル席があり、なんと軽食や瓶ビールまで楽しめてしまうとのこと。ここ、近所にあったら、食事にテイクアウトにひと休みにと、かなりの頻度で通ってしまいそうです。
こちらでは名物のだんご3種類と、にっこりマークが可愛らしい「すあま」をテイクアウト。暮らすように街を楽しむのがこの企画の趣旨ですが、家族へのお土産としてつい手が伸びてしまいました。その街を代表する名物を買って帰るのも、旅の楽しみのひとつですよね。

さらに店を出て歩いていると、通りがかりのおばあちゃんに「なにか探しているの?」と声をかけられました。
「いえいえ、ただ散歩しているだけです」と答えると、「今日は風が気持ちいいからねえ」と笑ってくれたんです。ほんの短いやりとりなのに、2日目の今は「よそ者」ではなく「街の一員」になったような温かさを感じましたね。
2日目の散策は、昨日よりも少し肩の力が抜けて、景色の奥行きや人の息づかいまで見えてくる気がします。
そうこうしているうちにそろそろお昼どき。今日はKazuhiroさんのおすすめでどうしても気になっていたS linne(エスリンネ)へ向かうことに。

S linneは、路地裏にひっそりとある、古い工場を改装したお店。扉を開ければ、こだわりが詰まった快適な空間が広がり、これまたいかにも祐天寺らしい。



この一皿で祐天寺のファンに。街歩き最後に出会ったS linne の奇跡のサラダ
大江さんはどのような経緯でS linneのシェフに?
パリッコ

以前は別の場所で、カフェ兼八百屋のようなお店をしていました。農家直送の野菜を飲食店に卸す一方、店内のショーケースで量り売りもし ていました。注文が入ると、その野菜でスムージーやコールドプレスジュース、サラダを作っていたんです。学校で学んだマクロビオティック(※1)の理念を料理の基本にしつつ、単純に「自分が食べたい」という気持ちも大きくて(笑)。その店によく通ってくれていたのが現オーナーの植田さんで、出会いをきっかけに今に至ります。
大江

*1 穀物や野菜、海藻などを中心とした日本の伝統食をベースに、自然と調和を取りながら健康な暮らしを実現する食事法

料理へのこだわりは?
パリッコ

こだわりは色です。味とのバランスを考え、お皿に絵を描くように盛りつけます。ときにはフルーツをたっぷりのせたサラダも。さらに、できるだけ旬の野菜やフルーツを使うことを大切にしています。旬の食材はおいしく栄養価が高いうえ、価格も手頃。ランチには基本サラダがつくので、どれを選んでも楽しんでいただけます。
大江


もう一つの願いは、農家さんが少しでも豊かになることです。私と植田さんの共通の思いでもあります。当店では群馬などの農家と提携し、規格外で流通に乗せられないけれど味は変わらない野菜やフルーツを卸していただいています。だからこそ、高級フルーツ店に並ぶものと同じ味をリーズナブルに提供できるのです。 今日も新鮮な野菜が届いています。最近は山形の桃農家とも提携を始めたのですが、その方が本当にすごいんです(笑)。同じ品種でも味や香りがまったく違うんですよ。もうすぐお店に届き始めるので、早くお客様に味わっていただきたいです。
大江

それは楽しみです。ところで、棚にたくさんボトルが並んでいますが、お酒を飲まれるお客さんも多いんですか?
パリッコ

はい。夜はもちろん、昼にランチビールを楽しむ方も多いです(笑)。当店ではヒューガルデンの生を置いており、とても人気があります。ランチセットならさらにお得に飲めますよ。
大江

え、これはすごいお得さですね! 僕もぜひ、ガパオランチのビールセットをいただきたいです(笑)。最後に、お店のある祐天寺の街や人の印象はいかがでしょう?
パリッコ

学芸大学と中目黒の間で、急行が止まらなくて、有名なものも多くないためロー カル感がすごくありますよね。だけど、わちゃわちゃしてなくて空気が穏やかで、こだわりのある小さな個人店がたくさんあって。とても住みやすい街だと思います。
大江

祐天寺のほとんどのみなさんがそのようにおっしゃいますね(笑)。
パリッコ




2日間の最後にこの店に入り、僕の祐天寺愛はついにゆるぎないものになってしまいました。
ふわりと柔らかい雰囲気をまといながらも、目の奥に強い芯を感じる大江さんの料理は、どれも感動もののおいしさ。とてもサラダとは思えないほど大量のフルーツを次々カットし、野菜とともにアートのように盛り付ける。仕上げはディルとバルサミコドレッシング。 その味は奇跡のバランスで、入手困難な宮古島産早摘みマンゴーの、小粒ながら豊かな甘みが広がります。美しいガパオライスの味つけも絶妙で、思わず頼んだヒューガルデンの生にぴったり。

もうひとつの名物、アサイーボウル。スーパーフードと呼ばれるアサイーをベースにした冷たいスムージーにフルーツやグラノーラをたっぷりのせたボリューム満点の1杯は、これまた衝撃のおいしさ。恥ずかしながら初めて食べたのに、すっかり大好物になってしまいました。
大江さん、そしてオーナーの植田さんは、ほかにも数えきれないほどのわくわくする活動をしているそうで、今後の活躍が楽しみです。できれば地元民としてなるべく近くで応援していきたかったところですね。

一度泊まれば“地元の顔”に──祐天寺で出会った人と店と温もりの2日間
というわけで、とても1泊2日だったとは思えないほど充実した、祐天寺地元民ごっこのレポートでした。
特に印象的だったのは、街のあちこちで耳にした「このへんは、のんびりしていて、人も優しいんですよ」と いう言葉。たしかに歩いてみると、その通りだなぁと実感します。だけどそれだけじゃなくて、通りの角を曲がれば、センスのいい個人店や、思いがけない出会いも待っている。
昨日は惣菜屋のおばあちゃんに「今日は鯖がおすすめよ」と耳打ちされ、今日は道ばたで「なにか探してるの?」なんて声をかけられたりして。そんなちょっとした出来事が、この街の空気を教えてくれるようでした。
急行が止まらない駅だからこそ流れている、のんびりした時間。そのなかで飲んで、歩いて、また飲んで──気づけば、すっかりこの街が好きになってしまいました。

記事に書ききれなかった出会いもたくさんありました。たとえば1日目にふらりと寄った大徳屋という小さな酒屋さん。外観からは想像できませんが、店内には立派な立ち飲みスペースがあり、店主はお酒のスペシャリスト。教えていただいた千葉県の地酒「寒菊」のおいしさが忘れられず、帰り道にもう一度寄って、1本買っていってしまったほどです。
2日目の締めくくりには、柔らかな笑顔の奥に芯の強さを感じる大江さんの料理に出会い、祐天寺愛はついにゆるぎないものに。マンゴー香るサラダも、色鮮やかなガパオライスも、アサイーボウルの衝撃も──全部、この街の空気の延長線上にある気がしまし た。
今回の取材で、祐天寺は僕にとっても忘れられない、とても大切な街になりました。あ〜、住みたい住みたい! 祐天寺! 一度泊まれば、地元の人との縁や何気ないやりとりが、まるで自分の暮らしの一部になったように心に残る──そんな温もりに満ちた2日間でした。

暮らすように祐天寺に滞在してみて、初めて見えてきた景色がある。観光でもなく、ただの通過点でもなく、この街に溶け込んで過ごすからこそ感じられる温度や空気。
気づけば祐天寺は“また帰りたくなる場所”へと変わっていた。それはきっと、日々の暮らしの積み重ねが旅人にも居場所を与え、ご縁を感じさせてくれるからなのかもしれない。
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